料理「ハンバーグとアップルパイ」
◆1
「料理をつくろう」
休日の昼間のこと。
知人とランチに出かけた母に代わって、妹が昼食の支度をしていた。
【優衣】
「っ、と」
エプロンを身に纏った妹がくるりと回る。
【優衣】
「じゃ、お母さんの代わりに今日は私が昼食を作るから」
【兄】
「うむ」
【優衣】
「『うむ』、じゃない。兄さんも手伝うの」
【兄】
「え、でもいま『私が作る』って……」
【優衣】
「“主に”私が作る。兄さんは“手伝う”だけ。わかった?
ほら、スタンダップ! スタンダップ!」
仕方なく起立する。
【兄】
「そんで、なに作るわけ?」
【優衣】
「今日の献立は青椒肉絲です」
【兄】
「ちんじゃおろーす」
【優衣】
「違う。チンジャオロースー」
【兄】
「ち、ちんじゃおろーすー」
【優衣】
「まあどうでもいいわそんなこと」
【兄】
「なら言わせんなよ!」
【優衣】
「じゃあ兄さんにはピーマンを……」
言いながら冷蔵庫を開ける。
【優衣】
「ピーマンー、をー」
言いながら冷蔵庫をがさごそとする。
【優衣】
「……ない」
【兄】
「は」
【優衣】
「ピーマンがない」
【兄】
「え、どうすんの」
【優衣】
「ごめんなさい、兄さん。青椒肉絲はまた今度にしましょ」
【兄】
「なんなん。ちゃんと冷蔵庫のなか確認しようよ」
【優衣】
「したわよ! ちゃんと!
昨日の夜に見たときはちゃんとあったんだもん!」
【兄】
「じゃあなんでないの」
【優衣】
「……たぶん、お父さんのお弁当に使われたんだと思う」
【兄】
「まあ妥当な線だな」
ということで。
【兄】
「改めて、昼食はなににする?」
【優衣】
「……仕方ない。ハンバーグにしましょうか、簡単だし」
【兄】
「中華から洋食」
文句あるのという目で見られたのでそっぽを向く。
【優衣】
「はい、玉ねぎ剥いて」
握りこぶし大の玉ねぎを渡される。
大人しく剥こう。
べりべり……
……
かりかり……
かりかり…………
かりかり………………
【兄】
「……」
【優衣】
「……」
【兄&優衣】
「……剥けない」
皮が薄すぎてうまく剥げない。
薄皮を剥いてさあひん剥くぞってときに限って辛抱足らずに
千切れてしまう。
【兄】
「なに、玉ねぎってこんなに剥きにくいの」
【優衣】
「安いのを買うと、ときどきこういう玉ねぎに当たるのよ……。
安さには安さなりの理由があるっていうことね」
【兄】
「こういうときはどうすればいいんですの?」
【優衣】
「説明しろと言われましても……」
はっとする優衣。
【優衣】
「……とにかく、薄皮を身から浮かせればいいのよ。
だから、ぬるま湯につけてふやけさせて剥ぐって方法があるわね」
【兄】
「なるほど」
【優衣】
「けど、だいぶ時間を置かないといけないからなかなかに面倒だわ」
【兄】
「どれくらい置くんだ?」
十分、と答える妹。
そりゃ長い。
【優衣】
「最終手段としては、層になってる一番外側のほうごと
剥ぎ取っちゃうっていうやり方があるけど」
【優衣】
「そうするとひと回り小さい玉ねぎが出来あがって、
なんとも損した気分に陥るわ」
【優衣】
「だから、ここは根気の勝負よ」
【兄】
「結局かよ」
【優衣】
「料理とは、根気と愛情と見つけたり。ってね」
【兄】
「誰の言葉?」
【優衣】
「別に誰の言葉でもないわよ。言ってみただけだもの」
【兄】
「……さいですか」
なんだかんだとごねつつも、
どうにかこうにか薄皮を剥くことができた。
【優衣】
「よし。それじゃ、みじん切りにしましょ」
【兄】
「うむ」
【優衣】
「まずは、頭を切り落として」
茎の部分を切り落とす。
