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1章

 A国系高級風俗――官能M性感クラブ『アンシエン』。  その立て看板を見た刹那、僕の心は得体の知れない、怪しげな衝動に塗りつぶされた。  A国人は誰でも周知の通り、世界の嫌われものである。ネットの匿名掲示板では、毎日のようにえげつない誹謗中傷が尽きることなく書き込まれている。  まぁその根源となる原因も、A国と我がB国との血塗られた――または滑稽で馬鹿げた争いの歴史をかえりみれば、行き過ぎたレイシスト集団の行動もある程度は理解できないこともない。  ただ、そんな至極面倒ないざこざも、僕が今から始める酔狂じみた性癖披露とは全く関係がない。政治とか興味がない。どっちが正しいとかも無関心。そもそもデマか捏造(ねつぞう)か真実かもどうでもいい。いくら長い付き合いの歴史があっても、所詮は海で隔てられた遠い遠い国のこと。  そう僕には何の関係もない。A国が何をしようが、今すぐ戦争になって僕の真上に爆弾が落ちるわけもない。いや、実際に全く関係がないわけではなく、危害を被る確率が1%か2%上がっても、やっぱり僕はのほほんとしてるだろう。  ぎりぎりまで、本当にぎりぎりまで重過ぎる腰を動かさないのが僕だけど、そんなのはどうでもいい。  本当に、大事なのは――。 「いらっしゃいませ。一名様ですね♪ ではこちらへどうぞ……」 「あっ、は、はい」  僕はおずおずと、後ろ姿が狂おしいほど惹かれる、抜群のプロポーションの女性――A国美女様の後を、しょぼくれたネズミのような様子でついていった。  最も重要な要素。それは世間でもネットでも世界中のどこでもゴキブリのように嫌われている、B国人なら嫌悪感か警戒意識を少なからず要求される、A国人女が僕の理想の女神様的女性像であることだった。  しかしそれは偽りの美である。整形を繰り返し、顔面コンプレックスを取り払い、虚構に更なる虚構を醜く塗り固めたろう人形である。  それでも僕は、彼女らの顔も肉体も大好きだった。  湾曲的な頬、ほっそりとして繊細な顎、愛くるしい二重の瞳、ぷるぷるとして光沢のある唇、見る者全てを魅了するふくよかな谷間――。  全部が全部ではない。個人によっても千差万別。どこをどういじったのかも人知れずだが――。  とどのつまり、最終的なA国美女様とは、二次元アニメのように、髪型を変えればまるで区別がつかない、ハンコ顔になってしまうと言っても過言ではない。  なんと形容すればいいのだろうか。強いて言うならば、RPGでエンカウントする複数の美貌の女モンスターに、問題なくメロメロになれる。そう説明できるかもしれない。  とにかく僕のときめきは最高潮だった。  敵対勢力の美女。きゅっと引き締まった美脚。とらわれる僕。背徳的な妄想。  まるでオナニーを覚えたての少年のように、期待に胸をふくらませながら奥へと進んだ。  赤と黒を基調とした艶やかなロングドレス。腰からつま先にかけて、さくっとスリットが入り、A国美女様の腰つきと美脚に魅了されることを必ず強制される。  こつこつと響くハイヒールの音色に誘われ、ミノス迷宮の牢獄に幽閉される罪人のような気持ちになりながら、僕は一つの懺悔(ざんげ)部屋へと通された。 「ようこそ。そこにお座りなさいな。ベ、イ、タ」 「えっ? あのっ。まっ、まだ何も」  A国美女様の細い視線と、蠱惑的なやや淡い紫色のボイスが僕を射抜いた。が、どうにか取りなしてそう答えた。ちなみに『ベイタ』とはB国民に対する蔑称(べっしょう)である。もちろんその単語で、僕の下半身と脳ミソがどろり溶けたのは言うまでもない。 「言わなくてもわかるわよ。ベイタの考えることなんてさぁ。ほら、ルファ様がしつけてあげるわ。この……売国マゾのベイタちゃん♪」 「んっ。あんっ! ひっ、ああっ」  僕は身もだえた。何もかもお見通し。A国美女様は――女神ルファ様は、あさましくて汚らわしい、ベイタの思考など手に取るように理解していたのだ。 「よく来るのよ? あなたみたいな坊や。やせっぽちで貧相で、目がおびえてて……。顔に僕はマゾですって大きくマジックで書いてあるわ。A国人の美女様に支配されたい。誘惑されてメロメロになりたいってね……」 「そっ、そうですか……」  手に持った扇子をパタパタと扇ぎながら、にやにやと悪魔的な笑みを浮かべるルファ様。