催眠導入パート
ん…… もしもーし、聞こえます?
ん、おっけー。
こんにちは、ええと……わかってらっしゃると思うんですが。
一応。
わたしは、ウェブ催眠術師みたいなことやってる者です。
よろしくね。
今日は、催眠を体験したいということでしたよね。
でしたら、まずは催眠体験コースをやってみましょう。
うまく行ったら、そのまま、気持ちいいこともしてあげますね。
うまく行かなかったら……いえ、うまく行かなくても、気にしないで、そのままお付き合いいただけるといいですね。
どうしても気になるのであれば、体験を飛ばして、やり直すのもいいかもしれません。
それじゃあ……ちょっと用意、しましょうか。
まず、お布団の上が良いですね。
対面で掛けるときは、椅子を使うことが多いんですけど……
催眠に掛かると、ふわーって気持ちよくなって、かくーっと倒れちゃったりするんですよね。
立ちくらみを起こしたみたいに、どさって落ちるの、すっごく気持ちいいんですよ~。
でも、通話だと倒れた時に支えてあげられなくて……
だから、ベッドや、お布団がいいですね。
首に負担がかからないよう、枕もちゃんと使ってください。
イヤホンや、ヘッドホンで聞かれていると思いますので、コードが引っかからないようにして下さいね。
それから、部屋は落ち着けるように。
秒針の音が大きい時計とか、暑すぎたり、寒すぎたりとか、よくありません。
服装は、眠るときのような、ゆるい服で。
ベルトとか、ブラジャーとかは避けてください。
最低限、パンツとシャツのたぐいは身に着けておいてください。
お布団は、掛けていてもいなくても、どちらでも大丈夫。
楽な方でいいですよ。
用意します?
大丈夫?
用意するのでしたら、通話を一度切って、済ませてきてくださいね。
終わったらまた、通話をかけてください。
待ってますからね。
……大丈夫?
わかりました、それじゃあ、始めましょう。
そうですねー……催眠って、どんなイメージですか?
えっちなイメージあります?
んー、まあ、うまくいったらそういうのもやってあげますけどー。
例えば、自分の名前を忘れてしまう催眠とか、聞いたことありません?
ああいう暗示って、結構多くの人に入るものなんですよ。
でも、催眠って掛かり方も人それぞれで、ある人は完全に覚えておらず、自分の名前もわからなくて、うろたえる。
ある人は、暗示を掛けられたことも覚えているのに、ど忘れしたように、名前だけが思い出せない。
ある人は、自分の名前ははっきり覚えているのに、聞かれたら何故か、答えることができない。
声に出せない。
忘れたことになっているから話せないの。
ある人は、かかってない、演じているだけだと言います。
でも結局、普段では考えられないことをしてしまっている。
面白いでしょう?
だから、わたしの言葉をどう受け取るのかも、あなたがどんな風になるのかも、あなた次第。
全くかかっていないなんてことはまずないです。
通話催眠は、二人で作る楽しい劇のようなもの……
あなたとわたしの形のまま、楽しみましょうね。
話が長くなっちゃったかな。
手足がゆったり脱力して、少し眠たくなっていて……
ふふ、いいですよ。
目を閉じてください。
そう。目を閉じる――目を閉じると、真っ暗ですね。
まっくら。何にも見えない。
でも、おかしいよね。
目を閉じているなら、あなたの目の前には、まぶたが下りているはず。
あなたには、まぶたの裏側が見えているはず……
でも、何も見えないね。
それは真っ暗だから。光が入らないから、何も見えない。
なるほど、ですね。
そんな閉じたまぶたの内側には、あなたの目があるよね。
いつもと同じ目があるはず。
ちょっと実験、目を閉じたまま、右を向いてみて。
はい、右ー……。
できるよね。目を閉じていても、右を見ることができる。
何にも見えないけど、目は確かに右を向いている。
次は左。簡単でしょ? 左ー……左を見ている。
次は下。はい、下ー……おへその方をじーっと見る。
最後に上。おでこの上に、わたしの手をイメージして。
おでこの方をじーっと見るよ。わたしの手が下りてくる。はい、上ー……
3つ数えると、わたしの指があなたの額に触れる。
3つ数えておでこを押さえると、あなたは目を開けられなくなるよ。
ほら、ひとつ、ふたつ、みっつ、はい!
