料理「きな粉餅」
◆おまけ
「きな粉餅」
冬期追加ボイス
リビング。
【優衣】
「あ。おはよー、兄さん」
台所でコーヒーを淹れる優衣に挨拶を返す。
まだ起きたばかりなのだろう、パジャマに半纏という格好だ。
【優衣】
「コーヒー飲む?」
【兄】
「もらう」
【優衣】
「ん」
食器棚を開き、カップをもう一つ手に取る。
【優衣】
「あ、そうだ」
カップをそのままに、小走りでこちらにやってくる。
【優衣】
「ストーブ入れるわね。確かまだ灯油は…………うん、大丈夫」
小型の炉のような石油ストーブのスイッチを操作する。
慣れた手つきでカチカチと押すと、ぼうっと点火する音が聞こえた。
【優衣】
「……我が家はいつまでこんな古臭いストーブを使うのかしらね」
【兄】
「買うには高いしなあ」
【優衣】
「でも、最近の石油ストーブは
値段に見合うほどの価値があるみたいよ?」
【優衣】
「ズバリ言って、燃費がスゴい!」
【優衣】
「兄さん、我が家の冬の期間の懐事情を知ってる?
化石燃料代もバカにならないのよ?」
【兄】
「あー……」
冬の時期になると母が家計簿と睨めっこする姿をよく見かける。
この時期は家庭を担う母親にとっては痛い季節だろう。
【兄】
「昔は、灯油の値段も40円だったのになあ。
今じゃ当時のガソリンと同じっていう」
【優衣】
「原油価格の大暴落……。
……と言っても、昔ほどの値段には下がらないわね」
【兄】
「でもまあ、ガソリンの安さは実感できるな」
【優衣】
「ふふっ。
兄さんにとっては灯油よりもガソリンの価格のほうが身近か。
車を乗り回すリッチな若者ですなー」
【兄】
「馬鹿にするなら乗せてやらんぞ」
【優衣】
「冗談」
すくっと立ち上がると、台所に帰っていく。
しばらくして、ストーブの火が盛んになってきた。
中々に荒々しい音を湛え、熱気を放出する。
受け皿に手をかざす。
じんわりとした熱が手を伝い、
体の芯を温め始めたところで優衣が寄ってきた。
【優衣】
「おまたせ」
カップを受け取る。
【兄】
「砂糖は」
【優衣】
「砂糖は大匙一杯、すりきりで」
【兄】
「ミルクは」
【優衣】
「ミルクも入れた」
【兄】
「うむ」
【優衣】
「どうぞ、召し上がれ」
カップに口を近づけたところで、
香り豊かなコーヒー豆の香りに交じって別の香りがした。
【兄】
「なに飲んでんだ?」
【優衣】
「うん? 私はポタージュ」
【兄】
「交換しろ」
【優衣】
「やだ」
【兄】
「ポタージュあるならそう言え」
【優衣】
「兄さん、いつもコーヒーじゃない。
人に淹れさせておいて、今さらポタージュのほうがいいとか
認めません」
【兄】
「くそったれ」
【優衣】
「今度からは自分で棚を調べて、自分で淹れることね」
【兄】
「はいはい」
軽く口に含む。
冷えた体には強烈な熱さに、全身がぶるりと震えた。
隣りからは粘度のある啜り音と
ぼりぼりとバゲットを噛む音が聞こえる。
ちくしょう、やっぱりポタージュのほうがいい。
今からでも自分で作りに行くか。
【優衣】
「……ん」
マグカップを差し出してきた。
【優衣】
「一口だけね」
【兄】
「……」
【優衣】
「ひとくちだけね」
念を押された。
【兄】
「どうも」
代わりにとこっちも差し出す。
【優衣】
「あ、コーヒーはいい。舌が変になりそう」
【兄】
「そか」
受け取ったマグカップを傾ける。
【優衣】
「……子供みたいに恨めしそうな目で見てさ。
まるで私が悪いことしたみたいに」
【兄】
「実際悪かった」
【優衣】
「まだ言うか。ポタージュ返せ」
【兄】
「もう飲んだ」
マグカップを返す。
そこからは会話もなく、二人で黙々とカップを飲んでいった。
コーヒーの熱気を全身に巡らした今なら
なんでもできそうなくらい体が良い具合に火照っている。
それでもこの場から動くのが鬱陶しくて、
ごうごうと燃焼するストーブの前に鎮座し続けた。
【優衣】
「兄さんは、このストーブ好き?」
唐突な問いだった。
意図を予断できずにいると、優衣は続ける。
【優衣】
「私は、まあまあ好き」
【優衣】
「モダン……とは言えないけど、
近代的でかつ古典的な家具だと思うの。
私は、そういうの結構好き」
【優衣】
「あと、やかんが湧かせるし」
【兄】
「……それはもしかしてギャグで言ってるのか?」
【優衣】
「ギャグじゃない、本気。
……なに人の真面目な言葉をギャグ呼ばわりしようとしてるのよ」
怒られてしまった。
【優衣】
「このストーブ、火としては弱火も弱火、超弱火なのよ。
だから沸騰して吹きこぼれることもないし、
忘れていたときも安心でしょ?」
【優衣】
「それに、いつでも温かい飲み物が飲める。
ポットと違って、常時沸騰状態だから冷めにくいし」
【優衣】
「あと、簡単な調理もできちゃうでしょ?