【優衣】
「根っこのお尻の部分は残したまま、二つに切るの」
【兄】
「どうしてだ?」
【優衣】
「根っこの部分まで切り落としちゃうと、
切ってる内に層が剥げてくるのよ」
【優衣】
「根っこはすべての層をまとめているところだから、
みじん切りにするときは残しておくのよ?」
【兄】
「ほむほむ」
【優衣】
「縦に切れ目を入れて」
立てた包丁を突き刺して、スッと引く。
【優衣】
「横から包丁を、断層みたいに……」
寝かせた包丁をすいーっと玉ねぎに刺し込んでいく。
慣れたもんだ。
【優衣】
「あとは上から」
【兄】
「おー」
ポロポロと四角いものが生まれていく。
【優衣】
「とまぁこんな感じ。兄さんもやる?」
【兄】
「結構」
【優衣】
「そう? じゃあ、兄さんは玉ねぎを炒める係ねー」
鍋にオリーブ油とバターを放り込んで、玉ねぎを流し込む。
【兄】
「何か気をつけることは?」
【優衣】
「玉ねぎを炒めるときは、とにかく『焦がさない』こと。
水分を飛ばして甘味を出したいのに、
焦げちゃったら苦味になるでしょう?」
【兄】
「うい」
【優衣】
「はい、木べら」
【優衣】
「焦がさないようにするには、とにかく手早く混ぜること……
なんだけど、そうすると火の通りが遅くなっちゃうの」
【優衣】
「だから、『こまめに』混ぜる。『均等に』『こまめに』。
わかった?」
【兄】
「どれくらい炒めればいいんだ?」
【優衣】
「ん? んー、そうねえ……。
小一時間くらい炒めてれば飴色になるんじゃないかしら」
【兄】
「いちっ……!?」
【優衣】
「ふふん。料理とは根気と愛情と見つけたり。
ささ、愛情を込めて、根気よく炒めて?」
【兄】
「……はい」
―
――
―
【優衣】
「さあて、兄さんに一番面倒な作業を任せたし、
私はデザート作りでもしようかなぁ」
食材を探して冷蔵庫を開く。
【優衣】
「んー……」
冷凍室も確認。
【優衣】
「……あ、パイ生地」
バスケットには林檎があった。
【優衣】
「……ふむ。アップルパイにしようかなぁ」
パイ生地と林檎、調味料少々で出来る、
お菓子の中ではお手軽な部類に入る料理。
ハンバーグを食べている間に焼き上がるだろう。
【優衣】
「よし」
ペティナイフを手を取る。
【優衣】
「まずは皮を剥いて、と」
ナイフを添えて、クルクルと回しながら切っていく。
【優衣】
「半分に切って、櫛切りにして……」
【優衣】
「もう半分」
櫛切りになった林檎を半分に切る。
【優衣】
「さて、鍋に火を入れようっと」
コンロには一人黙々とフライパンに向かう兄の姿。
可哀想だし、ヒントを上げよう。
【優衣】
「……兄さーん?
焦げ付きそうになったら、
その都度スプーン二杯くらいの水を入れて?
くすっ、そうすれば飴色になるまで二十分も掛からないわー?」
【兄】
「はよ言えや!!」
【優衣】
「くす、ごめんなさーい」
―
――
―
【優衣】
「ちょっと寄って?」
【兄】
「ん」
【優衣】
「ん、ありがと」
左手のコンロに鍋を置く。
【優衣】
「バターを入れてーのー。火は中火でーのー」
バターが完全に溶けるのを待ってから、
【優衣】
「林檎をどばばばー」
【兄】
「うわ、果物を焼いてる」
【優衣】
「んぅ? くすっ……あー、その感覚なんとなくわかるわ。
フルーツはそのままで食べるもの。
炊くなんて……ちょっと気持ち悪い?」
【兄】
「そうだな」
【優衣】
「まあ、比較的、林檎ってものは焼かれがちかもしれないわね。
ジャムにされたり、焼き林檎だったり、
フィリングにパイにされたり」
【優衣】
「でも焼くこと自体は、他のフルーツよりも抵抗感がなくない?
