ご褒美のお芋よ
さ、ご耳愛はおしまいよ。
起きて起きて。
言ったでしょ、これからはご褒美の時間よ♪
ええと、どれをあげようかしら…。
んーと、これは私好み…んー、これは初心者にはまだ早い…な、何よ、今大事な選別中なんだから、君はお魚雲と戯れてなさい!
芋ぐらい…。
言うじゃない、この紬愛莉に!
いいこと…世間一般で言われる「女子はみんな焼き芋が大好き!」には、警鐘(けいしょう)を鳴らすわ。
人の嗜好なんて、千差万別、ひとくくりに出来る物じゃないの。
けれど、私において、それは至言(しげん)よっ!
蜜たっぷりのとろとろお芋も、水分少なめほくほくお芋も、うどん屋さんのさっくり芋天も、回るお寿司のほろほろ大学芋もっ!
そう、さつま芋は等しく愛している。
大好きなのよ、私はっ!
君だって、好物はあるでしょう。
それを一口でも分けることを条件として出す…これは交渉として、かなりのものよ。
んふふ…意外と意地汚い娘だなって思っただろう君の目、面白かったわ…少しは変わったわね。
そう…私にとって、君にご耳愛することは、けっこうな意味だったって事。
だから、そう…君にあげるお芋ちゃんを吟味するくらい、大目に見なさい♪
んしょ…ん、これがいいわ。
な、何よ…小さいわけじゃないのよ、このくらいのサイズが標準なの!
いいかしら、これは蜜がたっぷりなタイプのお芋なの。
そして、この種類は、こうコロコロまぁるい感じのがとってもおいしいわけよ。
これを口にした時、お芋ちゃん初心者の君に、革命が起こるわ!
おっと、ついつい熱くなってしまったわ…押しつけがましくてごめんね。
さ、後の感想は君にゆだねるわ。
ん?
ああ、食べ方…普通にむきむきしてもいいんだけど、蜜が多いから…かしてみて。
んしょ…こうして皮のまま縦に割って…スプーンで、がいいのだけど、アウトドアらしく、あむあむっていってごらんなさい!
ほら、とろっとろで、お芋じゃないみたいでしょ♪
さ、さ、あむっといっちゃって♪
うんうん、スイートポテトみたいでしょ♪
なぁんにもしてない、焼いてるだけなのに、そうなっちゃうの♪
君、いい感覚してるわ!
私に構わず、体が、心が…欲しがるままに、食べちゃいなさい。
どう?
革新、起こっちゃったかしら?
んふふ、んふ♪
んふふん♪
んふふふふ♪
好物を分けてあげたとしても、こういう顔が見られるなら、いいものね。
ちょっと、気味悪がられるくらい、笑みがこぼれちゃうけど♪
君の笑顔は、私にも届いた…オクスリ、効いたわ!
言ったでしょ、笑顔は効くって…ほら、私にも効いたんだから、これが君のお母様にだったら…そうね、お芋一個でこれなんだから、お母様になら…うーんと、お芋十個分の笑顔の薬になるはずよ♪
んふふ♪
ふふ…ちょっとだけ…お芋食べながらでいいから…。
秋の庭で歌う鈴虫…とでも思って聞いてちょうだい。
私はね、母親がいないの。
家庭の事情、とかではないわ…それなら、特別な理由でもないなら、私は会おうと思えば会えるもの。
ん…もう手の届かない場所にいるわ。
握ろうとしても、手はつかめない…不可思議でもない限りはね。
私が、私を私って知るような前に、病気で逝ってしまったそうよ。
よくも知らない人だから、絆なんてないと思ってたの…けどね、意外なものがつないだわ。
私ね…ここ…胸の下からおなかくらいに、羽の刻印があるの…ふふ…生まれた時からあるアザ…とか幻想的なものじゃなくて、手術のあとがそう見えるのよ。
母と同じ病気…病が私たちの絆だったの。
運命って、皮肉よねぇ。
恨み?
