Track 15

「最後の日」

 整頓された自室を見渡す。  忘れ物はないか、自分の痕跡を残すものはないか。  ……よし、大丈夫だろう。  荷物を持って、部屋を出る。  縁側を通り、ふと外を眺める。  日が傾いてきていた。 【セシリア】 「あ、丁度いいところに」  通路の奥からセシリアが現れる。 【セシリア】 「司教様から、ケーキの差し入れを頂いたのです。良かったら、どう  です?」  にこやかに言うセシリア。  その様子に、思わず微笑んでしまう。  本当に、よくここまで立ち直ったものだ。 【男】 「あぁ。貰おう」 【セシリア】 「くすっ、はいっ」 【セシリア】 「リビングのほうで頂きますか? それとも……」 【男】 「ここで構わん」 【男】 「外でも眺めながら食べることにしよう」 【セシリア】 「解りました。ここで食べましょうか」  縁側に腰を下ろすと、いそいそと隣に座るセシリア。 【セシリア】 「……ふぅ。……縁側で、こうして肩を並べて座るのも、なんだか癖  付いてしまいましたね」 【男】 「そうだな……」  セシリアが紙の小箱からショートケーキを取り出す。 【セシリア】 「……はい、どうぞ。苺のショートケーキです」 【セシリア】 「最近は、色々と多種多様なケーキが多いですが……。結局、苺のシ  ョートが一番美味しいと思いません?」 【セシリア】 「ごちゃごちゃしているよりも、シンプルで、味わい易いと思うので  すが……」 【男】 「俺は旨ければなんでもいい」 【男】 「ショートだろうが果物てんこ盛りだろうが、どうでもいい」 【セシリア】 「くすっ、そうですか。旨ければなんでよい、とは……。殿方らしい  言い方ですね」 【男】 「……そうかよ」  一口放り込んで、しばらく黙った。 【セシリア】 「……。……どうですか? 美味しいです?」 【男】 「まあまあだな」 【セシリア】 「『まあまあ』、ですか。ふふっ、お気に召したようで、なによりで  す」 【男】 「人の話を聞いていたのか?」 【セシリア】 「いえいえ。『まあまあ』、などというお言葉は、いまの貴方の最高  の褒め言葉ですよ?」 【セシリア】 「神妙な顔つきをしているときは、なかなか正直になさらない方です  から、貴方は」 【男】 「ふん。知ったような口を」  そよ風が髪を揺らす。  セシリアは心地よさそうに目を細めていた。 【セシリア】 「あっ、そうですっ」 【セシリア】 「商業区に、巷で有名なアンジェリークがあるのです」 【セシリア】 「そこのショートケーキが、これまた絶品だと聞きまして」 【セシリア】 「どうですかっ? 明日にでも、ご一緒に……食べに行きませんか?」 【セシリア】 「ちょうど私も、明日は予定がありませんし……よかったら――」 【男】 「セシリア」  話の腰を折った。 【男】 「俺は、今晩ここを発つ」  風が凪いだ。 【セシリア】 「え――」  セシリアがフォークを落とす。 【セシリア】 「……いま、なんと……?」 【男】 「今晩ここを発つ」 【男】 「セシリアも、だいぶ立ち直ってきたみたいだ」 【男】 「誰の助けもいらない。もう自立して生きていける」 【セシリア】 「そんな……。い、いきなり、どうしてっ……。……『今晩ここを発  つ』だなんて、急過ぎます!」 【セシリア】 「わ、私は――ッ」  歯を食いしばるセシリア。 【セシリア】 「……私は、立ち直っています。ですがっ、誰の助けもいらないわけ  ではありませんっ」 【セシリア】 「まだ……まだまだ未熟です……。自立して生きてゆくには、もう少  しっ……、まだ、もう少し時間が必要なのですっ!」 【男】 「俺がここにいる意味は、もう果たされた」 【男】 「いつまでもここにいるわけにはいかないだろう?」 【セシリア】 「そんなこと……言わないでくださいっ」 【セシリア】 「そんなことはありませんっ! 絶対にありませんっ! 貴方は、ま  だっ……まだまだ、この町の安寧を見守るべきですっ!」 【セシリア】 「『ここにいるわけにはいかない』などということはありませんっ!  どうかっ、……どうかお考え直しくださいっ……」  セシリアに珍しく、激しく詰め寄る。 【男】 「……それはできない」  今晩は満月だ。  俺は可及的速やかにここから去らねばならない。 【セシリア】 「ぁ……、そ……そんなっ……どうして……」  わなわなと動揺するセシリア。  俺はそんなセシリアの様子を見て、少し笑う。 【男】 「まるで、出会ったばかりのころを思い出すな」 【男】 「お前も最初は、そうやって動揺してばかりで話にならなかった」 【男】 「口ばかり動いて、人の言葉を聞こうともしないんだ」 【セシリア】 「待って……。……待ってください……」 【セシリア】 「どうして貴方は、いつもそう……突然なのですか……?」 【セシリア】 「出会ったときもそうでしたっ! いきなり、突然現れたかと思えば、  勇者様の訃報を告げ……っ」 【セシリア】 「私が立ち直ることができないでいるときも、思い付きのような行動  で、私を励まそうとしてくれて……」 【セシリア】 「っ……! 今回もっ、事前の報せもなしに家を出ようとして……!」 【セシリア】 「突然なのですっ! どうして、前以って報せてくれないのですか!  