ふふっ、酢豚にパイナップルよりはマシでしょう?」
【兄】
「俺あれ意外と好き」
【優衣】
「む。またそうやって適当に『好き』とかいう……。
これでパイナップル入りの酢豚を作ったら、
『ゲテモン作りやがってこのやろー!』って絶対言うわ」
【兄】
「言わ……ないよ」
【優衣】
「間。間。
その間を作るなら『言わない』じゃなくてもう『言う』って
言いなさいよ」
【兄】
「はい」
【優衣】
「まったく……。えぇっと、バターが絡んだら砂糖を加えて……」
事前に小皿に分けていた砂糖を振りかける。
【優衣】
「シナモンを少々」
一、二、三度振って止める。
【優衣】
「……うん、いい香り」
【優衣】
「あとは、レモン汁を加えて……程よい酸味をプラス、と」
【兄】
「レモンを入れるのか?」
【優衣】
「うん? あぁ、今回は林檎がね、糖度の高いものだったから。
酸味を加えてあげないと、甘ったるくて
男性の兄さんにはちょっとキツいかと思ってね」
【兄】
「なるほど、考えてるのな」
【優衣】
「ふふん、料理とは根気と『愛情』と見つけたり。でしょ?
愛情、愛情」
【兄】
「平に感謝を」
【優衣】
「ふふっ……あとはこれを、
林檎がちょーっと透き通る感じになるまで火に掛けていくの」
【兄】
「ほーん」
【優衣】
「ほら、兄さんもそろそろ水を入れないと」
【兄】
「おお、そうか」
―
――
―
【優衣】
「そろそろいいかしら」
【兄】
「俺も終わりかな?」
【優衣】
「うん、そうね。兄さんのほうもそれで合格。
火を切っちゃいましょう」
二つの火を切る。
【優衣】
「玉ねぎは平皿に薄く広げて?
粗熱を取ったらラップをして、冷蔵庫に一旦仕舞ってね」
【兄】
「冷蔵庫?」
【優衣】
「ハンバーグのタネを作るときの一番の大敵は熱なの。
だからなるべく冷ましておいて」
【兄】
「うす」
食器棚から平皿を出して、飴色の玉ねぎを広げる。
薄くうすーく広げて、なるべく早く熱が逃げるように。
【優衣】
「さて、林檎も冷ましておかないと……」
バットに取り出して、まんべんなく広げる。
【優衣】
「じゃあ、パイ生地の成形に移ります」
【兄】
「はーい」
【優衣】
「このシリコンマットの上で、ローラーを使って伸ばすの。
マットに直径いくつって目盛りが振ってあるでしょう?
それを目安に……そうね、20センチにしましょう」
【兄】
「ふむ」
シリコンローラーをパイ生地に押し当てる。
ゴロゴロ……
【優衣】
「厚さは均等にしないといけないから、始めに力を入れて。
圧力をキープしながら転がすイメージで」
【兄】
「なるほど……」
ゴロゴロ……
ゴロゴロ……
【兄】
「こんなもんか?」
【優衣】
「うん、オッケー」
【優衣】
「それじゃあ、このお皿に生地を敷いて?」
【兄】
「うむ」
真ん中を合わせて、ゆっくりと被せる。
指で縁取りながら底に敷いていく。
【優衣】
「うん、そうそう」
【優衣】
「縁は少し余裕を持たせる感じで……うん、
内側に折り込ませて……そうそう」
【優衣】
「はみ出た生地は、切り落とすの。
お皿をくるくるーと回しながら、ナイフで……」
指先で器用にパイ皿を回しながら、
ナイフを縁に添えて生地を切り落とす。
【優衣】
「うん、こんなものかしら」
【優衣】
「じゃ、次にフォークで穴を開けていきます。
『ピケ』って呼ばれるものでね、
生地を均等に膨らませる役目があるのよ?」
【兄】
「ほうほう」
言われた通り、フォークをぶすぶすと突きさす。
結構これが楽しい。
自然と悪い顔になってしまうな。
【優衣】
「で、底にパン粉をうすーく敷いて……」
パラパラと。
【優衣】
「冷ましておいた林檎を乗せます、と」
ヘラを使って丸く成形されたパイ生地の真ん中に
山積みにするように林檎を乗せていく。
【優衣】
「よし、と」
【優衣】
「それじゃ、次。飾り蓋を作りまーす」
【兄】
「はーい」
【優衣】
「生地をもう一枚用意して、
くす、新しいローラーの登場~」
【優衣】
「じゃじゃーん、メッシュローラー♪」
【兄】
「おー」
なんなのかわからんが取り敢えず関心する。
【優衣】
「これで生地をコロコロリンってするとー」
ころころりん
【優衣】
「均等に、切り取り線みたいに『ぽつぽつぽつ』って
切り込みができるでしょう?」
【兄】
「うむ」
【優衣】
「これを広げると、網みたいになるわけ」
【優衣】
「でも、まだ広げない。
パイ皿と一緒に冷蔵庫に入れて、いったん寝かせるの」
【優衣】
「作業して、冷ます。作業して冷ます。
生地が温かくならないように気をつけないと、
パイがうまく膨らまないのよ?」
【兄】
「ほーん」
~に並べて冷蔵庫へ仕舞う。
【優衣】
「よし。
じゃあ、パイを寝かせている間に、
ソースと付け合わせの準備をしましょう?」
【兄】
「はーい」
【優衣】
「付け合わせは、ブロッコリーと人参、それとしめじにします」
【優衣】
「ブロッコリーは水に湿らせたあと、
キッチンペーパーに包んでレンジでチン」
【優衣】
「茹でちゃうと水に溶けやすいビタミンCが逃げちゃうし、
なんにしても、沸騰させるまで時間が掛かるから……
こっちのほうがお手軽ね」
【優衣】
「人参はグラッセにします。あの甘く煮立てたやつね。
ファミレスに行くと、ハンバーグの脇に甘い人参があるでしょう?
