Track 9

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妹の部屋

9  十七日目 「妹の部屋」  風呂上り。  歯を磨いて私室に戻る途中、廊下の角に人影が見えた。  人影とか言っても、所詮は実家の中。人物は決まってる。 【優衣】 「あ」  手を上げてくる。 【兄】 「どうした」 【優衣】 「歯磨きしてたの?」 【兄】 「お前はいつもそれを聞くな」 【優衣】 「えー? くすっ、だって兄さん、昔は全然歯磨きをしようとしなか  ったじゃない? だから、確認するのがクセになってるの」 【兄】 「何がくるしゅうて妹に歯磨きの確認をされにゃあかんのだ」 【優衣】 「まあまあ。誰のお陰で習慣付いたと思ってるの?」  それはそうだが。 【優衣】 「リビング?」 【兄】 「いんや」 【優衣】 「じゃあ……寝る?」  一緒に、ということだろう。 【兄】 「……寝る」 【優衣】 「……くす、はーい」  廊下は肩を並べて歩けるほど広くはない。  俺と前後して、優衣がついてくる。  会話はない。  言葉を交わさなくとも、気の合った者同士では気まずさは生まれな  い。  生まれないが、これからのことを思うと心は落ち着かない。  期待感、だろうか。  部屋の前についた。  目配せをする必要はない、部屋に入ろう。 【優衣】 「じゃあ、私は部屋で寝るから」 【兄】 「え」  素の声が出た。  数歩先に進む優衣に目を向ける。  ぴたりと止まると、肩に掛かる髪をなびかせて踵を返した。  その顔。  優衣の顔。  それを見たとき、俺は自分が作っている表情に後悔した。 【優衣】 「んふふっ」 【兄】 「くそ」 【優衣】 「あらら~? どうしたの? そーぉんな顔をして」 【兄】 「してない」  今はね、と返される。 【優衣】 「私が添い寝しないって言ったのことに、ショックを受けちゃった?」 【優衣】 「期待してたのを裏切られて、くすっ……残念だって思っちゃった?」 【兄】 「……知らん」  勝手に入ろうとする。 【優衣】 「あー、待ってっ。もう、勝手に部屋に帰ろうとしないで」  急いで俺の許に駆け寄ると、袖を握ってきた。 【優衣】 「まだ話の途中」 【兄】 「俺はもう終わった」 【優衣】 「なに拗ねてるのよ……」 【兄】 「拗ねてねえ」 【優衣】 「……ほら、こっち。中に入らないで」  まだ何の話があるというんだか。  仕方なく、半身で入っていた部屋の扉を閉める。 【兄】 「……」 【優衣】 「……」 【兄】 「なんだ」 【優衣】 「……兄さん?」 【優衣】 「今日は、私の部屋で寝ない?」 【兄】 「……」  意味が分からなくて変な声が出た。 【兄】 「……なんでお前の部屋で寝なきゃならんのだ?」 【優衣】 「またには気分転換に。くすっ、思えば、あまり兄さんを部屋に招い  たことなかったし」  それは……そうだ。  用事があっても、優衣の部屋の中には入らない。  リビングで待ち伏せする策を取っていた。  優衣が小さいころは気にせずにずかずかと入ってたものだが、成長  してからは……なんというか、入りづらくなっていた。  なんていうか、もう子供の部屋じゃなくなってるんだよな……。 【優衣】 「ね? いいでしょ?」 【兄】 「……」  まあ、こいつから招かれたなら仕方ないか。  別に拒否をする理由はない。 【兄】 「……わかった」 【優衣】 「……」  なにかほっとするような顔。  断られるとでも思っていたのだろうか。 【優衣】 「じゃあ、こっちに」  そのまま手を引かれていく。  ……  扉を開けて部屋に入っても、優衣は電気を点けずに足早に進んでいく。  何か隠したいものでもあるんだろうか。  こいつは平気かもしれんが、俺は足元が気になって仕方ない。  部屋の端までつくと、優衣は布団を捲ってぽんぽんと叩いた。  ここがベッドですと言うように。  そしてパジャマの裾を握ったままベッドへ登り、ぐいぐいと引かれ  るままに後追いでベッドに乗った。  ベッドには大量の枕があり、いくら寝返りを打っても大丈夫そうな  環境だ。  適当な位置に頭を下ろすと、ぼふっと枕が潰れて空気が洩れた。  その空気を嗅いだとき、俺は部屋の雰囲気を強烈に覚えることにな  る。 【兄】 「……これは」  心臓がどくどくと跳ねる。  