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「耳かき庵★なつみ」 作 清水菜摘 【プロローグ】 密かに口の端(は)にのぼる癒しの庵(いおり)の噂を聞いたことはありますか? 隠れ家的立地にも関わらず、行列が…絶えず、尽きず、衰えず。 訪れた誰しもが、究極の癒しを味わえたと口を揃える…庵。 その名を、確か…、“耳かき庵なつみ”。 恥ずかしながら…実は、私、清水菜摘が主(あるじ)を務める、癒し処(どころ)であります。 【本編】 ようこそ、いらっしゃいました。 本日は、耳かき庵なつみが真心を込めて、おもてなしさせていただきますね。 (森BGM) お気づきになりましたか? そうなのです。 当庵(とうあん)に足を踏み入れたその時からが、おもてなし。 癒しの始まりなのです。 当庵では、いきなり耳かきは致しません。 最初に行うべきは、心のストレッチ。 普段の生活で知らずのうちに積もった、ストレス。溜まった、フラストレーション。 それらの不調和を、ストレッチして、調和に導く。 それが、当庵が誇る…耳を綺麗にするだけではない、癒しのプログラム。 そのために、最適なのが、この…「音」。 自然界は心地のいい「音」の宝庫。 マイナスの感情を切り替え、 脳波をアルファ波に導き、 免疫系を高め、 疲れた心と体に癒しの効果をもたらし、 魂を調律する。 「音」が、 意識を…穏やかに溶かし。 「音」が、 現実を…曖昧にぼかす。 穏やかに。 でも、確実に。 よいでしょう。 自然が誇る「音」に十分、浸ったおかげで、あなたの心がほぐれたのが、わかります。 それでは、次の行程に移ります。 「音」の次は、「声」。 私の「声」で導きます。 ですので、私の「声」の言う通りにしてみて下さい。 それでは、早速、始めます。 ゆっくりと、深呼吸。 す~~。 は~~。 ゆっくり、深呼吸。 す~~。 は~~。 繰り返す。 そのまま、深呼吸を繰り返す。 す~~。 は~~。 す~~。 は~~。 《囁き: そして、右肩に意識を集中。 集中。 右肩を、意識。 右肩を意識したら、吐き出す息と共に右肩の力を、抜く。 は~~。 はい、力が抜けた。 次は、右腕。 右腕に意識を集中。 集中。 右腕を、意識。 右腕を意識したら、吐き出す息と共に右腕の力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。 次は、左肩。 左肩に意識を集中。 集中。 左肩を、意識。 左肩を意識したら、吐き出す息と共に左肩の力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。 次は、左腕。 左腕に意識を集中。 集中。 左腕を、意識。 左腕を意識したら、吐き出す息と共に左腕の力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。 次は、右太もも。 右太ももに意識を集中。 集中。 右太ももを、意識。 右太ももを意識したら、吐き出す息と共に右太ももの力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。 次は、右足先。 右足先に意識を集中。 集中。 右足先を、意識。 右足先を意識したら、吐き出す息と共に右足先の力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。 次は、左太もも。 左太ももに意識を集中。 集中。 左太ももを、意識。 左太ももを意識したら、吐き出す息と共に左太ももの力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。 次は、左足先。 左足先に意識を集中。 集中。 左足先を、意識。 左足先を意識したら、吐き出す息と共に左足先の力を、抜く。 は~~。 はい、 力が抜けた。》 体は…完全に、脱力。 素晴らしい。 完璧です。 これで、準備は整いました。 いよいよ、当庵の耳かきを味わっていただきます。 ですが、その前に、一つ…。 耳かきをする前に、思い出して欲しいことがあります。 それは…、あなたの、初めての耳かきの事です。 「初めての…耳かきの思い出」 当庵を訪れる程、耳かきが好きなあなたなら、 きっと、覚えているはずですーー。 《囁き: 母親の…柔らかい、膝枕の感触ーー。 膝枕…、その、ぬくもり。 母親の…操る耳かきの、得も言われぬ心地良さーー。 