お勉強を教えて欲しいの?
こんばんは~…
勉強中にごめんね?
ちょっと入ってもいいかな…?
ありがと♪
それじゃ、失礼しまーす…
んしょ…
ふふ、久し振りだね~
私が誰か分かる?
学生時代によく遊びに来てたんだけど…
う~ん…分からないかぁ
しばらく会ってないから、忘れてても仕方ないよね
それに、あの頃とは雰囲気も違うだろうし…
それじゃ、髪を下ろして…こういう髪型にしてみたらどう?
あは、正解~♪
そうそう、沙綾お姉ちゃんだよ
思い出してくれて嬉しいな
よしよし…よしよし…
やっぱりあの頃とは全然違う?
えへへ、そう言って貰えて嬉しいな…
…ってそんなに褒めても何も出ないよ?
面と向かって直接言われたら余計に恥ずかしいよ…
あ、急に部屋に来ちゃってごめんね?
今日は泊りがけで遊びに来てたんだけどさ、寝付けなくって…
美樹から聞いたけど、今年は受験なんだっけ?
ん~…
あ、参考書とかいっぱい広げて頑張ってるみたいだね
私も当時を思い出しちゃうなぁ~
…ってこれ以上はお邪魔になるよね
あんまり無理しないで勉強頑張って!
それじゃ…んぅ?
ふふ、どうしたの?スカートの裾(すそ)を引っ張ったりなんかして…
これじゃあ、私身動き取れないんだけど…
そっかそっか…♪
もうちょっと傍にいて欲しいんだ?
昔も私がお家に帰るっていったら、こうやって引き留められてたっけ…
ふふ、相変わらず君ってば可愛いんだから
私としては全然構わないけど…君のお勉強の邪魔になったりしない?
あ、私に教えて欲しい事があるんだぁ
分からない教科ってどれ?文系?それとも…理系?
ははぁ…なるほど、日本史なのね
どれどれ…
ん…
なるほど…今は鎌倉幕府の辺りを勉強してるんだ
開いてるページからすると…あ、ちょうど蒙古襲来(もうこしゅうらい)の辺りかぁ
こうやってノートに書き写しながら、大事そうな所に色を付けてまとめてるんだね
えらいえらい♪
ふんふん…
確かに難しい言い回しとかあるから、理解しにくい部分があるよね
それじゃあ、分かりやすくなるように説明しながら読み上げていこうかな♪
んっしょ…っと
ふふ、こうやって君の隣にくっついてっと…
えぇ?だって…離れてたら文字が読みにくいし…
この方が君と同じ視線になるから良いじゃない♪
ほーらっ、私の事は気にせずに目の前に集中だよ?
んっ…ぅん
えーとなになに…?
13世紀はじめにチンギス=ハンが現れて、モンゴル部族を統合し、中央アジアから南ロシアまでを征服した
彼の孫であるフビライ=ハンは中国を支配しようと都を大都(だいと)…今の北京だね
その際に国号(こくごう)を元って定めて、高麗(こうらい)を服属させちゃったの
そして矛先は日本にまで向けられて、朝貢(ちょうこう)…使いを送って貢物(こうもつ)を差し出しなさいーって強要してきたわけね
でも、その時の日本で鎌倉幕府の執権(しっけん)になっていた北条時宗(ほうじょうときむね)がそれを拒否したから、元は約3万もの兵で日本へ攻めてきちゃったの
元(げん)の軍勢は今の長崎県の対馬(つしま)や壱岐(いき)を攻めて、福岡県の博多湾に上陸…
んっ…
元(げん)は集団戦や使用する兵器が日本の物より優れていて、日本の軍勢は苦戦したの
その時代の日本での戦い方は「やぁやぁ、我こそは~」なんて名乗りを上げながら単独で戦うのが普通だったんだけど、元の人からしたら、そういうルールみたいなものはない訳で…
だから、そんな名乗りを上げてる内に攻撃されたりして、自分たちの戦い方が通用しない事に困惑したみたい
この時の戦いを起きた年号にちなんで文永の役(ぶんえいのえき)っていうの
元軍の方も被害が大きく、内部対立があったみたいでその時は撤退したみたいだね
んぅ…
これを機に幕府は再び襲来されることを警戒して、九州北部に御家人を警備させる異国警固番役(いこくけいごばんやく)を強化
そして博多湾に沿って石造りの防御用の土手である石塁(せきるい)を作ったの
そうだね…
今度は前回みたいにはいかないぞーっていう幕府の意気込みが感じられるよね
そして文永の役から7年後の弘安(こうあん)4年…再び日本へ元軍が攻めてきたの
今度は14万もの大軍で九州北部に向かって進軍…前回のおよそ5倍の軍勢って…守っていた人たちはびっくりしただろうね
んっ…ん…
そんな元軍の侵攻を博多湾で防いでいたところ、暴風雨が起こって元軍に大損害を与えたの
これが有名な神風って呼ばれてるものだね
そうそう、この暴風雨っていうのはその時期に通過した台風なんだけど、それが劣勢になりかねなかった戦いを覆してくれたから「神風」って呼ばれたみたい
この二回目の元軍の侵攻を弘安の役…そして二つの戦いをまとめて元寇(げんこう)っていうの
どういう順番で起きたかちゃんと覚えておこうね~
んぅ…どう?大事な所は書けた?
