Track 5

第五話

「休日、家に招待してもアプローチ」 ―自宅・昼過ぎ― 作戦:No.08 「将来はお嫁さん」 【やつこ】 「へへ。今日は招待してくれてありがとー。  何かおいしいものが食べられるって聞いたのですが?」 【男】 「フフフ、如何にも。――これだっ!」 【やつこ】 「お、おおおぉぉ。この白くて眩しい物体っ、ところど  ころに頬を染めたように赤らんでいるこれは……っ!」 【男】 「そう。これがお菓子界の王様」 【やつこ】 「ごく……。そうだね。まさしく、これがお菓子界の王  様」 【やつこ】 「ケーキだ!」 【男】 「ケーキだ!」 【やつこ】 「わあああっ! ケーキなんて久しぶりだよおぉ。  食べたくても、近所にケーキ屋さんないから……。  じゅるる。うへぇ、よだれが……」 【男】 「ほれティッシュ」 【やつこ】 「あ。ありがと。……ふきふき」 【やつこ】 「……それで? これを食べるためには、何をすればい  いのデスカ?」 【男】 「そんなつもりはない。食べて欲しいから作ったまでよ」 【やつこ】 「へっ!? だべでいいの゛!?  だべでい゛い゛の゛!?」 【男】 「きったねえ声になってるぞ!!!」 【やつこ】 「やったー! じゃあさっそく……。  いただきまあああす!!」 【やつこ】 「ふぉーくぶすー」 【男】 「切り分けもせずにフォークを突き刺しおった……。  相変わらずきったねえ食べ方すんのな……」 【やつこ】 「んっふふー、ホールケーキはね、クリームたっぷりぃ  い↑な縁側が一番美味しいのだよ、ワトソン君。贅沢  の極みだからね。あーむ。んむんむんむ」 【男】 「どや?」 【やつこ】 「んん~~っ! おいひいよぉおぉお……。ううぅぅ、  おいひぃ……おいひぃよぉぉぉ……」 【男】 「か、感涙してる」 【やつこ】 「んぐんぐ……。はぁぁ、……ほんと、君の幼馴染でよ  かったなって思う」 【男】 「へ」 【やつこ】 「将来ため……他の誰かのために作るお菓子の、その練  習だとしても、こうやって君の作ったものを食べられ  る幸せは、やっぱり、ちゃんとあるものだから」 【男】 「ほ、他の誰って……。俺はそんなつもり――」 【やつこ】 「たとえ私の試食が、君の将来への踏み台に過ぎなかっ  たとしても、私は幸せだよ? こうやって美味しい物  が食べられるんだもん。有難いよ」 【男】 「いや、だから、そんなつもりは――」 【やつこ】 「だから、きっと叶えてね。将来の夢」 【男】 「へ」 【やつこ】 「君がなるの、楽しみにしてるから。――パティシエに!」 【男】 「ならねえよ!!」 【やつこ】 「へ? ならないの? ……夢じゃ、ないの?」 【男】 「全然夢じゃない。ちゃうがな……」 【やつこ】 「そ、そうだったんだ。てっきり私は、将来のための練  習にお菓子を作ってるのかと思ってた。……あれ、そ  れじゃ、なんのためにお菓子を作ってるの?」 【男】 「なんのためって……」 【やつこ】 「あれ、困らせるような質問だったかな?」あせあせ 【男】 「わからないのか? なんのために作ってるのか。  ……誰のために、作ってるのか」 【やつこ】 「そ、そんなこと訊き返されてもわかんないよ。なんの  ために作ってるのか、……誰のために作ってるのか、  なんて……」 【男】 「……」 【やつこ】 「……うぅ、黙りこくっちゃったよ。えっと、うーん…  …。ん、ん~……?  んぃう……――はっ。もしかして……」 【やつこ】 「私のため……? お菓子好きな、私の、ため?」 【男】 「……そうだよ」 【やつこ】 「ぁ……。そうだったんだ……。へへっ、そっかそっか。  ん……、さすが、私の幼馴染だね。