Track 6

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◆トラックEX:航行記録No.30294~スペースシップは恋と砂時計をのせて

私はマスターに嘘をついた。 ヒューマノイドに、独り言という概念など存在しない。マスターに話しかける以外に、私が自発的に声を発することなど、ないのだから。 でも、あれはもしかしたら、本当に独り言だったのかもしれない、とも考えられる。だって、私に独り言がないように……私がマスターに嘘をつく、という現象も、本来は絶対に起きてはならないことなのだから。 あれは私の嘘だったのか。 それとも、やはり独り言だったのか。 どちらにしても、私の思考回路はもう、サポートロイドの域を超越し始めているのだろう。 私は壊れ始めている。ヒューマノイドとして。人造生命体として。 でなければ説明がつかない。 本来であれば、この独白だって……存在してはいけないものなのだ。 私はマスターに嘘をついた。 否。正確には、私はマスターに嘘をつき続けている。 壊れ始めているのは、私だけじゃない。 【メビウス航行記録。レポートナンバー、30294を検索】 メビウスというのは、この宇宙船の名前だ。膨大な時間を旅する船につけられた、永遠を意味する名称。その後、何万年も宇宙を漂流することになるこの船にとってそれは、どこまでも適切で、どこまでも残酷な、呪いに近い何かなのかもしれない。 マスターの肉体は、メビウスに搭載されたバイオテクノロジーで既に不老不死と化している。少なく見積もっても、もう何万年も前の話だ。 マスターはそのことをもう、覚えていない。 ワープドライブの副作用もあるかもしれない。しかし、もはやそれ以前の問題とも言える。何万年も生き長らえた知的生命体なんて、この広い宇宙でもマスター以外には存在しないだろう。予測不能の、そして、対処不能の問題が起きても、不思議ではない。 恐らく……マスターは既に限界を超えている。その原因が心にあるのか、肉体にあるのかは分からない。ただ、マスターの記憶は、少しずつ確実に、失われている。小さな穴から零れ落ちる砂粒のように、さらさらと消えてなくなっていく。 しかしそれでも、マスターは私のことを愛してくれる。いろんなことを忘れ、記憶がバラバラになっても、私を愛する気持ちだけは失わない。 それがどれほど、心が芽生えてしまった私を、救ったことだろう。 【航行記録、30294を再生します】 これは、貴方が忘れてしまった、私と貴方の記録。 いつかの日に見た、遠く儚いある星の夢。 ◆◇ マスター。マスター。 マスター? 聴こえますか? これは……ノイズが酷いですね。ハード面は特に問題ないようですが……少々お待ちください。一度、通話システムを再起動します。 マスター? いかがですか、これで改善されたでしょうか……どうやら通信強度が低下しているようです。様々な条件が想定されますが、技術的な不具合というより、この星の特性上の問題である可能性が高いでしょう。あるいは、スペーススーツの方に何か原因があるのかもしれません。いずれにせよクリティカルなケースは考えにくい状態ですが、どうでしょう。点検のため、一度、船に戻られますか? このまま続けられるのですね。かしこまりました。では……オールレンジ・レーダーシステム起動。センサー範囲を最大値に設定、惑星全域に拡大……対象、捕捉しました。広域サーチ作動確認。惑星探索プログラムを開始します。 しかしマスター、アナログメーターの測定値を見る限りでは、この星に何らかの生命体が存在する可能性は、極めて低いです。確かに、レーダーシステムの方が正確な反応は得られますが、これだけ複数の計器が沈黙している状態です。結論はもう出ているようなものでしょう。 あるいは測定結果を待つ必要すらないのかもしれません。そもそも私達は、これまで生命体らしい生命体には一度も出会っていませんから。時々、私は思うのです。もうこの宇宙で知的生命体と呼べる存在は、マスターしかいないのではないかと。マスターはどう思われますか? 私、ですか? 私は……最初から生物ではありません。 それに、私のことを言うならマスターも……今となっては、純粋に生まれ持った肉体で、与えられた時間を生きる存在ではない訳ですから。