うん、大丈夫そうだね
えーと…次は…
蒙古襲来前後の社会についてだね
蒙古襲来があった時代から日本では農業の発展が広く見られ、畿内(きない)や西日本では麦を裏作で行う二毛作が普及していったの
この二毛作って似たような単語で二期作っていうのがあるんだけど、私もよくこんがらがっちゃってたなぁ…
二毛作はさっきも説明したように麦を裏作で行うもの…
つまり、同じ耕地で種類が異なる作物を作る事だね
それとは反対に二期作は、同じ耕地で同じ作物を年に二回作る事…
こんな風に単語から覚えるんじゃなくて、単語の意味を理解してから覚えると頭に入るからいいと思うよ♪
んっ…ふぅ
荘園(しょうえん)や公領(こうりょう)の中心地、寺社の門前などでは生産された物を売買する定期市が開催されるようになったの
月に三回開かれる三斎市(さんさいいち)も開かれるようになったみたいだね
この三斎市の名残から、今も日本には三日市(みっかいち)とか四日市(よっかいち)っていう地名が残ってるんだって
たとえば…四日市だと毎月四日に市が開かれたから…って感じだね
地方ではその場所で見られる特産品が売られ、中央から織物や工芸品といった珍しいものを運んでくる行商人も出てきたみたい
今みたいに車なんてないから、運んでくるだけでも大変だっただろうねぇ…
京都や奈良、鎌倉には高級品を扱う業者や商人が集まり、定期市以外にも見世棚(みせだな)っていう小売店を開いていたんだね
この見世棚っていうのは、お客さんに見せるように棚を置いて販売するから見世棚って言うんだ
んん…っ
この時代に遠隔地との商業取引が盛んになっていって、交通の要所には宿(しゅく)、商品の中継ぎや委託販売、運送を主に行う問丸(といまる)が発達していったの
今までは狭い範囲での流通が主だったんだろうけど、次第に広い範囲での商売が出来るようになっていったんだね
売買の手段としては、米で支払うような現物での取引に代わってお金での取引も増えてきたんだよ
その時に使われていたのは、今の中国…宋(そう)から輸入した宋銭(そうせん)って呼ばれるお金が使われたんだ
そして遠隔地での取引には貨幣の代わりに為替が使われるようになったの
今では当たり前のように使われているこの単語だけど、生まれたのは鎌倉時代なんだね
ん、ぅん…
それに併せて金融業者として借上(かしあげ)という高利貸しの業者も出てきたの
当時は領地を持った御家人も自分の土地を担保にお金を借りてたみたいで、とうとうお金を返せなくなった時には業者の人を代官に任命したりしてたんだって
最悪、自分の土地を奪われたり…なんてこともあったみたい
ん…今も昔も借金は怖いって思い知らされちゃうね~…
んん…ここまでどうかな?
なるべく分かりやすくなるように読んでみたんだけど…
ふふ、良かったぁ♪
一応、これでも当時は勉強してた方だからね
こうやって教科書を読んでいると、こういうのあったなぁ~って懐かしくなるよ
あ、重要そうな所には赤のペンで線を引いていくんだね
えらいなぁ…
ん…ぅん
んん…
私はよく緑の蛍光ペンで大事な部分を塗りつぶしてから赤のシートで隠す暗記グッズを使ってたなぁ
詰め込むのはあんまり良くないけど、時間がない時はひたすら暗記してたっけ…
あ、君もちゃんと持ってるんだ?
ふふ、懐かしいなぁ~…本当に久しぶりに見たよ♪
んっ…
んん…ぅん
今日の所はこれでお終い?
うー…んっ…っしょ!君もお疲れ様ぁ~
晩御飯食べてからずっとお勉強してたんでしょ?
昔から頑張り屋さんだなって思ってたけど、全然変わってないね♪
あっ、そうだ!
せっかくだし、私が君にマッサージとかしてあげようか?
もう~…遠慮なんかするものじゃないよ?
ほら、肩だってこんなに凝ってるし…
それに、ずっと同じ姿勢を続けてると背中の痛みとかも出てくるからさ
今のうちにケアしておくと、これからの勉強だってやりやすくなるんじゃないかな
はーい、それじゃあこのままでいて?