Final 「別れ」
夜になった。
【セシリア】
「本当に、このような時間に出発するのですか?」
玄関の前で、セシリアと向き合う。
夜風が服の隙間から入り込む。
今晩は涼しくなりそうだ。
【男】
「あぁ」
【男】
「無駄に知名度を上げてしまったからな。町を夜逃げするようにしな
いと、こんな荷物じゃ話し掛けられてしょうがない」
【セシリア】
「夜盗も出ますのに……。大荷物を抱えて、夜道を歩くだなんて……
危険です」
【男】
「なに、今日は満月だ。それによく晴れてる」
【男】
「月光があれば、言うほど危険じゃあないさ」
【セシリア】
「……満月……。確かに、夜道にしては明るいですが……しかし――」
【男】
「心配性だな。夜盗如きにやられはせん」
【男】
「一介の冒険者とて、自分の身も守れないで何が冒険者だ」
勇者を護れなかった、一介の冒険者。
自分の身も護れず、勇者の命を代償に生き延びた。
セシリアにとって、俺は憎き相手だろう。
いや、憎き相手だったはずだ。
最初は俺を恨み、殺さん勢いだったセシリア。
初めての夜、俺に食って掛かったこともあった。
自分の感情を押し殺し、冷静に現実を正当化して、セシリアは自我
を保っていた。
なにが機転になったのか、セシリアが俺に笑顔を向けるようになっ
た。
そこからだ、俺がセシリアの『憎き相手』から離脱したのは。
今や俺は、セシリアに町に留まるよう説得されるほどの立ち位置に
なっていた。
随分と出世したもんだ。
【セシリア】
「……」
【セシリア】
「はい、そうですね。貴方は“一介”の冒険者ですから、自分の身は
自分で……お護りになられます、よね」
【セシリア】
「貴方は、本当はお強いのですから、無茶をしなければ……大丈夫で
す」
【セシリア】
「夜盗に囲まれても、きっと無事に切り抜けられるでしょう」
うん?
【男】
「俺は、お前に剣の腕を見せたことがあったか?」
【セシリア】
「……くすっ。剣の腕は……拝見したことはありませんが、……なん
となく、解ります」
【セシリア】
「きっと貴方は、世界をお救いになられるほど、お強いはずです」
【セシリア】
「違いますか?」
神妙な顔をして、笑みを浮かべるセシリア。
【男】
「……」
【セシリア】
「……」
居心地が悪い。
たっぷりと間を作ると、セシリアは目を閉じた。
【セシリア】
「……貴方に、こんなことを言われましたね」
【セシリア】
「『勇者殿がいない事実だけに囚われるのはやめて、勇者殿が救おう
と思ったこの町を、ひいてはこの世界を護ることに注力しなさい』」
【セシリア】
「『残された貴女に課せられたのは……勇者殿を思い、立ち止まるこ
とではなく……』」
【セシリア】
「『勇者殿の遺志を継ぎ、前を向いて、足を踏み出すことにある』、
と」
目蓋を上げる。
【セシリア】
「私は、そのお言葉に応えられたでしょうか?」
【セシリア】
「……いえ。私自身は、応えることができたと自負しています」
【セシリア】
「います……が」
伏せた睫毛が、月の光に煌めく。
【セシリア】
「私は……貴方を見て、また……足を止めようとしています」
【セシリア】
「勇者様と、好き嫌いや感性が似ていて……」
【セシリア】
「纏っている雰囲気も、匂いも、温かさも、どこか似ている貴方に…
…勇者様の面影を重ねて……っ」
【セシリア】
「またっ、踏み出すことを、躊躇っています……っ!」
【セシリア】
「……いいえ。私自身は、貴方と勇者様を重ねて見てしまっているこ
とに、間違いは感じていませんっ」
【セシリア】
「むしろ、この世界で生きていく大きな理由を見つけたとさえ思って
います!」
【セシリア】
「ですがっ……」
【セシリア】
「ですが……、貴方には……怒られてしまうと思います」
【セシリア】
「似ているだけとは言え……亡くなってしまった人を、いつまでも追
いかけるようなことを言う私を……きっと、叱るはずです」
【セシリア】
「……叱ってくれるはずです」
セシリアは、勇者という支柱を失っていた。
彼女を立ち直らせるためには、支柱を失ったことから目を背けず、
新たな支柱を見い出すことにあった。
だから、失望していた彼女に俺は言い続けた。
――『勇者を忘れろ』
『死んだものをいつまでも追いかけるな』
『お前は、この町を護っていくんだ』
『それを、使命にして生きていけばいい』――。
そして、彼女は立ち直った。
新たな使命を受け、それを生きる糧にして、彼女は再び前を向いた。
その彼女が今、勇者の亡霊に目を奪われている。
彼女は、また足を止めようとしているんだ。
【セシリア】
「だから、……お願いがあります」
だから、セシリアはお願いする。
【セシリア】
「今から私の言うことを、拒絶してください」