私の事をよく解っ  てる。……だから、君のこと……好き」 【男】 「は?」 【やつこ】 「んっ! そーんな大好きなワトソン君のためにっ!   じゃじゃーん!」 【男】 「うわっ、なんだ!?」 【やつこ】 「私からもプレゼントでーっす! またクッキー作って  きたんだあ。よかったら食べて食べて?」 【男】 「い、いや。そんなことよりもさっきお前っ」 【やつこ】 「ん? どうしたの? ……食べないの? いちおう、  自信作なんだけど……」 【男】 「うぐっ」 【男】 「(どうせいつもみたいに、“好きは好き。それ以上も以  下もない”みたいな妙な拘りを言い繕うんだろう)」 【やつこ】 「うん? ん? 食べる? 食べ、ない?」 【男】 「……食う」 【やつこ】 「あ。うんっ、どうぞー。今日は“さくさくっ、ほろほ  ろっ”にこだわったチョコチップクッキーだよ」 【やつこ】 「やっぱりクッキーに違う歯ごたえのアクセントを加え  るには、ナッツよりもチョコチップだよねー」 【男】 「これ、この前も作ってなかったか?」 【やつこ】 「おぉ~、よく気付いたねぇ。その通り、これはこの前  作ったのとおんなじクッキーだよ?」 【やつこ】 「でも、今回は味見もたっぷりしてきたし、……という  か、味見のしすぎで、予定の半分しか作れなかったん  だけど……、味はばっちりだよ! うンマイから!」 【男】 「ほう」すっ 【やつこ】 「……どうかな? 美味しい?」 【男】 「もぐもぐ」 【やつこ】 「……」 【男】 「……美味い」 【やつこ】 「あっ、美味しい? そっかー、よかったよぉ。……  まぁ、自信作だからね。そのくらいの評価は貰わない  と、割に合わないよ。ふふっ」 【男】 「お前って、料理が得意だよな」 【やつこ】 「うん? んー、そうかな。料理は、得意っていうん  じゃなくて、やればできるってだけだよ?」 【男】 「いやいや。それでこれだけ美味いものが作れるんだか  ら大したものだ」 【やつこ】 「え、あ……そ、そう? へへ……、そうやって褒めら  れると、なんだかムズ痒いね」 【男】 「花嫁としての素質大だな」 【やつこ】 「うぇっ!? は、花嫁の素質があるって言われたの、  初めてだよ……。ふ、ふぅん。そっか。引く手数多、  ということかね? ワトソン君っ」 【男】 「そうだな」 【やつこ】 「そ、そうだなって……。肯定しちゃうんだね……。  うぅ……恥ずかしいなぁ、もう……」 【男】 「お前を嫁に持った奴は幸せだろうなあ」 【やつこ】 「っ、も、もうやめっ! なんでそんな、恥ずかしいこ  とばかり言うのっ。私をお嫁さんにした奴は幸せだな  ーとか、恥ずかしげもなく言ってぇ……」 【男】 「本当のことだろ?」 【やつこ】 「ほ、本当かどうかは、お嫁さんになってみないとわか  んないじゃん。自信満々に言ってぇ……。もう、どっ  からその自信が生まれるのか教えて欲しいよ……」 【男】 「はあぁあー、お前が嫁になってくれたら、俺は幸せだ  なあ」 【やつこ】 「も、もうっ! いつまでその話してるのっ! 私が、  君のお嫁さんになったら、とか……幸せがどうこう、  とか……」 【やつこ】 「そんな、あの、具体的な話は……恥ずかしいからやめ  やめっ!」 【男】 「うーむ、相変わらず我が幼馴染はなびかない」 【やつこ】 「……ったくもー。前といい、今日といい、どうしても  っと上手く褒めないかなぁ。嬉しいけど、せめて恥ず  かしくならない言い方にしてほしいよ」 【男】 「例えば、どんなだ?」 【やつこ】 「え? 例えば? んんー、そうだね……。れ、“レシピ  通りに作れてるな”とか、“ちゃんとサクサクしてる  じゃーん!”