その魅惑的な仕草だけで軽くイキそうになってしまう。  それにしても意外だった。僕みたいな売国奴として洗脳されながら、気持ちよくなってしまう変態中の変態がいるとは。 「テレビによく出てる政治家のおじ様も、あの番組プロデューサーさんも、あのコメンテーターも、歌手も俳優さんも……うふふふっ♪ あらっ、これはあんまり言っちゃ駄目なのよね……ふふっ♪ 今のは聞かなかったことにしてね、可愛いベイタの坊や♪」 「ひっ、あっ、いいいえ」  僕は床にひざまづきながらそう言った。  ハニートラップ。色仕掛けで対象を籠絡すること。もしかしてこの風俗店もそれを生業(なりわい)としているのだろうか。だとすれば話が早いのも納得がいく。 「まずは……そうね。よく見なさいベイタ。これは――何だと思う?」 「あっ、それは……」  ルファ様が一枚の布切れをひらひらと僕の前にかざした。夢にまで見た理想のシチュエーションに、頭を朦朧(もうろう)とさせながらもそれが何であるか視認した。 「僕の国の……国旗です」  消え入りそうな声で言った。何かをされたわけでもないのに震えていた。快感とも恐怖ともいえない奇妙な感情で、胸がいっぱいになり破裂しそうだった。 「そうね。大正解。それで――これからこれをどうすると思う?」 「んっ、ああっ」  燃えるほど赤いルージュの唇を、ぺろりと舐め上げながらルファ様が言う。  僕は口ごもった。さっきベイタと言われた時から、頭がほうけて何も考えられないのだ。 「……どうして無視するの? ベイタのくせにっ! A国人様である私に、無礼を働いていいと思ってるのぉ? ねぇベイタちゃぁ~~んっ♪」 「あああぁっ! ひぃぃぃ……」  乳首をぎりりとつねられた。ねじ切られるかと思うほど痛い。 「ほらベイタ。簡単なことよ。この国旗――」  それはしゅるりとルファ様の手元から地に落ちた。きゅっと引き締まったくるぶしからハイヒールへ。ルファ様の足元へとするりとすべりこんだ。 「見てベイタ……。ほらほら」 「あっ、あああっ」  瞬間、B国の国旗は無残にも踏み潰されていた。ぐりぐりと、A国美女様のハイヒールの崇高なかかとで、汚い床に接吻しながらぼろ雑巾にされていた。 「ねぇベイタ? あなたの国が踏まれているわよ?」 「あひっ、ああっ」 「B国はあなた自身でしょう? 怒りとかわいてこないの?」 「いっ、いやぁぁぁ……」 「何も抵抗しないってことは――マゾよ。それも超ド変態の、ば、い、こ、く、マ、ゾ♪ くすっ♪」 「んぎっ。あああ――」  頭がどうにかなりそうだった。かぐわしいA国美女様の高貴な芳香と、とろけるような甘い色香に迷いながら、僕が属する団体の象徴を足蹴にされたのだから。  ぐにぐにと背中にも柔らかい双丘(そうきゅう)が押し付けられている。と同時に乳首もえぐられ、耳たぶも唾液がのった舌先でくちゅりとしゃぶられた。 「ほらぁ~ん♪ どうかしらベイタくぅ~ん♪ いつもあなた達が崇拝している、A国美女様のヒールで押しつぶされる感覚はぁ~ん♪」 「あっ、ああ~ん。それっ、ぼ、僕ぅ……」  先ほどより1オクターブ上の、更に甘ったるい媚(こび)と嘲笑(ちょうしょう)を交えた声色が僕の聴覚を満たした。  ルファ様が踏んでいる。それはただの布切れだ。たまたまシンボルが描かれた単なる布切れだ。  でもそれなのに僕の股間と心は――。 「ねぇこれ感じるんでしょ? 私に屈服したベイタはね、これしてあげるとね、泣いて喜んじゃうのよぉ♪ ほぉら、ほら! この汚らわしいベイタの国旗! よくも私の前に見せてくれたものね……それそれっ♪」 「んっ、んっ、ひぃぃぃ……」  僕は涙を流しながらうめき、そして狂気のごとく倒錯した。もうヒールでぐちゃぐちゃにされた国旗を見つめながら、有り得ないほど隆起する自らの股間のうずきに身もだえした。 「あらベイタ。いやらしいのねぇ……。こんなことされて……ここ、固ぁくしてるなんて」  ハート型の誘惑光線が何本も突き刺さる。ルファ様に見つかった。いや見つけて欲しかった。 「いい子いい子。さすが私のベイタね。ほら、ご褒美にもっといけない世界に連れてってあげるぅ……♪ チュッ♪」 「んっむぐぅ……」  甘い唇の密着。頬にまぶたにおでこに。舌も吸われてしまう。僕が僕でなくなっていく。世界がA国美女様に奪われる。そして僕もそれを望んでいる。堕落してしまう。完全なる売国マゾになりながら狂ってしまう。 