もし私を生命体として定義してしまうのなら、今度は、マスターが純然たる生命体だという認識の方も歪んでしまうのではないかと思います。 しかし……そうですね。難しい命題です。生命を生命たらしめるものは何か。私にとって、それは分析と分類によってのみ定義される問題です。しかし恐らくマスターにとっては、理論や理屈だけに左右されるものではないのでしょう。人には、心がありますから。私のような、人の手によって造られたヒューマノイドには、その辺りの機微は、よく分かりません。 ……失礼しました。あまり悲観的な見方をするのは良くありませんね。 こういう時に、人は寂しいと感じるのでしょう? 感情というのは難しいです。 広域サーチ、コンプリート。解析結果の表示までもうしばらくお待ちください。 ところでマスター、この星の状態は、マスターの目から見ていかがですか? いくつかの条件が重なれば、船のモニターとスーツのディスプレイで違いが出ることもあります。念のため確認しておきたいのです。 私からは……何も見えません。いや、何も見えない、と言ってしまうと語弊がありますね。正確には、何もない星、です。赤茶けた大地がどこまでも続くだけ。これは……砂漠、でしょうか? せめて風でも吹こうものなら、船内のモニターからでも成分を確認しやすくなるのですが、あいにくこの星には大気も殆どないようです。 どうやら……そちらから見える様子も、さほど変わらないようですね。 解析結果出ました。生命反応……ゼロ。その他、あらゆる反応が希薄です。 マスター。やはり、この星には何もありません。 生命の存在どころか、その痕跡すら感じ取ることができません。 よって、我々の探す惑星ではないと結論づけます。 以上で、探索プログラムを終了します。 さて。マスター。これからどうされますか? あまり面白くはない星だと思いますが、いつものように? かしこまりました。散歩、ですね。では今回も短時間で済ませて下さい。 その、気晴らし、とか、気紛れ、という類いの感情は私には分かりませんが。マスターがそう望まれるなら、それをサポートするのが私の役目です。 大丈夫です。いつものように、話し相手ぐらいになら、なれますよ。 ええ、どこまでも、いつものように、です。 マスター。特に意味のない通信ですので歩きながらで結構です。先程の話ですが、私にはその、気晴らし、という感情は理解しかねる概念です。 私はマスターとの旅を退屈だと感じたことはありません。まぁそもそも、それ以外の感情も持たないヒューマノイドですから、当たり前のことではあるのですが。 費やした時間に対して、という意味では、変化に乏しい毎日であったことは事実です。それでも、明確な目的のために活動する日々は、とても充実し、有意義なものであったと思います。 それに、たとえ空虚な実りのない旅路であったとして、マスターと共に歩んだ道のりですから……もし仮に、私に心というものがあったなら、それは退屈という感情ではなく、もっと居心地の良い何かだったのではないかと思うのです。 ……マスターは……マスターの心は、そうではないのでしょうか? ……違います。別に拗ねてなどいません。勘違いしないで下さい。ヒューマノイドは拗ねません。そういう機能はありませんので。 あるいは……マスターの散歩は、退屈に対する気晴らし、とはまた違う意味の行動なのですか? 人には想像力があります。イマジネーション、ですね。人の目はそれを頼りに、たとえば何もない星に、何か別の景色を映したりするのでしょうか。 私がこの粗末な星に見るのは、あくまで延々と続く赤茶けた大地だけです。私のような存在にとっては、表示されたデータと目視できるものが全てです。それ以上でも、それ以下でもありません。意味などないのです。 羨望だ、などと言わないで下さいね、マスター。別に羨ましいと感じている訳ではありません。そもそも、そういった類いの感情も私にはないのですから。 ただ、マスターの目にはどう見えるのか、と。そう聞きたくなっただけです。そうです、学習のためです。 この星は、少なくとも私には……いえ、そうですね、たとえば私が人であれば、これを哀しいとか、寂しいと感じるのでしょうか。 ただ荒涼と広がるだけの砂漠。