いつも……いつもいつもっ!」  セシリアの言いたいことも解る。  俺は相談なしに物事を決める節がある。  今も、昔も。  それで皆を困らせてきた。  そして、いつも頭を抱えていたのはセシリアだ。  なんでだろうか?  ……今なら、こう考える。  たぶん、『子供が好きな子に対して悪戯をする』のと似ている。  喜ぶ顔も、楽しそうな顔も。  困った顔も、哀しむ顔も。  すべてが魅力的で、ずっと見ていたいと思ったのだろう。  だから、俺は相談の一つもせずに、大事を無断で決行する。  出会った当初は、無口で不愛想だったセシリアの、新鮮味溢れる様  々な表情が見たくて。  たびたびセシリアを驚かせていた。  何度もセシリアに怒られていた。  今日もきっと、セシリアを怒らせ、哀しませるのだろう。  そう解っていてもなお、俺は冷酷に澄ました表情で言葉を紡ぐ。 【男】 「なあ。もう少し冷静に考えようぜ?」 【男】 「俺がここにいる理由。それはなんだった?」 【男】 「俺がここから去る理由。それはどういうものだった?」 【男】 「俺がここにいる理由がなくなったとき。それが俺の去るときだ」 【男】 「そうだったろ?」 【セシリア】 「……ここにいる理由なんて、作ってしまえばいいじゃないですかっ  ……」 【セシリア】 「カロや、町の子供たち……。それだけじゃありませんっ!」 【セシリア】 「商工会のおじさんも、農家……鍛冶屋のおじさんも、町のおばあち  ゃんだって――っ! 皆みんな、貴方のことを慕っているのです!」 【セシリア】 「この町が、貴方を望んでいるのです! ここにいてほしいと、思っ  ているのですっ!!」 【セシリア】 「誰もっ……! 誰も貴方がこの町を出ることをっ、望んでいません  っ!」 【セシリア】 「だからっ……! だからっ、……だからっ……!」 【男】 「セシリア……」  縋り付くセシリアの肩を掴む。 【男】 「お前が、俺の代わりになるんだ」 【セシリア】 「っ……でき、ません、よっ……」 【セシリア】 「私は……あなたの代わりに、なれませんっ……」 【セシリア】 「無理ですっ……私には、むり……」 【男】 「お前は、勇者が居なくなったこの町を救うんだ」 【男】 「お前は勇者を代わりなんだ」 【男】 「勇者の代わりが務まるやつが、俺の代わりを務まれないはずがない」 【男】 「そうだろう? 違うか?」 【セシリア】 「ぅ……ぁ……ぁぁ……」  いやいやと首を振る。  涙の溜まった瞳が悲痛に塗れていた。 【男】 「……セシリア」  どうか折れてくれ。  俺はいつまでもここに居られないんだ。  甘い言葉を掛けられても、それこそ俺が困る。 【セシリア】 「私は……っ、わたしはっ……」 【セシリア】 「まだ……貴方に何の恩返しも出来ていませんっ……。こんなっ、後  悔の残るような別れは……嫌ですっ……」 【セシリア】 「――ぁっ、そ、そうですっ!」  名案を思い付いたように、ぱっと顔を上げた。 【セシリア】 「お別れ会……。カロも呼んで、小さいながらも送別会を開きましょ  う!」 【セシリア】 「荷支度にも時間が掛かりますっ! 今から準備しても、ここを発つ  ころには日も沈んで……っ、夜道を移動するのは危険ですっ」  姑息的な提案だ。  たとえその提案を受け入れたところで、彼女の願う通りの未来には  ならないだろう。  セシリアの混乱した頭では、俺を引き留めることはできない。  少しでも出発の日程を遅らせて、その間に引き留める策を考えたい  のだ。  セシリアの苦し紛れの発案。  彼女の切なる願いでさえも、俺はもう叶えてやることができない。 【セシリア】 「ですから、せめて明日に……。明日になればっ……間に合いますっ!  カロと、私の……プレゼントが……。ぁ……」  セシリアは、俺の足元にある荷物に目を遣った。 【セシリア】 「その、お荷物……は……」 【男】 「用意は前々からしていた。問題ない」 【セシリア】 「……なん、ですか……それ。意味が解らないです……」 【セシリア】 「出ていく準備はしていたというのに……、私には、何も言ってくだ  さらなかったのですか……?」 【セシリア】 「……ひどい、です……。最後の最後まで、貴方は……いけずですっ  ……」 【男】 「……すまない」  俯くセシリアに謝意を述べた。  謝ってどうにかなるなら、これ以上安いものはない。  俺がセシリアに与えられるものなど、限られているのだから。 【セシリア】 「……」  諦めたように、息を吐いた。 【セシリア】 「解りました……」 【セシリア】 「では、最後の夕餉に致しましょうか」 【セシリア】 「せめて……それくらいはさせてください」 【男】 「……あぁ」  それくらいなら。  むしろ、そんなことでしかお前を納得させることはできないだろう。  いや、納得はしないか。  甘受した、といったところか。 【セシリア】 「……カロは……」  沈みかけた日を見つめる。 【セシリア】 「……もう日も沈みますし、呼べませんね」 【セシリア】 「……きっと、明日……たくさん文句を言われます」 【セシリア】 「ははは……。覚悟しないといけませんね」  作り笑いが痛々しく思えた。