あれよ、あれ」
【兄】
「あー」
インゲンとトウモロコシと一緒に並んでるやつだ。
【優衣】
「しめじはソテーにするから……
これはパテを焼くときに傍らで準備しましょう」
【優衣】
「じゃ、とりあえず先に付け合わせから」
【優衣】
「はい、ブロッコリー。
くす、これくらいは兄さんでも切れるでしょう?」
【兄】
「まあ、なんとか」
受け取ったブロッコリーをまな板の上で寝かせて、刃を立てる。
【優衣】
「ブロッコリーって、まるで立派な木みたいよね。
幹があって、傘を開いたみたいに葉が広がってて。
本当に、面白い見た目」
【兄】
「あまり考えたことがない感想だな」
そう? と言うような顔をした。
ブロッコリーを切るのはあっという間に終わる。
【優衣】
「ん。じゃあ、それは脇に置いといて、次は人参ね。
はい、ピーラー。皮むきお願い」
【兄】
「うむ」
ピーラーならお手の物だ。
溶き卵と皮剥きはよく手伝わされる。
逆に言えば、それくらいしか手伝えない。
【兄】
「皮を剥いたら?」
【優衣】
「皮を剥いたら……適度な長さに切って、縦に四等分っと」
【優衣】
「あとは角を取って、火の通りと口当たりを良くするの」
【優衣】
「こう……」
ペティナイフで緩いカーブを描きながら角を切っていく。
【優衣】
「どう? こんな、まあるい感じ」
【兄】
「ほおー」
【優衣】
「これを甘く煮詰めていくわね」
【優衣】
「開いた鍋に人参を入れてー」
ぼとぼとぼと
【優衣】
「すこーし被る程度の水をー」
とぽとぽとぽ
【優衣】
「そこに砂糖とバターを入れて」
すさー、ぼとん
【優衣】
「弱火で柔らかくなるまで」
カチチチと火をつける。
【優衣】
「よし、それじゃソースを作りましょうか」
【兄】
「デミグラスソースか?」
【優衣】
「ううん、デミグラスソースじゃないの。
今日は和風ソース……と言っても、
ソースというよりもタレって感じかしらね」
【兄】
「タレ?」
【優衣】
「タレに使う主な材料は、『大根』、そして『オレンジジュース』。
ふふっ、一見、場違いな組み合わせだけど意外と合うのよ?
まあまあ、騙されたと思って」
【兄】
「ベタな言い方を……」
【優衣】
「兄さんは鍋を見てて? 私はタレ作りするから」
【兄】
「あい」
【優衣】
「じゃーあー、まずは大根おろしを作りましょ」
100グラム程度を目安に擂っていく。
【優衣】
「軽く水を搾って……」
ちょろちょろ
【優衣】
「オレンジジュース、と」
オレンジジュースをひと含み分。
【優衣】
「醤油に……」
醤油もひと含み分。
【優衣】
「お酢と砂糖」
スプーン一杯分の酢と砂糖をスプーン山盛り二杯。
砂糖は見た目と分量にギャップがある。
【優衣】
「レモン汁にー」
少量のレモン汁と。
【優衣】
「白ワインを入れてーの」
スプーン一杯の白ワイン。
【優衣】
「くるくると混ぜて……。
よしっ、完成」
【優衣】
「……と。ここで豆腐をー……」
冷蔵庫から豆腐を取り出して、水を切る。
【優衣】
「半丁ほど出して、キッチンペーパーに、と」
【優衣】
「兄さんはどう?」
【兄】
「そろそろ水が無くなりそうだぞ?」
【優衣】
「うん、水がなくなってきたら火を止めて?
