3. ニャンコ、ワンワン、ピョンピョン・前
もしもし。家守依知。お前は先輩。こんばんは先輩。
今日は学校休んだ。……理由?
特にない。強いて言えば、待ってた。
この時間を待ってた。ずっと待ち続けてた。
かち、こち、かち、こち。二人がね、ゆっくり歩いてた。
かち、こち、かち、こち、何周も。かち、こち、かち、……
カチコチカチコチカチコチカチコチッ。
なにびくってしてんの。なに焦ってんの。……ああ、そう?
え?
ああ。朝から何も食べてない。飲んでない。お手洗いも行ってない。
おしっこ垂れ流し。じょわああ。
……冗談。少し、疲れた。休み休み待ってました。退屈だったぞ……。
楽しかったのは、夕方くらい。ほんのちょっぴりノスタルジー。
でも今は、私、すごく楽しいね。……うん。楽しいです。
昼間は、ドブ川に沈んだような気持ちだった。不思議だ。
今は、例えようがないな。軽いんだ。先輩の声聞くと軽くなる。
お前はまさか……、何でもない。何でもないよ。
さて先輩。今日はどんなくだらんつまらん戯言を話してくれるんだ。
ここまで待ったんですよ。さぞ愉快極まりないクソみたいな話、あるんでしょ。
ほら、話してみろ。ほら、ほら。ほぉら……話してェ……?
うん。うんうん。うん。はー、ほー、へー。
はい飽きました。つまらないな、お前。もう切っていい?
先輩、馬鹿みたい。そんな慌て方する奴、初めて見ました。ククッ……
――!?
ま、また……だ。昨日といい、どうしちまったの、私。
ねえ先輩、私、家守だよね?
家守依知ですよね?
ね?
ね?
……うん。そうですよね。当然、呆然、東尋坊。あ、知ってます?
東尋坊。福井にあるんです。
昔、東尋坊ってお坊さんが、崖から突き落とされたの。
すごく乱暴で横暴なお坊さんだったから、らしいけど、
突き落としたのは……コイガタキ、なんだって。
意味が分からないですよね。どんな気持ちで突き落としたんだろう。
分かるの?
ふうん。そういうもの……?
……え、どうして。なんで話変えちゃうんですか。ふざけんなこら。
死にてえのか。ごめんなさい、いいですよ変えて。
はあ。好きなものですか。いまいち好きをよく理解してないんだが、
ううん、そうだな……。夕陽、夕焼け。日が沈む。青が赤に、赤が黒に。
その赤の時間帯は、みんなその色に染まっていて、楽しい。みんな一緒。
だから、お前の言うところの……「好き」……なのかもしれないね。
……変わってる?
よく言われます。
……お、先輩も好きなんですか。……やった。
うん。理由は違っても、同じものを好きというのは、……うん。
なあ先輩。
お前、いいひとですね。さっき私、
「変わってるとよく言われる」と言ったろ。その先がお前に見えるか?
狂人。それが私の名前だそうです。
私を変わってると決めた奴は、みな、不可解な顔をして立ち去ります。
だから私には、その先が分からない。話した事がない。未知の領域です。
先輩、お前は……「自分も夕焼けが好きだ」と言った。
お前はいいひとです。根拠も理論もありませんが、これが直感というものなら、
私もまだまだ捨てたものではない、とさえ思います。
そしてお前は、たぶん、やさしいんだ。
やさしい、を、根っこから理解してない私がこう言うのは、変だろうか。
どうでしょう。私、的外れな事言ってますか……?
……ん。先輩、ありがとう。
私の口元が、歪んでる。どうしてだか抑えられない。止まらない。
分からない。でも、たったひとつだけ。これの原因は、お前だ。
お前が何を……とか、そういうのは難しい。難しい事だ。でも、うん。
……先輩。先輩。先輩。先輩。
お前を呼ぶと、気持ちがふわとろなんだ。ふわとろ。……なに笑ってる?
ふわふわでとろとろの略称に決まってるでしょうが。……お前ぇ。
…………は?
今、何て言った?
おい、お前、おい。
おま、おまえ、おい、やめろ、そういう言葉ってのは、おい、
ニャンコとか、ワンワンとか、ピョンピョンに使うものだろうか。
な、なに、なにを、私に、なぜ、かわ、か、かわわわわ…………。
あ……、い、や、別に、そん、そんな、私はだな、私はですね、
嬉しいとかそういう、あるわけないじゃないか。なあ、当然だろ。
おい……おい!
連呼をするな!
しつこいぞ!
おい、や、やめてっ……!
ひっ……ぃ、………………やめてよぉ。分かったからぁ……!
…………先輩。お前は、異常だ。異様だ。感性がクルクルパーだ。
もう手の施しようがない。脳ミソ根腐れしてやがるんです。この……、……。
なあ先輩。ワンワンには、足が四本ついてるだろう。
……ワンワンは、ワンワンですよ。足、四本。あるだろ。
……うん。そうだよな。私は間違ってない。
じゃあ、足が八本のワンワンはいると思うか。
いいから、答えてください。……そうか。うん。分かった。
お前の世界のワンワンは、足が四本だ。
私の世界のワンワンは、足が八本ある奴もいる。
……お前は必ず、話を聴いてくれますね。決して笑いませんね。
だからこうして、ずっと話してられるのかもね。
だって昨日までは……半ば、死んだようだったから。
空っぽなのに重たくて、嫌気がさしても逃げられなくて、それを十何年も。
でも、変わってきた。確かに分かる。実感がある。
先輩が私を、おかしくさせてる。おかしく、おかしく。
おかしいったらありゃしない。
ところで先輩、私ばかり話してませんか?
いや、うん、私、他人の事情なんて知ったこっちゃないんだけど。
でも先輩は……先輩だけは……。
ねえ。お前の話をもっと聞かせてください。もっと知りたい。もっともっと。
こんなに知識欲が熱くなるの、初めてなんだ。だから、その、ええと、……。
お前の全て、教えてください。