自分の弱さを打破する言葉を。
【セシリア】
「きっぱり、諦めさせてください」
立ち止まりかけた背中を押す力を。
【セシリア】
「そうすれば、きっと……踏ん切りが付くと思うんです」
そのすべてを、この俺に……託したんだ。
きっかけを作るため、彼女は……自分の心に鞭打つ覚悟をした。
これは一つの儀式みたいなものだ。
彼女は、別に俺の後押しがなくとも、力強く生きていけるはずだ。
本来、彼女は弱い人間ではない。
むしろ、人一倍強い子なんだ。
立ち止まったとしても、完全に自我を失うことは決してない。
いずれ、その足を自ら動かすはずだ。
だから、彼女の望む『俺の言葉』に必要性はない。
これはただの、儀式に他ならないのだから。
だが……。それで、彼女が気持ちよく俺を見送ることができるなら。
俺は……
【セシリア】
「……」
瞳を閉じ、一呼吸するセシリア。
重たげに目蓋をこじ開け、俺を見据える。
【セシリア】
「……あの」
【セシリア】
「これからも、一緒に私と……暮らしていただけませんか?」
これは、儀式だ。
【セシリア】
「ずっと、この町で……共白髪の末まで、いてくれませんか?」
返事は、始めから決まっている。
【セシリア】
「私が躓きそうになったら、また……前のように、手を差し伸べて…
…」
【セシリア】
「……っ、立ち止まりそうになったら、そっと優しく……背中を、押
してくれませんか……?」
セシリアの言葉に、嘘はない。
全部、本当の言葉だろう。
【セシリア】
「ずっと……ずっと、私を……支えてくれませんか……?」
それでも、俺の返事は……
【セシリア】
「私は……、わたしは……。貴方のことが……――」
【男】
「すまない」
なるべく優しい笑みを含ませて答えた。
【セシリア】
「――あ」
【男】
「それはできない」
約束だから。
これが、彼女の望みだから。
彼女が強く、逞しく生きていくために必要なことだから。
【セシリア】
「…………そう、です……か」
沈痛な表情で目を伏せる。
彼女にも解っていたはずの返事だ。
自分自身が頼み、懇願した返事なんだ。
だから……そんな顔をしなくてもいいだろう。
まるで、違う返事を期待していたみたいじゃないか。
【セシリア】
「あは、はははっ……。断られては、仕方……ありません、ね」
【セシリア】
「……ん。これでいいのです……これで……」
【セシリア】
「いつまでも勇者様の面影を追いかけていては、貴方に……嫌われて
しまいますから」
【セシリア】
「きっと、この想いも……『貴方自身』ではなく、『勇者様に似てい
る貴方』に向けられたものでしょうから」
【セシリア】
「だから……いいのです。これで」
【セシリア】
「これで……いいのです」
自分に言い聞かせるような物言い。
無理に微笑む姿が胸に苦しい。
【セシリア】
「……さようなら」
月明かりに照らされた容色。
儚い美しさに、目を奪われる。
【セシリア】
「さようなら。旅人のお兄さん」
【セシリア】
「短い間でしたけど、とても有意義で……楽しい時間でした」
清々しい笑みを湛えるセシリア。
【セシリア】
「……さようなら」
【セシリア】
「さようなら。……勇者様」
それは俺への言葉ではあったが、『俺』というよりも、『セシリア
から見た俺』に向けたものだった。
【セシリア】
「今度は、果敢なくならないように……精一杯、己のために生きてく
ださい」
【セシリア】
「新たな人生を、どうぞ謳歌してください」
【セシリア】
「そこに、私がいなくとも……私は」
【セシリア】
「貴方を、応援しています」
【セシリア】
「どうか……」
【セシリア】
「……ご達者で」
――空には満月が浮かんでいた。
終わりの時を告げる月が、俺の姿を照らす。
仮初めの身体を、溶かし尽さんとする光――。
約束の時が近づいていた。
…
……
…
【セシリア】
「……」
ぼーっと縁側に座るセシリア。
静けさを揺蕩う家で一人、黄昏ていた。
【セシリア】
「……」
きつく歯を食いしばるも、その力は少ししか持たず、すぐに弛緩す
る。
澄んだような、淀んだような空気の中、セシリアは一人外を眺めて
いた。
【カロ】
「こんにちはーっ! 遊びに来ましたー!」
カロがやってきた。
遠慮なく家の中に入り込み、どたどたと探し物をするように駆け回
る。
【カロ】
「セシリアおねーちゃーんっ、旅人のおにーさーんっ! カロが、あ
ーそーびーにーきーまーしーたーよー」
カロの声がセシリアの耳を素通りしていく。
【カロ】
「あ、セシリアおねーちゃん。こんにちはです」
ぺこりと律儀に頭を下げるカロを、静かな目で見つめる。
【セシリア】
「あ……うん、いらっしゃい」
【カロ】
