吸血鬼は貴方の隣でくすりと笑う
《ちゅんちゅん……ぴちゅん》
(朝の鳥の声)
フィーの瞳を見て、ゆっくりと意識が遠のかせていった貴方が再び目を覚ますと、
やはりそこはすでにあの洋室ではなく……路地裏の手前で、ぼうっと立っている所であった。
路地裏にまた入れば会えるのではと、それから数日何度か足を向けては見たものの、残念ながらあの金の髪も、赤い瞳にも……その残り香すら感じられぬ薄暗い路地裏が出迎えるのみであった。
今は癒えてしまったあの日のずっしりとした疲労感の感覚だけが、あの日あった事が現実であったという頼りない縁(よすが)のようであり……それも日に日に本当だったのかと曖昧になっていってしまっていた。
――……またって、言ってくれたのにな。
《ざっざっざ……》
(足音)
意識を失う前、確かに聞いたと思った少女の微かな囁き思い返しながら……貴方は夢から現実に覚める作業とでも言うように、今日も会社へと向かうべく足を進ませる。
それは、これまでのつまらないと感じていた日常が体の中にぶり返していき、あの非日常を塗り直してしまうような……酷く辛く、切なく、胸を掻き毟りたくなる気持ちにさせるものであった。
――夢から覚める時っていうのは、そんなものなのかな……。
未だ収まらない胸の焦燥を吐き出すように、一つ大きなため息をつき貴方は出勤のための駅へと向かうべく、十字路を右に曲がる。
駅までは歩いて徒歩10分程、何時もならば少々憂鬱な気持ちを抱えながら歩いていくその道に……。
朝の風が金色の小さな影をその流れにまとわせて、ふわりと……はためいたのに貴方は気付いた。
フィー
「ふわぁ……、朝日は眩しいし、陽の光はチクチクするし……朝はやっぱり苦手だなぁ。
……ふふ、人間はやっぱり大変だね?
こんな中を毎日毎日、仕事に精を出すなんてのは頭が下がる思いさ、本当にね」
その小さな影は、今は自分の時間ではないとばかりに眠そうに赤い瞳をゴシゴシと擦り、
貴方と目が合った事に気付くと、くすりと……小さく悪戯っ気のある笑みを浮かべた。
夢だと思おうとしていた相手が、当たり前の顔をして自分の目の前にいる事に混乱し、驚き、思わず足を止めて固まってしまう貴方。
そんな様子を面白がるようにして、少女はまた……くすりと笑った。
フィー
「ハハハ……君の経過観察をしないとって、言ったろ?
ハンター達との後処理やらでちょっと時間が掛かっちゃったけど……まぁ、結局。
君に血を注いだボクが……責任を持って、ちゃんと観察すべきという事で話がついたから、引越しがてらこの近くに……ね?
ふふ、急な引越しで色々やってたら、吸血鬼なのにこんな時間に表へ出る無様を晒してしまっているけど、ご愛嬌って事にしておくれよ?」
何処か楽しそうに、金色の髪を持った少女がはっきりと貴方に笑いかけ続けてくれている。
確かに目の前にいるはずなのに……一瞬でも目を瞑ってしまえば、白昼夢のように跡形もなく消えてしまうような気がして、何も言えなくなってしまった貴方に……少女が赤い瞳を優しく細めながら一歩近づいた。
それから、そっとその小さく白い腕を伸ばし……以前、貴方が彼女に噛まれたはずの首筋を優しく……撫でた。
フィー
「……また、って言っちゃったからね。
ボクは約束を守る系の吸血鬼なんだよ?
そりゃ心配は多いけど、そこは……うん、ボクが頑張ってどうにかすると決めたよ。
だから……君が大丈夫と安心出来るまで、ちゃんと近くで様子を見ててあげる。
引越し先も、君の住んでる所からかなり近所のはずだから……君も頑張って仕事終えたら、今日の夜にでもまた遊びに来たらいいよ。
ボクは、何時でも……歓迎するからさ♪」
少女……フィーに慈しむように言葉をかけられ、首筋を撫でられていると。
貴方もようやくこれが現実だと実感が湧いてきて……笑みが浮かび、大きく首を一つ縦に振るのであった。
フィー
「ふふ♪うん……よろしいっ♪
じゃあこれから、よろしくね?ご近所の……“ボクの人間君”? ふふふっ♪」