1-1.本屋のおしごと
私は、ご主人が経営している本屋で、店番の仕事をしています。
しかし、ただの本屋ではありません。
取り扱っているのは、ありとあらゆる魔法が書かれた、魔導書です。
怪しい魔導書を扱っているため、その雰囲気にハクをつけたい……そんな理由から、ダークエルフの私が店番の仕事をもらったのですが……
……今日も、とっても退屈。
お店を開けてから四時間経つけど、まだ一人もお客が来てません……
ご主人は、奥で仕入れの仕事中だから、話しかけるわけにもいかないですし……
読み書きの練習も、終わってしまいました……
……もう一度、掃除、しましょうか。
さっきしたばっかりだけど……奥のほうに、まだ汚れが残ってるかもしれませんし。
……ふぅ。働くなんて、このお仕事が初めてですけど……
やることがない、というのは、逆に辛いものなのですね……。
……このお仕事、とにかく退屈です。
お客は、一日に二人もくればいいほう。一人も来ない日だって多いです。
この退屈の苦痛さはご主人も重々承知しているらしく、押し潰されそうになっている私を心配して、文字の読み書きを教えてくれるようになりました。
私は元奴隷なので、簡単な数字くらいしか読むことができません。
本という、文字を書いてあるものを取り扱うお仕事なので、知っておいて損はありません。私は喜んで賛成しました。
……ただそれも、ご主人のお仕事が忙しくなると、教えてもらうことはできません。
自主練習用の教材もすぐに終わってしまって、再び退屈な時間がやってきます。
まったく、一見すると呆れるほどに経営状態の悪い本屋なのですが……
そんな状況でも、この本屋は十分にやっていけています。というのも、魔導書は、一冊一冊がとても高価だからです。
一冊売れれば、一年は暮らせる金額が手に入ります。
だから、何の心配もなく暇を持て余すことができるのです。
……ふぅ。
お掃除しすぎて、全然埃が残ってない……。
私、そんなに綺麗好きってわけじゃないんですけど……このお仕事を始めてから、汚れに敏感になりました。
……とはいえ。時間が潰れて欲しいから、“店が汚れてて欲しい”と思うのは、なんだか本末転倒な気が……。
ぁ……お客……
いらっしゃい……
……ああ、どうも。お久しぶりです。ドワーフのおじさん。
一月(ひとつき)ぶりですか。この前の魔導書はいかがでしたか。
……そうですか。それはよかったです。
今日は何かお探しですか。
……なるほど。結構なお歳ですし、確かに、斧を振るうのは辛いかもしれませんね。
では、このあたりの……風を操る魔法はいかがですか。単純に風を発生させて動かすだけですから、とっつきやすい魔法だと聞いています。ある程度練習すれば、太い木でも切り刻めると思います。
お買い上げに? ……ありがとうございます。
そういえば、最近寒くなってきましたね。風をただ起こしただけだと、体にしみるのではないですか。
そんな季節にぴったりな、簡単に火を起こすことのできる魔法もいかがですか。
奥さんにも喜ばれるかもしれませんよ。
……ありがとうございます。
たくさん買ってくれるお客は嫌いではありません。
その“商売上手だね”というお言葉は、褒め言葉として受け取らせていただきます。
では、しめて10万ゴールドです。
……はい。ちょうど。
ありがとうございます。
またどうぞ。体に気を付けてください。
……ふぅ。
とりあえず、今日の分のノルマにはなりましたか……。
……あ、ご主人。
お仕事、落ち着いたのですか? お疲れ様です。
あ……今の方、ですか?
常連の方です。ドワーフですけど、本人は魔法の素養があるという、珍しい方で。
お仕事は何をやっているのかは知りませんが……羽振りも良いので、良いお客です。
……え? ああ、はい。最近は、先ほどの方のように、案内を求められることも多くなりました。
もちろん、大半のお客は、一言も喋らずに、お金だけ置いて帰っていきますが……
一部の方は、私に話しかけてきます。
おかげで、置いてある魔導書の場所が、大体分かるようになりました。
いくら、怪しい本屋でも……お客が全員、怪しいというわけではないのですね。
ん……そうなの、でしょうか……。
私が、来てから、売り上げが上がったのなら……とても、嬉しいことです。
…………。
……ご主人。
そんな私は、偉い、ですか?
……そう、ですか。
……では、もう少し、褒めていただけますか。
ん……んん……♪ うふふ……♪
あとは……頭も、撫でてもらえると……
ん……ん、ん、ふふ……♪ ん、ぁ……♪ ふぁ……♪
ありがとう……ございます。ご主人……
ん……ふ、ふ……♪
……はい、なんでしょうか。ご主人。
気になったこと、ですか?
…………。
私が、お店のお金を盗もうと思ったこと、ですか……。
……あ、はい、分かります。別に、疑われているわけではないことは、理解しています。ただの、もしものお話ですよね。
そう、ですね……。確かに、お店には大量のお金があるわけですから……盗んだら、しばらく、何もせずに暮らせるのは分かります。
……このお仕事を始めてすぐのときに、その考えが思い浮かばなかったというと……多分、嘘になります。
考えなかったわけではありませんが……
でも、やろうとは思いませんでした。
お金を盗んだりしたら、この場にいられなくなりますから。
ご主人ほど、ダークエルフを気さくに受け入れてくれる人を、他に見つけられるとは思えません。
この本屋は……とても暖かくて、居心地がいいんですから。
どう考えても真面目に働いて、ここに居続けたほうが得でしょう。
……ふふっ。はい、こう見えても、私は現実主義者ですから。
奴隷だったときの経験は、無駄にはしないんです。
それに。今はもう、そんな考え、微塵も思い浮かびません。
……分かるでしょう? ご主人。
……分かりませんか?
酷い人ですね。ご主人。
……ちゅっ。
ちゅう……ちゅうっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅう……ちゅっ。
はぁ……。
大好きな人と離れたくないのは、当然でしょう?
……ふふっ。
……そろそろ、お昼ですね。
ご主人のお仕事も、ひと段落したんですよね?
では……少しだけ、休憩しませんか。
少しだけ、です♪