おひざまくらのおまじない
さ、じゃあ目を瞑ってね
うん
眠ってしまってもいいよ
気持ちよ~く、心地よ~く
ゆらゆら ゆらゆら
雨に流されていく、葉っぱみたいに
雨に体を洗われるように
ん
あら
少し納まりが悪い?
んー
ならちょっと左の手首を...はい、失敬
すこ~し心臓が早う動いとるね
そうね
坊っちゃん、毎日頑張ってしまってるから、早う動く癖がついてしまったんやね
じゃあ、すこ~し緩めて行こうね
...ん、そう
ドク、ドク、ドク、ドク...って急いで心臓をど...くん、ど...くんって一休み
そう...
だんだんと混じっていく
腕をあやす音と坊っちゃんの心臓の音
ど...くん ど...くん
すーー
はーー
こうしてるとね
時間もゆーっくり流れて行くんよ
一休みのおまじない
お膝枕のおまじない
うふふ
昔はね、坊っちゃんこうしてお話するだけですぐうとうとしおったもんね
さ、あの時の同じ
ゆ~っくり、息を吸うんよ
いつもより、ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて
そして、私の声を聞いて
雨の音を聞いて
天井を見上げて
見飽きたら、目を瞑って
雨の音と、私の声だけ
そうすると、色んな音が聞こえてくる
色んな音
普段は聞こえない音
小さな声
そう
雨の音の中にはね、色んな音が隠れとるんよ
聞こえる?
あれは雨宿りをしとる鳥の声
スズメかな?何の鳥さんかな?
遠くで鳴いてる
お母さん、お母さん...ここだよって知らせてるみたいに
あれはハタハタ、ハタハタ
雨に打たれる紫陽花の音
雨が空から降る音じゃなくて、雨が葉っぱに落ちる音
屋根を叩く音
縁側を濡らす音
土に滲みていく音
聞いて
耳を澄ませて
あら、カエル
ふふ
どこで鳴いてるんやろうか、元気な声
雨と一緒にしか聞こえない綺麗な鳴き声
うふふ
クエコクエコってお水をぷくぷくしてるような声
面白い声
あぁ
それから、虫の声
きっと葉っぱの下でじっと息を潜めてる
雨に打たれないようにじっと休んでる
でも綺麗な羽の音
雨に寄り添うみたいな羽の音、鳴き声
綺麗ね
とっても綺麗
色んな音が混じり合ってる
いつもは分からない音
忘れていた音
知らない空気
ううん、坊っちゃんは忘れていただけ
ねえ、懐かしいね
温かいね
雨に混じる沢山の音
心地いいね
とっても安らいでいく
あたしね、雨が大好きなんよ
それはね、坊っちゃんが今もこうしてお膝枕に頭が乗っけてくれるからよ
うふふ
坊っちゃんのお父さんも、おじいちゃんも、そのまたお父さんも、おじいちゃんも
皆ね、ちっちゃい頃はあたしが見えて沢山遊んでくれた
でもね、やっぱり途中で気付いてしまうとね
怖くなってしまうんやろね
あたしは雨
雨の日にしか見えない女
お父さんにも、お母さんにも、お友達にも見えない女
なーにが違うんやろうなって不思議に思って、おかしいなーなんて
少し離れているうちにあたしのことは忘れてしまう
皆忘れてしまう
あたしはすこーし寂しいけれど...
でも坊っちゃんたちがその方がいいならって思って
また静かに雨を待つ
ずーっとそれだけやった
でもね、坊っちゃんはほんに不思議な子でね
覚えとる?あたしと何度か遊んだ後その時気が付いたんかね
それとも、ずーっと気にしてくれたのか
坊っちゃん、あたしに名前を聞いてくれたんよね
そんなのもうずっと前に聞かれたっきりであたしはもう自分の名前なんかは分からなくてどうしようっと思ってね
坊っちゃんにコンベさんよって言うったんよね
名無しのコンベさんですよって
ふふ、そしたら坊っちゃんね
女の子なのにおかしいよ、なんていって
それから一生懸命あたしの名前を探してくれて
あたしはなんでここにいるのか
あたしはどんな人なのか
あたしは何年ここにいるのか
何か思い出せないか
雨が降る度、聞いてくれて
雨が終わって、年を取ってもまた次の雨が降る日までずーっと覚えていてくれた
あたしは結局なんにも分からなかったけど、だいぶ大っきくなった坊っちゃんがね、ある日いきなりあたしに名前をくれたんよね
覚えとる、「優雨」って
優しい雨って書いて、優雨
コンベさんよりこっちにしないよって
あたしとっても驚いてしまってね
それからしばらくは雨が降ってもなんだか照れくさって
坊っちゃんに会いに来れなかったんよね
でもね、と~っても嬉しかったんよ
びっくりしてこのまま消えてしまうんじゃなかろうかって思ったんよ
こんな嬉しいことってあるのかなって
それからあたしも気がついた
坊っちゃんにとって雨は優しいもんだなって思ったんよ
それがとっっても嬉しかったな
ね、坊っちゃん?
ほら
うふふ
寝とるんかな?
寝たふり、かな?
うふふ
ね、坊っちゃん?
雨の日は特別な日
目を瞑って、静かな音色に耳を貸して、ゆ~っくり息を吸って、土の匂いを吸い込んで
それからほんの少し、昔のことでも思い出して
雨の日は特別な日
時間がゆっくり流れていくんよ
晴れの日にいっぱいになった埃を雨がしっとり洗い落としていくみたいに
熱くなりすぎた空気をそっと包んで、ひんやり冷やしていくみたいに
だから、目を瞑って気持ちよ~く、心地よ~く、ゆらゆら、ゆらゆら、雨に流されていく
葉っぱみたいに
雨に体を洗われるように
坊っちゃんが毎日頑張って、早う動かしとる心臓をすこ~し緩めて、ね
小さな音を聞いて
ゆっくりと流れる時間を感じて、ね
そう
雨の間だけ