小さいフライパンにウインナーと目玉焼きなんか乗せちゃって」
【優衣】
「超弱火だから、鉄板代わりにもなるし。
そのままフライパンをお皿に朝食を済ませたり……」
【兄】
「お前、朝はいつもそんなことをしてるのか?」
【優衣】
「え、そうだけど……」
【優衣】
「あ、そっか。私が学校に行くとき、兄さんは寝てることが多いから。
私の朝食事情を知らないんだ。あはは」
『あっ』と思いついたように手を合わせる。
【優衣】
「そだ。餅を食べましょ!」
【兄】
「いきなりすぎてついていけん」
【優衣】
「くすくすっ。このストーブは超弱火って言ったでしょう?
いわば七輪みたいなものよ。
だから、餅を焼くのにも適役なの!」
【優衣】
「待ってて、いま持ってくるから」
【兄】
「なにを!」
返事はない。
大方予想はできる。
果たして、優衣は網とやかん、きな粉に餅を持ってきた。
【優衣】
「私のおやつレシピを兄さんに授けるわ」
【兄】
「別にいらないんだが……」
【優衣】
「まあまあ、いいからいいから。
兄さんも絶対に嵌るわ。
冬は炬燵に蜜柑な兄さんに新たな境地をプレゼントしてあげる」
【兄】
「ホントに結構……」
【優衣】
「まずは網をセットします」
人の話を聞け。
【優衣】
「続いて餅をセット」
丸い餅が二切れ網に並べられる。
【優衣】
「……」
【兄】
「……」
二人して黙って餅の焼ける様子を観察する。
【優衣】
「何か面白い話して」
【兄】
「んな無茶な」
【優衣】
「じゃ、まずは私から」
【兄】
「交代制?」
【優衣】
「えー……と」
【兄】
「……」
【優衣】
「えー……」
【兄】
「……」
【優衣】
「……」
【優衣】
「布団が吹っ飛んだ」
【優衣】
「はい次、兄さん」
【兄】
「嘘だろォ」
【優衣】
「はやく、はやく」
【兄】
「えー……っと」
【優衣】
「わくわく」
【兄】
「えー……」
【優衣】
「わくわく」
【兄】
「……」
【兄】
「……ウォシュレットあるじゃん。ウォシュレット」
【兄】
「あれでさ、おしりっていうボタンを押すわけよ、普通。
風水みたいなのがふぁさぁってケツにぶつかるマークの」
【兄】
「その他にもなんかボタンがあるわけじゃない?
温度調整とか水量調整とかさ」
【兄】
「そんでこの間さ、
ちょっと興味本位で押したことないボタンを押してみたわけよ」
【兄】
「そしたら、こう……水量MAX水温MAXな状態でさ、
……この、ここ。ここ。
このあたりにどどどどどどっっ!! って当たって」
【優衣】
「あ、焼けてきた」
【兄】
「無視かい」
優衣が箸先で切れ目をのぞかせ始めた餅をつつく。
【優衣】
「焼く時の注意ポイントとしては、餅を膨れさせ過ぎないこと」
【優衣】
「割れ目から覗いた餅は粘度を持ってて、網に触れたら最後、
納豆を食べた後の箸みたいになっちゃうのよ」
【優衣】
「掃除が面倒だから、なるべく網には触れないように……」
【優衣】
「かといってしっかり焼かないともちもちしないから…………こう、
割れ目から覗いて冷えて硬くなったところを下にして……」
【優衣】
「あ、まだ柔らかかったっ」
【兄】
「しっかり」
【優衣】
「ぅぅ……寝起きだから感覚が」
【兄】
「もう目は覚めてるでしょーが」
【優衣】
「これは兄さんの」
【兄】
「ちょっと」
【優衣】
「くすっ、冗談よ。
私の失敗だからこっちが私の」
【優衣】
「ん。……両方とも失敗すればこんな議論しなくて済むんじゃ……」
【兄】
「肩組んでゴール理論を繰り出すな」
【優衣】
「ふふっ、嘘よウソ。
ちゃんと真面目にやるから」
【兄】
「どうだか……」
心配はしたものの、優衣はミスなく餅を返していく。
【優衣】
「さて、次は熱湯を用意します」
やかんを傾け、お椀に注ぐ。
白湯だ。
【優衣】
「この熱湯に、焼けたばかりの餅を……ダイレクトでどぼん!」
じゅっ、と音を立てて餅が熱湯と反応する。
【優衣】
「ほら、兄さんもっ」
ホクホクした様子で促してくる。
素直に従おう。
【優衣】
「熱湯の中に餅を沈めるようにして……焼けて硬くなった外側も、
割れ目から覗いたもちもちもトロトロになるまで待つの」
始めは白湯に浮いていた餅。
それも次第に水分を吸っていくことで密度を増し、
白湯に沈んでいく。
程なくして、優衣の言う通り
餅は箸で摘まむだけで原型を瓦解してしまうほどふわふわになった。
【優衣】
「トロトロになったら最後、救出してきな粉の海にどぼん!」
【優衣】
「はい、これぞ私流『きな粉餅』の完成!」
【優衣】
「わらび餅の上に耳かきほどのきな粉を掛けるような
上品な出来栄えじゃなく、好きなだけきな粉を絡めて食べるの」
【優衣】
「きな粉には事前に砂糖を混ぜてるから、
餅と砂糖の黄金タッグも完成!」
【優衣】
「さあ、召し上がれ?」
【兄】
「……まあ、もう食わんでも旨いの確定してる組み合わせだが」
取りあえずは食べて感想を述べねばなるまい。
すでに自信たっぷりな笑顔を湛えた優衣は、
俺の感想を聞いてさらに得意げに微笑むのだろう。
わかっていながら……いや、わかっているからこそ、
俺は嘘偽りなく言葉を告げる。
【兄】
「 砂 糖 多 す ぎ ! ! ! 」