6. 明日になったら
トラック6
【ピロートーク】
〈通常マイク〉
(♩布団の衣擦れ)
…ふふ、大きな欠伸。 いい具合に体も疲れて、このままぐっすり眠りにつけるのではないですか?
…え…「私の声を聴きながら眠りたい」…?
…まさかそのようなお願い事をされるとは。
…いえ、喜んでお受け致します!
では読み聞かせ…ではありませんが、一つ、私の知っている物語を聞かせてあげましょう。
ある所に、一匹の黒猫がおりました。
その猫は、普段はそこらの猫と何ら変わらぬ姿で現世を奔放に生きておりましたが、
その実、体と魂を永遠のものに歪めてしまった妖(あやかし)、「猫又」でございました。
令和の時点では、黒猫は200年もの時を生きておりました。
ある日のこと。
黒猫が道端を歩いていると、突然前方から怒涛の勢いで大型犬が迫ってきました。
黒猫はその大型犬をかわすことはできたものの、
その拍子に道路を走っていた車にぶつかり、全身を地面に強く打ち付けてしまいました。
致命傷には至らずとも、妖の治癒能力を呼び起こせないほどに体の損傷は大きく、
黒猫は倒れたまま、ぴくりとも動けぬ状態になってしまいました。
道行く人は、その黒猫が怪我を負っていると気づいても、特に気にも留めず通り過ぎてゆく。
誰も助けてはくれませんでした。
数百年も生きていれば、そのようなことは世の常であると黒猫はわかっておりました。
忙しない生命活動の中で人々は、小さな命の顛末に重きを置く余裕などございません。
けれどこの固く冷たい地面に、痛む体のまま取り残されているのは、
いくら何年生きようともとても虚しく、悲しく感じることでした。
そんな時、一人の男性が、黒猫を優しくすくい上げてくれました。
男性は、黒猫を動物病院へと連れて行き、その後は家へと連れて帰り、温かい牛乳と美味しいご飯を用意して、
黒猫の傷が癒えるまで手厚く看病してくれたのです。
その時に、彼がしてくれた耳かきがとても気持ちよかったので、
黒猫は人にしてもらう「耳かき」が、この世で一番好きなものとなりました。
黒猫が元気を取り戻すと、自分の家では長く飼えないからと、彼は必死に里親を探してくれました。
しばらくして里親が見つかると、「もう一人じゃないね」と、自分のことのように喜び、笑顔で黒猫を送り出しました。
黒猫は、引き取られた後も彼の笑顔とぬくもりを何度も思い出しました。
そして、今度は彼を癒すべく、妖力を取り戻すと人に化け、彼の元に恩返しに向かったのでした。
…その表情は、お心当たりがあるようですね。
…そうです。 私は、3か月前に貴方が助けた黒猫です。
ふふふ、驚いたでしょう? 貴方が助けたのは、ただの猫ではなかったのですよ。
妖は不死身…それでも傷は、現世の生き物たちと同じように負うのです。
大概の傷は自らの妖力で治癒することが可能ですが、あの時の私にはそれが出来ないほどに衰弱しておりました。
もし貴方が手を差し伸べてくれなかったら、私はどうなっていたのだろう…。
たとえ妖でも、恐ろしく思います。
(抱きしめて)
旦那様。本当に、本当に…、ありがとうございました…っ
(キス、一回、深めに)
この2日間で、私の気持ちが全て伝わるとは思いません。
全く伝え切れておりません。
聞き苦しい言い訳をしてでも、もっと貴方のお側に居たいと、切実に思います。
…ですが、明日の朝にはもう、私はここをおいとましなければなりません。
「正体を知られたら、夜明けまでに消えなければならない」…
妖の世界の掟のようなものです。
本来なら、朝食をご用意してからお家を後にするつもりだったのですが…
貴方から離れるのが惜しく、素直に去ることが出来ませんでした。申し訳ありません。
ほんの少しでも、貴方と過ごすことが出来てよかった。
貴方にたくさん、あの時言えずにいたことを言えたから。
(優しく、あやす感じで)
…どうされました。 そのような哀しいお顔をされて。
私がいなくなる事が、寂しいのですか?
…私はただの迷い猫。 貴方の恋人でも、一夜だけの恋人でもない。
寂しくなんてないでしょう?
ただ貴方に助けて貰っただけの、猫なのですから。
…ですが、貴方が寂しく思うなら…私の恩返しが成功した証拠なのでしょうね。
…皮肉ですね。
私も…旦那様と同じです。
貴方と何かを重ねるたび、嬉しくて…心が満たされるのに、同時にどこかが枯渇していくのです。
寂しい、切ない、そういった気持ちがぶくぶくと生まれて、
「足りない」と思うことにどんどん追い打ちをかけてゆく。
ある日、貴方が何処かへ行ってしまって、私の目前にはいない時。
私は心の中で、貴方の名前を呼んでおりました。
その時まで、貴方の名前を心の中で、何度も何度も呟いていた事に気づかなかった。
無意識で、無自覚でした。
貴方に出会って、私は再び命を燃やされた。
胸に焦げ付くような甘い苦しみを思い出したのです。
私は貴方が、好きです。
正直に告白すると、旦那様を妖術で不老不死にして、
こちらの世界へ連れて行ってしまおうかとも企みました。
ですが…私の心を溶かしたのは、私を助けた時の、貴方の必死な表情。
思えば私は、人の懸命に生を燃やしている姿が好きでした。
それは、有限の命だからこそ惹かれる一瞬なのであって、
私などが操作して良いことではございません。
だから私は、貴方の行く末を、遠くで祈り、想うことにしました。
私が今貴方のお側にいるのは、貴方を「求める為」ではなく、貴方に「捧げる為」。
役目は果たしました。
今夜は貴方が寂しくないように、悲しくならないように、強く強く抱きしめて、一緒に眠りにつきます。
それが私からの、最後の恩返しです。
ぎゅううう…っ
…あの時と同じ、貴方の温度…。
私を抱きかかえてくれた時の、あの温度。
抱えきれずに溢れるほどの記憶を重ねてきている化け物だのに、
どうにも、あの光景と温もりだけは忘れられそうにないのです。
長生きだと、そのうち欲望が尽きるだろうと思っておりましたが、そんなものは間違いでした。
さぁ、そろそろ目を瞑って下さいませ。
大丈夫、朝が来るまではどこへも参りません。
ずっと貴方のお側におります。きっといい夢も見れます。
だから、安心して、お眠りくださいませ。
(口にキス、1回)
おやすみなさい。 …ずっと、大好きでした。これからも貴方を想い続けます。
だから…いつか、またどこかでお会いできたら…。
旦那様、良い夢を。