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プロローグ

科学の曙光(しょこう)で退屈の闇を駆逐せよ。 無為は悪なり、娯楽は善なり。 幸福の追求という至上命令をけん引する両輪。 一つはハード、携帯端末は発達して寸暇に入り込み。 一つはソフト、誰もが発信者となれる環境は、コンテンツの多様性を爆発的に増大させた。 産めよ、増やせよ、電脳世界に満ちよ。 世は、大エンターテイメント時代。 そして今、一つの悪が打ち倒されようとしていた。 布団に入ってから眠りに落ちるまでの時間。 それは、ゲームや動画には向かない時間。 明るい光は意識を覚醒させ、眠りの質の低下を招き、翌日に障ってしまう。 集中力の低下は仕事や勉強の効率の低下にも、そして何よりエンタメの満足度の低下にも繋がる悪である。 故に、かつては布団の中では音声作品が嗜まれてきたが、より良い物を追求するのが資本主義、消費社会、自由経済、そして科学の徒の習わしである。 そんなこんなで白羽の矢が立ったのは、『千夜一夜物語』の語り部、シェヘラザード。 「マスターのご命令とあらば」 現代サブカル的サムシングによって召喚された伝承の語り部は、うやうやしく一揖(いちゆう)した。 顔を上げると、目を伏せてフッと微笑してみせる。 宵も過ぎて更ゆく夜を閉じ込めたような、ラピスラズリ色の瞳が深い知性を感じさせた。 かすかな衣擦れの音を残し、ベッドに入ると、そっと耳に口を寄せる。 薄い唇から紡がれる囁きは、砂漠の夜に吹くそよ風のように涼やかで、サラサラと流れる砂やシュロの葉擦れの音、異国の宵に長くさえずる小夜啼鳥(サヨナキドリ)の声を運んで来るようで耳に心地良い。 それは、魔法や魔神が息づく不思議な世界の話。 生き生きとした語りの巧みさは、まるでそれ自体が魔法の如くで。 「マスター、今宵のお話はいかがでしたか?」 語りを終えたシェヘラザードは、惣闇色(つつやみいろ)の髪をかき上げてクスリと笑った。 それは不思議な話だった、とても不思議で……不思議なだけで、全く面白くなかった。 なまじ語りが上手いだけに、内容の稚拙さが際立って、一層残念だった。 悲しいかなエンタメの進歩は、碩学(せきがく)な王妃の話を陳腐にしてしまっていたのであった。 その反応は、シェヘラザードのプライドをいたく傷つけた。 「ひ、ひと月のおいとまを頂けますでしょうか?」 タブレットを一台与えられ、シェヘラザードの現代文化缶詰め生活が始まった。 そして、ひと月後。 シェヘラザードは、濃いクマをこさえた眼を輝かせながら切り出した。 「今宵お話致しますのは、AFでございます」 「AF?」 聞きなれないジャンルに問い返す。 「Alcamy Fiction(アルケミー・フィクション)、空想錬金物語でございます。ふふっ」 かくして、新たな『千夜一夜』の帳が落ちる。

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