「ねーねー、旅人のおにーさんどこ行ったの?」
【セシリア】
「……」
【セシリア】
「お兄さんはね、……旅に出たの」
【セシリア】
「過去に囚われない、新しい未来を築くために。もう一度、その足を
踏み出したの」
【カロ】
「……?」
カロは神妙な様子のセシリアを見て、首を傾げる。
【セシリア】
「お兄さんは、ずっと……皆を助けるために北へ南へ移動して、自由
なようで、制約された人生でしたから」
【セシリア】
「だから、今度は……。『旅人のお兄さん』として、世界を巡ってみ
ようとしたのですよ」
【セシリア】
「これも、女神様のお導きなのかもしれませんね」
【セシリア】
「決して、勇者としての生まれを嘆くことはありませんでしたが、そ
れでも普通の人生を送りたいと望むことも、一度はあったでしょう」
【セシリア】
「それを、きっと女神様が叶えてくださったのです」
【セシリア】
「転生し、違う容姿となっても、こうして私たちの許を訪れたのは…
…」
【セシリア】
「別れを言うため、だったのかもしれませんね」
【セシリア】
「……あの人は、そういう義理堅いところがありましたから」
【セシリア】
「だから、それを終えて……遠い旅に出て……」
【セシリア】
「……そうです。遠い……遠い旅にね。だから、きっと……もう……」
【カロ】
「……セシリアおねーちゃん?」
儚い笑みを浮かべるセシリアに、カロの無邪気な顔。
【セシリア】
「……」
風が凪ぐ。
鳥の鳴く声も、聞こえなくなった。
静かな世界で、一人きり――。
【カロ】
「あ――っ」
カロが声を上げた。
【カロ】
「帰ってきたっ!!」
カロが駆け出す。
【カロ】
「っ……! お帰りなさーい!!」
【カロ】
「――勇者さまーっ!!」
耳を疑った。
【セシリア】
「え――」
顔を上げた。
カロが駆ける後ろ姿が見える。
その先で、
手を上げて、
カロを迎える――
――勇者の姿が見えた。
【セシリア】
「ゆう、しゃ……さま……?」
【セシリア】
「……帰って、来たのですか」
【セシリア】
「どうして……。貴方は、一介の冒険者としての人生を歩むのでは…
…なかったのですか」
【セシリア】
「どうして、再び、ここに……」
【セシリア】
「どうして……その、お姿で……」
【セシリア】
「勇者様っ……」
出迎えたカロを引き連れて、勇者がセシリアの前にやってくる。
失ったはずの姿。
見ることが叶わないはずだった笑顔。
勇者の風貌が、懐かしい。
それでいて、纏っている雰囲気は、昨日まで感じていたような温も
りを持ったまま。
【セシリア】
「……お帰りなさい、勇者様」
【勇者】
「おう。帰ったぞ」
【セシリア】
「……帰ってきて、くださったのですね」
【勇者】
「そりゃ、ここが俺の家だからな」
当たり前といったぞんざいな言い方に、頬が緩む。
【セシリア】
「くすっ、そうですね。ここが……勇者様の家ですからね」
【セシリア】
「いつでも……どんなお姿でも、帰ってきてもいいのですよ?」
帰ってくるとは思わなかった、勇者の姿。
それが、手の届くところにある。
【セシリア】
「……」
【セシリア】
「少し……抱きしめさせてください」
言いながら、そっと胸に飛び込む。
【セシリア】
「すぅ……はぁ……。やっぱり……同じ香りです」
【セシリア】
「嗅ぎ慣れた、勇者様の匂いです」
【セシリア】
「……やっぱり、勇者様だったのですね」
【セシリア】
「私の勘は……当たっていました」
それを見たカロが横槍を入れる。
【カロ】
「あーっ! セシリアおねーちゃんが勇者さまに抱き付いてるー!
浮気だー浮気だーっ!」
【勇者】
「浮気?」
【セシリア】
「カロ。黙りなさい」
【カロ】
「あい」
静かになる。
早いものだ。
【セシリア】
「――あ。そうです、勇者様」
【セシリア】
「カロと二人で用意した、プレゼントがあります。元々は、別の方へ
のプレゼントでしたが……勇者様のプレゼントみたいなものです」
【セシリア】
「ですから、どうぞ。家へお入りくださいっ」
【勇者】
「ん、そうか」
【勇者】
「……なら、せっかくだし貰っておこうか」
【セシリア】
「くすっ。ふふふっ♪」
楽しげに笑うセシリア。
一介の冒険者としてではなく、勇者として自分と共に歩むほうを取
ってくれた。
それが、何よりも嬉しかった。
【セシリア】
「――お帰りなさいませっ。勇者様っ!」
家に、主が帰って来た。
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【勇者】
「(竜神様に変身の魔法を掛けてもらっていましたーとは、なかなか
言い出せない雰囲気だよなあ……。どうしよこれ)」
悩める勇者。
いずれ、バレる日が来る。