耳の中をくすぐる…、その、快感。 これが、あなたの…。 いいえ、誰もが、と、いってもいいくらい共通する、耳かきの…原体験ではないですか? 初めての、気持ちいい、体験。 忘れえぬ、刻まれた、記憶。》 故に、最初の耳かきこそ、至高。 当庵では、そう考え、それを究極の耳かきとして再現致します。 眉唾ではありません。 耳かき庵なつみなら、それが可能なのです。 それでは…。 《超囁き:ゆっくり あなたの目の前には、20段の下り階段があります。 あなたは、その階段を、一段一段降りる毎に、初めての耳かきの記憶が蘇っていきます。 20、19、18、17、16、どんどん、思い出す。 15、14、13、12、11、昨日のように、ありありと。 10、9、8、7、6、今日のように、まざまざと。 5、4、3、2、1…。 頬に蘇る、感触。 それは、母の太ももの感触。 安心できる、柔らかさ。 ほっとする、ぬくもり。 鼻腔をくすぐる、匂い。 それは、母の石鹸の匂い。 懐かしい、香り。 満たされる、薫り。 耳の中を覗こうと屈んだ母の吐息が、耳に降りかかる。 ゾクっとする。 すかさず、耳かきが、そぉっと、耳の中に、滑り込む。 (SE) その瞬間の、ゾクゾク。 体中に走る電流。 (耳かきSE:BGM) 構わず、耳かきは動き始める。 優しく、動き始める。 サク…サク。 静かに、耳垢を取り始める。 サクッサク。 丁寧に、 サク、サク。 慈しむように、 サクッサク。 耳かきはよどみなく、耳の中の耳垢を探り、掻き出す。 サクッサク、 サクッサク。 耳かきが耳の中を動く度に、むずむず。 決して、痛くない。 不思議なこそばゆさ。 初めて味わう耳かき独特の、気持ち良さ。 サクサク、サクサク。 時折、引っかかるような、音。 ペリペリって何かが剥がれるような、音。 何もかもが、初めての音。 大きい音がすると、特に気持ちがいい。 膝枕の寝心地と相まって、もう、たまらない。 気持ちよさに酔っていると、ほどなく、耳の中の耳かきの感触が遠ざかる。 それは、耳が綺麗になった証拠。 気持ちいい耳かきが、終わった証拠。 綺麗になって嬉しいはずなのに、なぜか、悲しい。 それは、気持ちいい耳かきが終わってしまった、悲しさ。 でも、 「反対側」。 そう、母が言った時の…喜び。 そうだ。 まだ、片方の耳が残っている。 それに思い至って、飛び上がるように反対側を向く。 内心の、ワクワク。 隠し切れない、ドキドキ。 片方の耳かきだけで、すっかり、耳かきの虜。 早く早く、こっちの耳もしてとおねだり。 そんな姿がおかしくて、 母は笑顔で、再び…耳かきを始める。 サクサク、サクサク。 サクサク、サクサクッ。 入り口から、奥まで、 母の耳かきは、耳垢の一片も残さない。 サクサク、サクサク。 サクサク、サクサクッ。 心地いいリズムで、 綺麗に綺麗に、 取り尽くす。 今度こそ、綺麗になったら、終わってしまう。 だからこそ、全力で、心から、味わう。 うっとり、夢うつつ。 あなたが気持ちいいことを知ってか、 母の掻き出すスピードがゆっくりになる。 しっとり、夢心地。 あなたを少しでも長く楽しませようと、 母は、ゆっくり、ゆっくり、掻き出す。 それでも、 幸せの時間は、束の間。 終わりはやってくる。 ついに遠ざかる…耳かきの…感触。 けれども、あなたは、すっかり、夢見心地。 蕩(とろ)け切って…まどろみの入り口。 そんなあなたの頭に、母の手の感触。 あたたかい。 あたたかい手のひら。 あたたかい手のひらが、優しく…撫で始める。 撫でる。 撫でる。 撫でる。 それは、手のゆりかご。 手のゆりかごに揺られて、耳かきの余韻が、加速する。 恍惚。 気持ちいい余韻が、体中に、染み渡り、溶ける。 初めての恍惚。 たまらない。 たまらない。 たまらない。 引き込まれるように、夢の中…。 あっという間に、眠りの中…。 (BGM) すぅ、すぅ。 すぅ、すぅ。 気持ちよさそうな、寝息。 穏やかな、寝息。 以上で、当庵の癒しプログラムは終了ですので、 どうぞ、そのまま…、 ごゆるりとお休み下さいませ。 ぐっすり、朝まで…。》 【エピローグ】 《囁き: この度は、耳かき庵なつみをご利用いただきまして、誠に有難うございました。 これからもお客様に満足いただけるよう善処いたして参りますので、 またのご来庵、心よりお待ちしております。》

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