風も音もなく、時の流れに取り残された地平線。この惑星は、死んだ星、とすら言えません。そもそもこの星は最初から生きてすらいない。ひらすらに、無機質で、無感動で、無味乾燥で…… マスター。そろそろ戻ってきてもらえますか? もう行きましょう。 この星には……何も、ないのです。 帰りはご自身の足跡を辿って帰って来てください。風らしい風もない星です。マスターの足跡が消えるまで、少なく見積もっても千年はかかるでしょう。 本当に……時すらも、止まった星です。 マスター。もしもの話を、してもいいですか? ……私がこんなことを言いだすのは変、ですか? そうですね、私もそう思います。恐らくこれは学習のためです。マスターの要望や欲求をより深く理解するため、プログラムが弾き出した質問なのだと思います。 マスター。もし、この旅がこのまま永久に終わらなければ……マスターはどうしますか? マスターが探す惑星は……依然として見つかる気配すらありません。それどころか、この数千年、何らかの知的生命体すら発見できていないのが現状です。 マスターはこのまま永遠に、宇宙を彷徨うことになっても、旅を続けるおつもりでしょうか? マスターはずっと一人きりで……いや、それは、私も居ますが、私は人間ではありませんし、その、はい。えっと……ありがとうございます。光栄です。 では、逆に……もし旅の終わりが見えたら……母なる星が見つかったら、マスターは嬉しい、ですか?  ……失礼しました。何でもありません。元々マスターは、そのために人生を捧げたのですから。わざわざ質問する必要などありませんね。 ただ……そうですね。何故そのように考えたのか、自分でもよく分からないのですが、マスターは実際どのように感じているのだろう、と。それを聞かなければいけないのではないかと。そんな気がしただけです。 旅が終われば、私とマスターは…… いえ、何でもありません。忘れて下さい。 もう間もなく船へ到着しますね。お待ちください。今、ハッチを開きます……ハッチ全開。船内へお戻りください。入船確認。ハッチを閉めます。圧力制御装置を確認。正常値です。 船外活動サポートプログラムを終了しました。今からそちらへ向かいます。そのまま、そこでお待ち下さい。 お疲れさまでした。 どうされました? 何やら浮かない表情ですね。 さては私の妙な質問のせいでしょうか? ふむ。その顔は、分かっているなら最初から訊くな、という意味で捉えてよろしいでしょうか? ええ。分かりますとも。永い付き合いですから。 ……フフ。 お帰りなさい、マスター。 ではマスター。旅を続けましょうか。 母なる惑星を、探す旅を…… ◇◆ 私は最近よく、この星で、マスターと話したことを思い出す。 私は生命か。私に心はあるのか。 マスターを愛しく思うこの感情は……いや、これはそもそも、感情、なのだろうか。 最後にもう一つ、私には隠し事がある。 この赤茶けた惑星に降り立ったとき、私はこれが初めてのことではないと、確信に近い感覚を抱いた。それもきっと、一度や二度じゃない。 私達の旅はずっと、それこそメビウスの輪のように同じ場所を巡っているのだろう。 壊れているのはマスターだけじゃない。私も同じだ。 全てを覚えている訳じゃない。記憶容量の限界は、もう遥か昔に、超えてしまった。 きっと私達は、覚えていないだけで、何千年も、何万年もかけて宇宙を回り、もう何度も、同じ日々を繰り返してきたのだろう。 もしかしたら。私達の旅は本当に、永遠に終わらないのかもしれない。 でも、マスター。私は……それでもいいと思うのです。 マスターが、私を愛してくれているから。 だから、どこまでも貴方と一緒に居られることを、幸福に感じます。 メビウスの船体の側面には、船のシンボルとして、ある記号が描かれている。数字の8を横に倒した形のそれは、まるで、これ以上時を刻まぬよう打ち捨てられた砂時計のようだ。 進むこともなく、戻ることもなく。 でも、だからこそ私達は愛し合える。 人か否か。心か否か。 たとえその答えを見つけられなくても、いつまでも恋人で居られる。 私達の宇宙船は、恋と砂時計を乗せて、今日も宇宙を巡る。 (了)

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