なんだこの香り。  よくよく鼻を利かせてみれば、部屋中から匂ってくるじゃないか。 【優衣】 「どう? 枕の高さは合ってる?」  能天気なことを訊いてくる。 【兄】 「……まあ、大丈夫だ」  適当に答えた。  高さなど考えてられない、この匂いをどうにかしたい。  優衣は『人間の鼻は匂いになれて無臭と錯覚するようになる』と言  っていた。  ならば早くその段階になってくれ。股間に響く。  ――まさか、媚薬!?  なわけないわな。 【優衣】 「ん……。どうしたの?」 【兄】 「……なにがだ」 【優衣】 「そわそわしてる」  目敏い。 【優衣】 「……緊張してる?」  一瞬微笑んだかと思うと、そんなことを訊いてくる。 【兄】 「……そんなはずがあるまい」 【優衣】 「んふふー……そっか」  あまり深くは聞かまい、ってスタンスだ。  有り難い。 【優衣】 「兄さんが私の部屋にきたのって、いつぶりかしら」  話題を振ってくれる。  気を紛らわすのには丁度いい。えっと……いつぶりいつぶり……。 【兄】 「中…………小までは遡らないか」 【優衣】 「あー、そのくらいかあ。中学のころって言われると、  もう何年も前……ふふっ、遠い昔みたいに聞こえる」 【兄】 「そんなに昔じゃないだろう」 【優衣】 「学校生活という意味ではそんなに昔じゃないわ。  ……でも、兄さんとの思い出って意味では、すっごく遠い」 【優衣】 「っていうか、憶えてないってだけね。  毎日、些細なことから大きなことまで色々あったから」 【兄】 「そういうもんか」 【優衣】 「そういうもんよ」 【優衣】 「子供のころの話なんて、あまり憶えていないものでしょう?」 【兄】 「現時点で子供だ」 【優衣】 「私を子供扱いすなっ」  胸を突かれる。 【優衣】 「……もう結婚だってできるし、子供だって産めるんだから」  な、生々しいことを。 【優衣】 「私が子供だっていうなら、兄さんも子供ねー。二十歳超えた子供。  うわー、恥ずかしいー」 【兄】 「俺は社会的観点から見ても大人だ。お前には敵うまい」 【優衣】 「……ふん、よく言うわ」 【優衣】 「私に甘えてるくせに」 【兄】 「……甘えて……ないデスよ?」  甘えてない……よな。  自立してるし。  それとも、優衣と俺で『甘える』という概念についての齟齬でもあ  るのか。  うむ、そうとしか考えれんな。 【優衣】 「兄さんさ」 【優衣】 「ずっと、私の部屋に入るの敬遠してるみたいだけど、どうして?」 【兄】 「あー、気付いてた?」 【優衣】 「気付いてるわよ。私に用事があっても、絶対に部屋には来ないじゃ  ない」 【優衣】 「リビングのソファに座ってたのに、私が下りてきたら用件を言うな  りさっさと上がってくんだもの。バレバレよ」 【兄】 「……」  洞察力が鋭すぎる。 【優衣】 「ねえ、どうして? なにか嫌な思いでもさせた?」 【兄】 「あ、いや……そうじゃない」 【優衣】 「違うなら、なに」 【兄】 「……」 【兄】 「雰囲気が、な」 【優衣】 「雰囲気? 部屋の雰囲気?」 【兄】 「そう、それが……な」 【兄】 「あるときから、もう子供のそれじゃなくなっててさ」 【優衣】 「……よくわからない」 【兄】 「だから、あー」  流石に全部は読み取れないか。  直接的に言うしかない。 【兄】 「お前が成長して、もうガキじゃなくなったって思った境に、部屋そ  のものも子供じゃなく、女性の部屋って感じがしてな」 【兄】 「入りづらかった」 【優衣】 「え……」  大きな目を見開いた。 【優衣】 「な、なによ、それ」 【優衣】 「私のことを子供と見れなくなったから、女性の部屋に入るのを躊躇  ったって……」 【優衣】 「それって、兄さんは、心の奥では私のこと子供なんて思ってないっ  てことじゃない……」 【兄】 「あー、まあ、そうっすね」 【優衣】 「なんでそんなくだらない嘘ついたのよー……」 【兄】 「出来心?」  呆れた目で見られた。 【優衣】 「……まあ、本当に子供って思ってたらあんなことしないわよね。  ロリコンってことになっちゃうし……」 【優衣】 「まあ、わざわざそんなこと言われなくても、なんとなくはわかって  たけど……でも、……そっか」 【優衣】 「私のこと、女性だって思ってくれてたんだ……」 【兄】 「そりゃそうだろう。