とか、そういう……感想を……」 【男】 「平凡だな」 【やつこ】 「へ、平凡でもいいの。上手く作れたんだなって、そう  やって褒めてくれればいいのに……。どうしてそう、  恥ずかしがらせようとするの?」 【男】 「別に、恥ずかしがらせようとはしてない」 【やつこ】 「っ、してるよー! だって、ものすんごく恥ずかしい  んだからね。いま、ここから逃げ出したいくらい、恥  ずかしいんだから……」 【男】 「実際、逃げてないわけだが」 【やつこ】 「む。またそうやって人の揚げ足を取る。私が恥ずかし  いのを我慢しながらもここにいるのはっ、――あむ。  んむんむんう。きいおけーひおかえうはえあ!」 【男】 「食べるか話すかどっちかにしなさい」 【やつこ】 「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ」 【男】 「ほんっと、俺とのコミュニケーションよりも食事優先  なんですね(涙」 【やつこ】 「ん、んぐっ! 君のケーキを食べるために、私はここ  に残っているのだよ、ワトソン君。それに、私はお招  きされた側だぞ。もっと丁重に扱ってはどうなのかね」 【男】 「ほれ、あーん」 【やつこ】 「あ、食べさせてくれるの? へへっ、あーんむっ♪」 【男】 「こういうことは恥ずかしがらないんだよなあ」 【やつこ】 「もぐもぐもぐもぐ……んふふ、おいひー」 【男】 「あー、さいですか。さいぜりあ」 【やつこ】 「んむんむ……。あ、そだ。恥ずかしいついでに聞きた  いんだけど」 【男】 「ん?」 【やつこ】 「“お嫁さんになる”って、幸せなのかな?」 【男】 「んん? なんだそのよくわからない質問」 【やつこ】 「あぁ、ごめん。咄嗟に出た言葉だから、ちょこっとわ  かりにくかったかも。つまりはね、“お嫁さんになる必  要ってあるのかな”ってこと」 【男】 「必要?」 【やつこ】 「この歳にもなって、こんなこと訊くのも恥ずかしいん  だけどね。あー、んーん、むしろこの歳になったから  こそ、こんなことが気になり始めたー、かな?」 【やつこ】 「それこそ昔は、“お父さんのお嫁さんになるー”って言  ってたけど……。あ、もちろん今はそんな子供じみた  ことは言わないよ?」 【やつこ】 「子供じゃなくなったからこそ、将来のことを真剣に考  えているのだよ、ワトソン君」 【やつこ】 「それで、ちょこっと意見を聞こうかなって思って。  ……結婚って、なんのためにあるのかな? お嫁さん  になることって、どんな幸せがあるのかな?」 【やつこ】 「お嫁さんにならないと知ることができない幸せって、  今よりも……、今よりもずーっと幸せな、そんな特別  なものなのかな?」 【男】 「む、むむ。お前のくせに、面倒な考え持ちやがって…  …」 【やつこ】 「むっ! 私のくせにって言ったなー! なんだよっ、  ちょこっとくらい真面目なこと考えてもいいじゃない」 【やつこ】 「……って、面倒な考えって言ったなーっ!  ひどいよぉ……」 【男】 「なってみればいいじゃん」 【やつこ】 「えっ。なってみれば、いい……って?」 【男】 「その“お嫁さん”とやらに、なってみればいいじゃん」 【やつこ】 「お嫁さんに、なってみる? 私が?」 【男】 「お前の頭じゃ理論立てて幸せの構造とか説明されても  わかんねえだろ。気になるなら、なってみりゃいい」 【やつこ】 「むむ。なんだか難しいことを言って私を馬鹿にしたよ  うな気がするけど……。まぁ、目を瞑ろう」 【やつこ】 「……それで? お嫁さんになってみればいい、って簡  単に言うけど。