串が軽く刺されば……うん、火は通ってる」
【優衣】
「付け合わせとソースの準備はこんなもんね。
パイ作りの続きをしましょうか」
冷蔵庫から寝かせていたパイ生地とパイ皿を取り出す。
【優衣】
「くす、見てて?
さっきローラーで切れ目を入れた生地を、こうするとー?」
生地を左右に引く。
【優衣】
「ぶわぁって網みたいに広がっちゃった!」
【兄】
「おー!」
【優衣】
「くす、これを被せればあとは寝かせて焼くだけ」
【優衣】
「ん。それじゃ……ええと、接着用に卵液を用意しましょ?」
【兄】
「はーい」
【優衣】
「まずは卵黄だけ。割った殻を使って、とぅる、とぅるーって」
【兄】
「とぅる?」
卵を一つ取り、割れ目を入れる。
割れ目を横にして殻を開き、
卵黄を殻の間でとぅるとぅるすれば白身だけが落ちる。
【優衣】
「うん、上手」
【優衣】
「そこに、スプーン一杯くらいの水を加えて、混ぜるの」
【兄】
「ふむ」
小皿に落とした卵黄に少量の水を加える。
箸で素早く混ぜればあっという間にできあがりだ。
【優衣】
「この卵液を、ハケを使って生地の縁にくるーっとして」
【兄】
「くるーとして」
【優衣】
「その上に網を被せる、と」
【兄】
「被せると」
【優衣】
「あとは、はみ出ちゃったところを切り落として……」
ペティナイフを使って縁からはみ出た網生地を切り落としていく。
【優衣】
「はいっ、完成~」
【兄】
「おー」
【優衣】
「あとはこれを冷蔵庫で寝かせたあと、
オーブンで一時間くらい焼いて出来あがり」
【兄】
「結構時間かかるのな」
【優衣】
「お菓子って、意外と手間暇かかってるのよ?
実際に作ってみるとよく分かる『面倒さ』と
『砂糖のとんでもない量』……色々考えるものがあるわねー……」
カロリーか……。
【優衣】
「……さ、気を取り直して、ハンバーグ作りに戻りましょ?」
【兄】
「はいよ」
【優衣】
「まずは、ブイヨンスープを用意しましょうか」
【兄】
「スープを入れるのか?」
【優衣】
「そう、ミンチに入れ込むの。
多少水分があった方がジューシーになるから」
【優衣】
「ブイヨンは、ブロックを使います。
水で溶かすから、溶けやすいように薄くカット」
ゴリゴリと音をさせて切っていく。
すり下ろすような感じだ。
コップに入れて、水を加えて混ぜる。
【優衣】
「よしっ。
それじゃ、次にー……? パン粉に牛乳を浸して、と」
小皿にパン粉を入れて、牛乳を少量注ぐ。
湿らせる程度に入れて指先で揉みこむ。
【優衣】
「うん、下準備は完了っ。
混ぜに入りましょうか」
【優衣】
「では、大きめのボウルを用意します」
棚からボウルを取り出す。
【優衣】
「合挽きミンチを中に入れて……」
ミンチをどぼどぼ、と。
【優衣】
「冷やした玉ねぎ」
小皿から玉ねぎを入れる。
【優衣】
「肉の臭みを取るナツメグ」
ふりふりと振りかける。
【優衣】
「塩と胡椒」
塩を二つまみと胡椒を少々。
【優衣】
「ブイヨンを加えて」
だばー。
【優衣】
「パン粉をー、と」
ぼとぼと。
【優衣】
「卵を一つに」
ぱかっ、と。
【優衣】
「くす、今日は豆腐を加えまーす」
【兄】
「豆腐ハンバーグか?」
【優衣】
「豆腐ハンバーグっていうほど加えはしないんだけどね、
このほうが大根おろしのタレによく合うのよ」
【優衣】
「てなわけで、投入~」
ぼとぼとぼと。
【優衣】
「はい、兄さんの出番。
手早く、押し潰すように混ぜて?」
【兄】
「うし、任せろ」
卵の黄身を潰し、まずくるくると回すように混ぜる。
底からミンチを掬って返し、卵やら玉ねぎやらを練り込む。
あとは優衣に言われた通り、
手の平で押し潰すようにして揉み込んで終わりだ。
【優衣】
「うん、いいんじゃない?