男なんて思っちゃいない」 【優衣】 「そういうことを言ってるんじゃないのっ。当たり前でしょ、男じゃ  なくて女と思ってるなんてのはっ。そうじゃなくてっ……」 【優衣】 「……もういい。たぶん、兄さんにはわからないと思うから」  顔半分を枕に埋めてしまった。  俺にはわからない、優衣なりの事情があるのだろう。  知りたいような気もしたが、どうせわからないと突き放されては仕  方ない。 【優衣】 「……私が女性らしくなったからって、どうして部屋に入ろうとしな  かったの?」 【兄】 「あー……」  どうしてだろうか。  子供なら大丈夫で、女性なら駄目。  どういう理由かって言われても、感覚的な部分だから説明し辛い。  言いあぐねていると、優衣が口を切る。 【優衣】 「フェロモンを感じるから……?」 【兄】 「は」 【優衣】 「むらむら……するから?」 【兄】 「な、なにを仰るのかな」 【優衣】 「……むらむら、してるの?」 【兄】 「……してないです」 【優衣】 「ふうん……してないの?」  念を押すように訊かれる。  黙ることにした。 【優衣】 「……」 【優衣】 「確かめちゃおっかなー……」  息が掛かるほどの耳元で囁かれる。  ズキンとした甘い痛み。  やばい、普通に勃った。  思い出したように鼻腔をくすぐる甘い香り。  体内に入り込んで思考を鈍らせ、逸物をさらに肥大化させる。  びくびくと震えるたびに布に擦れて、甘い痺れをまとわせる。  優衣はさらに近づき腕に抱き付くと、すぅぅ……息を吸って、 【優衣】 「ふーっ」 【兄】 「っッ」 【優衣】 「くす、びくってしたー」  遊んでやがる。 【兄】 「ガキか」 【優衣】 「んー……んふふ」 【兄】 「……何が楽しいんだか」 【優衣】 「ん~ぅ? 別に楽しくないわー。……くすくす」 【兄】 「笑ってるのに?」 【優衣】 「そうよ。ぜんっぜん楽しくないわー」 【兄】 「あっそ」  触れてもいないのに酷く勃起したものに気付かれるという無様なマ  ネはごめんだ。  確かめられないために、優衣には興味などないようにあしらう。 【優衣】 「……」  唸りながらもぞもぞとしている。 【優衣】 「そりゃ、くすぐり攻撃~っ」 【兄】 「ちょ、な、なに、なになに」  腕を極められて抵抗しようにもできない。  というか胸! 胸の感触やばいっす! 【優衣】 「ん~~? なんでもないわよ~~? そりゃそりゃ、うりゃ~あ」 【兄】 「聞けっ、聞けっ、でかい声でたらどうすんだお前っ……!」 【優衣】 「ん~、ん~? くすくすっ、兄さんは脇腹が弱いのかしら~?  こしょこしょ~っ、こしょこしょこしょ~っ」 【兄】 「どっせい!」 【優衣】 「うぁ。あらら、両手奪われちゃった」 【兄】 「……今日は一段と悪い子みたいだな」 【優衣】 「えー? くすっ、悪い子なら……どうなの?  …………お仕置きしちゃう?」 【兄】 「そんな歳じゃないだろ、馬鹿」 【優衣】 「くす、ふふふっ」  何がおかしいのか優衣は笑った。 【優衣】 「……どうしたの?」 【兄】 「なにが」 【優衣】 「じっと人の顔見てる」 【兄】 「向き合ってるだけだろ」 【優衣】 「そう? ……それにしては、手を離してくれないわけだけど」  返事に窮す。 【優衣】 「……なにか、私に……言いたいことでもあるのかしら?」 【兄】 「……言わなくてもわかるだろ」 【優衣】 「ううん、私はなーんにもわからない。  ……兄さんが、ずぅーっと……私の唇を見てること以外は」  調子に乗ってるな。  確かに、この微妙な関係は常に優衣が上位に立っている。  日常生活と同じで、俺をからかって手駒に取るのを楽しんでいる。  今さら過ぎて、それに対して腹を立てるってことはない。 【優衣】 「……ん? ……どうしたの、兄さん」 【優衣】 「言ってくれなきゃ、したくてもできない……」 【優衣】 「兄さん……? 私に……なにをしてほしいの?  私と……なにをしたいの?」 【優衣】 「ほら、言って?」 【兄】 「……口で」 【優衣】 「んー? 口で?」 【兄】 「口でしてくれ」 【優衣】 「…………くすっ。はーい、わかった」 【優衣】 「じゃあ……パジャマ脱いで?」

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