一寸先は闇ぃな結婚なんて、そんな簡  単にできることじゃないよ」 【やつこ】 「お母さんが夜な夜な口にしてるよ、『あんたが独り立ち  したら、あんな亭主とは別れてやるー』って」 【男】 「……あまり、哀しくなるようなこと言わないでくれな  いか」 【やつこ】 「やっぱり、そんな話聞くとね、お嫁さんにならないで、  ずーっとこのままのほうが幸せかなーと思うんだー」 【男】 「くぅっ! そうやって代代を迎え、マンショ  ンの一室をローン組んで買うことになるのかお前は  っ!! “独りでも、寂しくない”、とか強がりなこと  を言ってっ!!」 【やつこ】 「……ど、どうしたの? そんな哀しみに暮れたような  顔して……。うっ、なんだか、哀れみの目で見られて  るような気が……」 【男】 「よし。名案を思いついた」 【やつこ】 「うん? えっ、名案っ? なになに、聞きたい聞きた  い! どんな案?」 【男】 「お嫁さんごっこでもするか」 作戦:No.09 「お嫁さんごっこ」 【やつこ】 「……お嫁さん、ごっこ……? なに、その壊滅的な  ネーミングセンスは」引き気味 【男】 「なんでや! simpleで解りやすいやろ!」 【やつこ】 「んん……。確かに、シンプルで解りやすいけど……」 【やつこ】 「んー……。お嫁さんごっこ、かぁ……。もっと具体的  な説明を要求する」 【男】 「お嫁さんになった気持ちで、色々してみるんだよ」 【やつこ】 「お嫁さんになった気持ちで、色々してみる……。んん、  まだ抽象的だよ。具体的にどうすればいいの?」 【男】 「じゃあ実践してみるか」 【やつこ】 「へ? じっせん……?」 すっ 【やつこ】 「え、ちょ、なに。なんでこっちくるの」 【男】 「なーに、別に痛いことはしない」 【やつこ】 「“痛いことはしない”って言ってるのに顔がにやにやし  てるよーっ! なんか嫌なこと企んでる顔だよぉー  っ!」 【男】 「ほんとほんと。安心しロッテ」 【やつこ】 「……ぅ、うん。わかった……。じっとしてる……。変  なことしたら、やだよ?」 【男】 「だだだっ大丈夫だ」 【やつこ】 「うぅ……」 ぎゅう 【やつこ】 「っ、ふあ」 【やつこ】 「ぁ……。抱き締められちゃった……。ふあぁぁ~」 【男】 「(やっべぇ。とんでもないことしてる気がする)」 【男】 「っと、とまぁこんな感じだなっ!」ばっ 【やつこ】 「あ。う、うん。そっか。こんな感じかぁ。ほぉ……」 【やつこ】 「……へへっ、悪い気はしなかったね」 【男】 「うぐっ。そ、そうか」 【やつこ】 「んー、お嫁さんごっこかぁ……。他には、どんなこと  するの?」 【男】 「そっ、そりゃあおめぇ……あの、お嫁さんにならない  としてはいけないような、あーんなことや、こーんな  ことまで……す――」 【やつこ】 「む。誤魔化したってわかんないよ。お嫁さんにしかで  きないあーんなことやこーんなことって? 具体的に  話すのだぞ。ワトソン君っ」 【男】 「いや、……あの。ま」 【やつこ】 「? ま、……なに?」 【男】 「また今度になっ!!!」 【やつこ】 「えー? また今度ー? やれやれ、仕方ないな。少し  時間を与えてやろう。これは宿題だぞ? ワトソン君」 【男】 「うぐ。はい……」 【やつこ】 「――そーんなことよりもっ! ケーキケーキ! これ、  全部食べてもいいんだよね? ねっ?」 【男】 「そんなことより……だと……」 【男】 「ぐ……っ。あぁ、食べていいぞ」 【やつこ】 「お~っ! 太っ腹だねぇ。よっ、大将!」 【やつこ】 「それじゃ、苺さーん。いただきまーすっ。  あ、クッキー全部食べていいからねー」 【男】 「……はいはい」 ?