肉の繊維がしっとりと繋がった状態……うん、オッケ―」
【優衣】
「それじゃ、パテの成形に移りましょうか」
小皿にオリーブ油を垂らす。
【優衣】
「手に油を広げて……」
優衣の動きを真似して指先につけた油を手の平に広げる。
【優衣】
「軽い手の平サイズを取って、両手を使って、こう……
キャッチボールするみたいにして、空気を抜くの」
【優衣】
「しっかり抜いてね?
こう、こう……ぱんっ、ぱんって勢いをつけて。
じゃないとひび割れが出来て肉汁が漏れちゃうから」
【兄】
「ふむ」
ぽいぽいと左右に振ってパテを成形していく。
適当に千切って取ったミンチも、
キャッチボールを繰り返している内に段々と円盤状に広がっていく。
【優衣】
「こんなものかしら?
……兄さんのは」
【兄】
「どうだ?」
【優衣】
「うわ、おっきい。
やっぱり男の人の手ねえ。
ん、いいんじゃない?」
【優衣】
「よし、それじゃあ焼きに入りましょうか」
【兄】
「はーい」
【優衣】
「お肉を焼く時はやっぱりこれでしょ。
じゃ~ん! 純鉄フライパ~ン!」
【兄】
「おー(パチパチ)」
訳の解らないまま拍手する。
【兄】
「普通のフライパンと何が違うんだ?」
【優衣】
「普通のフライパンと違うところは、やっぱり熱伝導率かしらね」
【兄】
「熱伝導率」
【優衣】
「ハンバーグとかステーキとか、
分厚いお肉の芯のほうまで熱を行き渡らせる力があるのよ」
【兄】
「へえ」
【優衣】
「さて。
ではこのフライパンを火に掛けます」
カチカチカチ。
【優衣】
「油は引かずに、フライパンから煙が出るまで待つの」
【兄】
「油を引かずに?」
【優衣】
「ここがテフロンとは違うところね。
鉄のフライパンはこうしないとお肉がくっついちゃうのよ」
【優衣】
「逆にテフロン加工のは、空焼きをするとテフロンが剥げちゃうの。
有毒物質も出るから、絶対に空焼きをしちゃ駄目よ」
【兄】
「ほむほむ」
火は中火。
しばらくして、フライパンから薄く煙が出てきた。
【優衣】
「煙が出てきたら、油を投入。
今日は牛脂を使うわ」
真っ白の四角い塊を放り込む。
【優衣】
「パテから油も出るし、鉄のフライパンに沁み込んだ油もあるから、
うすーく引くだけでいいわ」
【優衣】
「油を引いたら……さあっ、焼きましょう!」
【兄】
「おしっ!」
【優衣】
「パテを入れて……」
二つのハンバーグを並べて置く。
【優衣】
「ハンバーグは焼くと膨らむから、事前に真ん中をくぼませて……」
指先でつんつんとする。
【優衣】
「火は強火で片面一分ほど。
一気に焼き目を付けて、肉汁の逃げ場を断つのよ?」
【兄】
「ほうほう」
【優衣】
「焼き加減は側面を見ながら……。
半分くらい焼けてきたらひっくり返してもいい合図」
【兄】
「ふむ」
じっと二人で焼ける肉を見つめる。
【優衣】
「油が出てくると思うんだけど、この油は実は焼く時の大敵なの」
【優衣】
「ハンバーグって、肉汁を閉じ込めるなら
中心の温度が八十度を超えないようにしないといけないの」
【優衣】
「優に百度を超えちゃう油はハンバーグにとって大敵なのよ。
だから、出てきた油はキッチンペーパーでせっせこ吸い取る」
折り畳んだキッチンペーパーを箸で摘まんで
フライパンに押し付ける。
【優衣】
「……よし。それじゃ、ひっくり返しましょ?」
フライ返しをパテの下に滑り込ませる。
フライパンを手に持ち、クイッと手首をスナップを利かせて、
【優衣】
「ほっ」
じゅぅぅと音をさせて、パテがひっくり返った。
【兄】
「おー」
ここは素直に拍手。
【優衣】
「クスッ、ふふふ。
んまあ、こんなもん慣れよ、慣れ」
少々照れ臭そうな顔をする。
【優衣】
「さぁ、こっちも一分ほど強火に掛けるわよー」
焼ける肉を眺める作業を再開する。
【優衣】
「……実際、鉄のフライパンは熱が逃げにくいから、
もう弱火にしても別に構わないのよねえ」
【兄】
「弱火にするか?」
結構えげつない焼き音はしてる。
【優衣】
「まあ……うん、そうねえ」
曖昧な会話をしてる間に肉は焼ける。
【優衣】
「ん。側面を見て? 完全に色が変わったでしょう?」
【兄】
「うん」
【優衣】
「これならもう大丈夫。弱火に戻して……、水を投入ー!」
じゅわー!!