ぐっと額を押される、目があかない。
あけようとしてもまぶたがプルプル震えるばかり、ひきつってひらかない。
ね、あかないよね。
……どう? 信じた?
はい、3つ数えると力が抜けて、目が開けられるようになる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、はいっ。
もう大丈夫ですよ。
……ふふ、不思議でしょう?
催眠で不思議なことが起こるのは面白い。
不思議なことが起こるたび、あなたはどんどん深い催眠に落ちていく。
とっても楽しいよね。
あなたはどうやら、催眠に掛かるのが上手みたいですから……
その優れた想像力をお借りして、もっと気持ちのいいところへ行きましょう。
あなたは今、仰向けに寝転がっている。
想像の世界を楽しむために、ゆっくり深呼吸をしましょうね。
吸ってー……
吐いてー……
吸ってー……鼻からすぅっと吸って……
吐いてー……口から抜けるまま……
吸ってー……頭がすっと涼しくなる……
吐いてー……体がふっと温かくなる……
吸ってー……真っ白な光を感じる……
吐いてー……真っ暗なところへ落ちていく……
吸ってー……
吐いてー……
はい、元通りの呼吸に戻していいですよ。
とはいっても、すぐに戻せ、と言われても難しいものですから……
気にしないでいれば、いつのまにか、穏やかなリズムに戻っていると思います。
あなたは今、映画に集中しているときのように、イメージを司る無意識の力、想像の力が強い状態になっています。
あとはその力を少し借りるだけ。
あなたは今、仰向けに寝転がっている。
目は、開いているなら、閉じてしまいましょうね。
目を閉じていても、まぶたの向こうに光を感じる。
あなたの真上に、高く上った太陽。
そう、青空に登った太陽が、さんさんとあなたに照り付けている。
暖かい。
おでこ、頬、胸、腕の表側、おなか、ふともも、すね……
体の表側がまんべんなく温められる。
じりじりと温められる。
不快な暑さではなく、心地よい暖かさ。
あなたの背中は、柔らかいものに支えられている。
あなたの身体の形にへこんで、負担を掛けずに受け止める。
それは太陽に温められて、ほら、背中もじわーっと温かい。
そう、砂。
あなたはきめ細かい、真っ白な砂の上に寝そべっている。
あなたは、砂浜で横になっている。
遠くからは、ざざー……ん、ざざー……ん、と、波の音。
耳を澄ましていると、ざざー……ん、ざざー……ん。
同じリズムで繰り返す、波の音に心を奪われる。
ざざー……ん、ざざー……ん。
寄せて返す波の音は、あなたの考えていたことを浚っていく。
砂のお城が崩れて流されるように、何を考えていたのかわからなくなっていく。
時間の感覚さえも流される。
同じリズムの波の音。
どれほどの間聞いていたのか、わからなくなっていく。
いつのまにか、あなたの足元、すぐ近くにわたしが立っている。
わたしはその場で屈んで、両手で砂をすくって、あなたの足にかけていく。
あなたの右足のつま先、その真上から、さらさらさらー……。
きめ細かい、温かい砂が、足の指の間を通り、足の甲を滑り下りて、くるぶしの横を回り、さらさら、さらさら、細い筋になって落ちていく。
くすぐったい、温かい、何だか気持ちいい。
ほら、もう一回。
さらさらさらー……。
ぞくぞくするような、気持ちのいい感覚。
今度は左、さらさらさらー……。
気持ちよくって、うっとりしていると、意識が遠くへ、離れていく。
ざざー……ん、ざざー……ん。
波の音を聞いていると、時間の感覚がわからなくなる。
ざざー……ん、ざざー……ん。
ずっと、こうしていたような。
ざざー……ん、ざざー……ん。
は、と気が付くと、わたしの手はあなたのお腹の上から、砂をかけようとしています。
ほら、さらさらさらー……。
おへそに砂が少し溜まって、左右に分かれ、脇腹をくすぐるように、きめ細かい砂が落ちていく。
気づけば、腰から下はもうすっぽりと砂の中。
あなたの下半身全体が、大きな砂山に埋まっている。
じわー……っと温かくて、とっても気持ちがいい。
脚を動かそうとは思わないよね。
だって、そんなことをしたらこの、せっかくの気持ちいい砂の山が崩れてしまうから。