私にとって母親は…そうね…テレビのニュースみたいなものよ。
見ず知らずの人だけど、不慮の事故で亡くなったって聞けば、心がちくっとするでしょ。
不覚の時に消えたものなんて、どうやっても深くは残らない…それを恨んだところで、どうにもならない。
まぁ…それを差し引いても、病気で入院してた時の私は、日陰ばかり見ていたけど。
寝間着の人たちが、それぞれどんな人生や夢を持っていて…ここから出た後、それが叶うのか、どんな生き方が残るのか…腕がない、足がない、目が見えない、起き上がれない…そういう事が当たり前に同居する世界だったから、余計に思ってたのかも。
私自身、白くて狭い四人部屋で、短い人生は終わると思ってたし、どんな人も、ここから出た後には、希望より困難のほうが多くつきまとうんだって決めつけてた。
人の傷なんて、そうやって目に見えるものだけじゃないのにね。
人には…心に巻いてる包帯もある…けど、それは見えやしない、だから、ないって決めつけてた…小さなものね、私は。
…んふふ。
そんな日陰者にも、どこかの女神様が用意した出会いってあるんだなって、思い出しただけよ。
運命の分岐点、みたいなものかしら、んふふ。
な、何よ、思い出し笑いが気持ち悪いなんて、女の子に向かっていう言葉かしら!
ぷんす、ぷんす、ぷんすかよっ!
…っていう感じで、私の黒い雲を吹き飛ばしちゃうような人…ほら、このおさげ。
君がぷらぷらしてるのを見るのが好きなおさげ…それを二つもった、私の師匠…病院の看護師さん♪
その人と、私は出会えた。
きっと、あの時の私は…さっきまでの君みたいな顔をして、四角い蒼の空に飛ぶ、二羽の鳥を睨んでた。
ベンチで寝てる君を見たとき、随分と懐かしい鏡を見つけた気分だったわ。
けれどね…君にも似てた、いつも目が半分閉じてる、そのせまぁーい私の視界にね…ある日、すっと、さっと、あれって感じで、その人はいたの。
にっこり笑顔と柔らかい声で、ちょっと面白くて…でも全部を知ってるような憂いと、悟りを隠した…視界の端で手を振りながら、目の前で髪をとかしながら…耳かきしてあげるわぁ~♪ ってね♪
私のお芋は誰にも渡さない! って感じだったのに…その人には許してしまった。
もしかしたら…それがその人の力、だったのかもね。
私はとかされちゃったわけよ。
そうして耳かきしてもらいながら、色んな事考えたわ…もしかしたら、私が知らないお母さんって、こういうものなのかしらとかね。
成功する確率の低い手術だったけど、それでも母親の時代よりは数パーセントもマシだった…だから、受けてみたのよ。
その人か…もっと別の誰かだったか…背中を押されたような気もしたから。
手術中も、結構不思議なことがあった気がするんだけど…よく覚えてないのよね。
いつか見た、夜の夢が重なっただけだったのか…全身麻酔がくれた幻なのか…そんなこんなで、手術から帰ってきて、日常生活へ戻る間に、その看護師さん…師匠に、いつの間にか持ってた耳かき棒で、ご耳愛の手ほどきをしてもらったってわけ。
だから、まだ私は道途中の半人前。
おさげも半分よ。
ふふ…つまんない独り言だったけど、お芋を食べきる時間には足りたかしらね。
私はもう、お母さんの手を握る事できないけれど、君はできるでしょ。
ほら、こんな風に…ぎゅって…。
ぎゅって、ぎゅ~って…。
んふふ、恥ずかしがらずに、握り返して…はい、にぎにぎ♪
どうかしら…あったかい?
季節のせいで感じるわけじゃないわ…これはいつだって同じもの。
命の…ぬくもりよ。
これは…ひとりだけで感じるものじゃないわ。
わけあって、初めてうまれる。
んふふ…いいじゃない…授業なんて、数日さぼったって、たいした違いはないと思うわ。
ええ、私はそういうトコには悪い娘だからね♪
空を見上げて黄昏てるだけじゃもったいないわ…お芋でも持って、会いに行けばいいじゃない。
とっておきなんだけど、このお芋が買えるところ、教えてあげるから♪
あらあら…甘い物にちょっと塩をかけるとおいしくなるっていうけど、涙をふりかけすぎるのは、どうかと思うわよ。
さ、立って…んしょっと!
はい、私に並んだわね。
どうする?
君が決めればいいわ…一歩目は君が。
君がどうしても、私はここにいる。
秋がつるべを落とすまで、虫のオーケストラがはじまって、月のスクリーンにススキ穂が映るまで。
私は君の隣にいるわ。
んふふ…迷うくらいなら、行くのよ。
お芋を買って、そのまま、ここからたてばいいわ。
行くのよ…お母様のところへ。
迷ってる間に機会は逃げていく…決断の時がわからないなら、それは今よ!
この紬愛莉が傍にいる今。
どうしても怖いなら…私が一緒に踏み出すわ…はい…いち、にーの、さんっ!
んふふ、ほら…私より先に一歩出たじゃない。
その感じ、忘れちゃだめよ…さ、お芋やさんに行くわよっ!
急いで急いで、閉まっちゃうから!
(了)