【優衣】
「そんでもって蓋!」
閉じ!
【優衣】
「これで五分くらい蒸し焼きにします」
【兄】
「……うん、なんていうか、その……豪快な流れだった」
【優衣】
「ただ弱火に戻すだけじゃ、
フライパンに残った熱は消えないままで真っ黒に焼いちゃうわ。
水を加えることで温度を下げて、プラス蒸し焼きができるってわけ」
【優衣】
「ささ、蒸し焼きにしてる間に、鉄板の準備をしましょ?」
棚から箱を取り出し、中から鉄板を引き出す。
【優衣】
「やっぱりハンバーグと言えば鉄板よねえ。
食卓で熱いまま食べたいじゃない?
くす、まるでレストラン~ってね」
【優衣】
「鉄板も鉄だから、まずは火に掛けて煙が出るまで待つのよー?」
【兄】
「ふむ」
カチチチチ。
【優衣】
「さて、鉄板があったまる前に。
ブロッコリーとソースをチンしましょ?」
【兄】
「ほーい」
ブロッコリーは水に湿らせて、キッチンペーパーに包んでレンチン。
優衣が用意した和風ソースは耐熱容器に移してレンチン。
【優衣】
「煙が出てきたら弱火にして、牛脂を塗り込む、と」
【優衣】
「それじゃ、しめじをソテーしていくわよー?」
鉄板に放り込まれたしめじは地味な音をさせて焼かれていく。
【優衣】
「軽く炒めたら、人参のグラッセを乗せて……、
チンしたブロッコリーを乗せる、と」
【優衣】
「さて、鉄板の準備は完了ねー」
【優衣】
「ハンバーグのほうはどうかしらー?」
蓋を開く。
【優衣】
「おー、良い感じっ」
【兄】
「……うん、いい匂いだ」
【優衣】
「じゃあ、盛り付けましょ?
兄さんのは、こっちの大きいほうね」
【兄】
「ありがてえ」
ハンバーグをフライパンから鉄板に移し替える。
じゅぅっという音がたまらない。
【優衣】
「よしっと! それじゃ、テーブルに運びましょ?」
【兄】
「了解!」
―
――
―
テーブルには白米と味噌汁、ハンバーグにポテトサラダが並ぶ。
【優衣】
「それじゃ仕上げに、和風ソースをかけて……」
スプーンで掬ったソースを垂らすと、
食欲のそそる小気味いい音がする。
【優衣】
「はいっ、お手を合わせてっ」
ぱちん
【優衣】
「いただきますっ」
【兄】
「いただきます!」
テロテロリン♪(場面転換する音)
【優衣】
「……2、1」
ピー、ピー
【優衣】
「出来たっ」
オーブンを開いてトレイを取り出す。
【優衣】
「~♪ 熱い内にあんずジャムを塗って~♪」
ハケでぺたぺたと塗り、表面に艶を出していく。
【優衣】
「ケーキクーラーに乗せて、冷めるのを待つだけね」
【優衣】
「うん、良い焼き加減だ。
すぅー……うん、いい香り……」
【優衣】
「あぁ、パイは冷めるまでの時間が煩わしいのよね。
早く食べたいのにぃ」
【優衣】
「…………」
【優衣】
「兄さんと遊ぶか。
クスッ、兄さーん?」