じんわりと気持ちよくて、あなたは動こうなんて気が起きなくなっている。
さらさらさらー……。
お腹だけでなく、手の先も。
右手に、さらさらさらー……。指の間から砂が落ちる、くすぐったい感触。
左手も、さらさらさらー……。むずむずして、気持ちいい。
気持ちいいと、
ざざー……ん、ざざー……ん。
ほら、また。
ざざー……ん、ざざー……ん。
波の音が、あなたを洗い流していく。
ざざー……ん、ざざー……ん。
ぼうっとして、ただ、うっとりと、恍惚に浸る。
さらさらさらー……。
胸元に砂の感触。いつの間にか、胸から下がすっぽり砂の中。
くすぐったくて、思わず深い息をすると、お腹が上下に動いて、砂山の内側が少しだけ崩れる。
お腹のあたりに、小さな砂の流れ。
いくらか汗を吸った砂が、さらさら、こぼれる。
くすぐったい。気持ちいい。
お腹の上の砂に、ひび割れができちゃったね。
直してあげる、ほら、さらさらさらー……。
はい、これで大丈夫。
また、胸の上あたりに、ほら、さらさらさらー……。
鎖骨のみぞを通って、さらさら、落ちていく。
首にもほら、さらさらさらー……。
気持ちいいよね。
ざざー……ん、ざざー……ん。
ぼうっとしているうちに、砂はどんどんあなたの顔まで覆っていく。
この砂はあなたを気持ちよくしてくれる砂だから、顔が覆われても苦しくはないよね。
ただ、気持ちいい。
ほら、さらさらさらー。
こっちも、さらさらさらー。
ざざー……ん、ざざー……ん。
わたしが、数を10から0まで数えます。
数が小さくなるごとに、あなたはどんどんこの気持ちいい砂の中へと飲み込まれていく。0になると、あなたはすっぽり砂の中。
気持ちのいい、催眠の中へ、落ちてしまうことができる。
わたしが10数えると、あなたはわたしの催眠にすっぽり入ってしまうよ。
10、9、8、7……さらさらさらー……。気持ちいいね。
6、5、4、3……ざざー……ん、ざざー……ん。洗われる。
2、1、0。
――するする、さらさら、沈んでいく。
渦になってあなたを飲み込んでいく砂は、いつの間にか甘くてとろーっとした液体になっていて、優しくまとわりついて、あなたを下へ、下へと、誘ってゆく。
ほら、……とぷん。
沈む。
真下に静かに、こぽ、こぽ、沈んでいく。
なにもかも遠くへ離れていく。気持ちいい。
静かで、甘くて、ただ幸せな場所へ。落ちる――。
静かで、暗くて、気持ちいいところ。穏やかな安らぎの世界。
わたしの言葉に従うことで、こんなに気持ちよくなることができた。
わたしの催眠で、幸せになることができた。
だからあなたは、わたしの声を、心の奥の奥にある、大事な部屋まで招き入れることができる。
普段は鍵をかけて閉めている扉が開き、ひらひらとカーテンが揺らめいている。
わたしの声は、あなたの心の奥までするする、するする、入っていく。
カーテンを手で掻き上げると、ぞくぞくっと気持ちいい感覚。
ここは、あなたが今まで生きてきた中で得た、常識がしまってある部屋。
ここに入っているものは、あなたにとって当たり前のことばかり。
その当たり前に、わたしの声が紛れ込む、混ざってしまう。
ほら、もうわからない。
もともとあったものなのか、わたしが置いて行ったものなのか、もう区別が付かなくなっちゃった。
あなたにとっては全部同じ、当たり前のこと。
あなたの常識そのもの。
人間は食事をしないと生きられないとか、煮えたお湯に触ると熱いとか、わたしの声は気持ちいいとか、両手の指は十本あるとか、わたしの言うことは全部本当になるとか、立ち上がるときはひざを曲げるとか、催眠で不思議なことが起こるのはとっても楽しいとか、いちいち意識しない当たり前のこと。
わたしが3つ数を数えると、あなたはすっきりと目を覚ます。
もしかすると、目を覚ましてもわたしが言ったことを覚えていないかもしれません。
もし覚えていても、全然気になりませんよね。
だって、当たり前のことをいちいち考えたり、気にしたり、しませんよね。
だから、この気持ちいい世界でのことは、覚えていないかもしれないし、覚えていても気にならない。
ただ、当たり前になっている。わたしの声は気持ちいい――。