「んっ……ルファ様ぁ……♪ もっとキスぅ……♪」 「うふふっ♪ まだ堕ちるのは早いわよぉ……。ほら目を開きなさい……ぐ~りぐりぐりぐり……」 「あっあっ、それぇ……」 「ぐりぐりぐりっ♪ ほらこれぇ……あなた自身よぉ。ボロボロにされてるのはぁ、醜くて嫌われもののベイタよぉ……。だからこうやっていじめられるのよぉ……」 「あっ、あふぅ……ああん……」  僕が、踏まれている。あれは僕だ。一枚の布切れが。きっと僕だ。僕はここにいるけれど、醜くてみんなから嫌われて、A国美女様のヒールで脳ミソ貫通するほどねじこまれたいのは紛れもない僕だった。 「ここがいいんでしょう? ベイタちゃん。おしおきの時間よぉ……♪ 今までの罪をちゃんと清算しなきゃね……♪ ほらぁ……これがあなた。ベイタはいつもぼろぼろぉ……。汚い身なりでドブネズミみたいな悪臭まきちらして世界中に迷惑かけているのよぉ……」 「あっはぁい。これ僕ぅ……♪ 汚いのが僕ぅ……♪ 甘んじておしおき受けるのぉ……」  筋肉と神経と思考回路がめちゃくちゃになる。布切れベイタが僕であり、A国美女様の下僕となるのも僕だった。 「踏んで踏んで……ほぉ~らほら」 「あっ、ああっ」 「ちょっと足を持ち上げて、上から体重かけてつよぉ~~くっ♪」 「あっあっ! ああああ――」 「痛い? ねぇ痛い? 私達がこれまで受けた痛みはこんなものじゃないのよ? ほらほらほらぁ!」 「あんっ! 痛い痛いっ! いっいっいい――」  幻痛だろうか? 僕は弓なりにのけぞった。今にも引きちぎられそうな布切れに、異様なほどのめりこみ感情移入していた。 「ほぉら壊れてぇ……? ベイタだからいいでしょう?」 「ううっ。ぐぐぐっ……」 「何も言わないのならいいのねぇ? ほらここの裂け目から引きちぎってあげるぅ……」 「いーっ。やめ、だめ、あっ、いっ、あっあっあっあっ――」 「もう遅いわよ。ほーら頭から真っ二つよぉ……」 「あひっぃぃいいっ――!」  ビリッ、ビリビリビリビリッ。  脳天から落雷を受けたような轟音が響いた。器用に両脚のヒールを使い、僕自身を引き裂いた情景で、射精とも似つかぬ快楽に包まれながら暗転した。  僕は、僕は壊れてしまったのだった。 「お客様? お客様ぁ? もう全然起きないわぁ。ちょっとやりすぎたのかしらぁ……」  広がる視界。ここはどこだろう? 記憶が定まらない。確か僕は、繁華街の狭い路地裏で、ふらふらと立て看板に誘い込まれて……。 「あ、起きましたね。よかったです♪ もう心配したんですよぉ……」  にっこりと笑う聖母のような笑み――同時に邂逅するぷっつりと裁断された赤と黒の記憶。 「あっ、ひぃっ。許してっ! 何でもっ、何でもしますからっ! 謝罪でも賠償でも、僕っ!」 「あらあら。本当に壊れてしまったんですか? ほらしゃんとしてくださいなっ」 「うっ、ぷっ、あっ」  ぺちぺちとニ、三度頬を叩かれた。精神が戻る。うん、僕は壊れていない。ここは風俗店。A国美女様と変態売国マゾプレイしてみたくて、今さっき実際体験し堪能し終わったところだったのだ。  それにしても、今まで味わったことのない最高の体験だった。心をぐちゃぐちゃにえぐられ、生命機能にあやうい影がさすほどの、極めて倒錯的で悪魔的な快楽地獄である。   あらゆる手段を使って、精神をゆさぶり破壊される。僕は被破壊フェチなのかもしれない。クラッシュなんていう一般人にはなじみのない性癖も存在するし。 「えーしめて三万円になりまーす♪」 「あっはい」  途中で気絶してしかも射精したかも曖昧だったが、いつも憧れていたA国美女様の手ほどきを受けられたとあっては、三万円払っても安すぎるくらいである。  むしろもっと――。  そう僕は貢いでしまいたい。A国美女様にルファ様に。全財産。B国民であることを馬鹿にされ侮辱され汚物のように扱われて――。  洗脳もされたいボロボロにされたい売国マゾに目覚めたいルファ様達のために掲示板にあることないこと書き込みたい……。 「また、来てくださいね。今度はもっと素敵なお遊びしましょうね……」 「ふぁ、はぁい……」  僕の心を見透かしたような、ルファ様の女神的スマイルがねっとりと体内にからんでいく。  もう僕は悟ってしまったのだ。この風俗店から逃れられないと。  A国美女様のために全てを捧げると確信してしまった。

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