3-1.魔法のおべんきょう
ふぁあ……。
お昼ご飯食べたあとだから、とっても、眠いです……。
でも、ご主人はお仕事で外に出かけてるし……頑張って、店番しないと……。
読み書きの自主練習で、手を動かし続けて眠気を紛らわしましょう……。
……お客だ。
常連さんだといいんですけど……
若い人間の女性……
……って。あなたですか。
はぁ。
彼女は行商人さんです。
この本屋によく来て、品物を卸してくれます。
人間であるにも関わらず、ダークエルフである私を、軽蔑したりしません。
普通に考えれば、好ましい人物なのでしょう。
……ですが、正直に言って、私は彼女が苦手です。
ご主人は今、店にいません。外に出かけてしまっています。
なので、あなたがここに来る意味はありません。
ですから、さっさと帰って……
……あの。どうして私の隣に座るのですか。
まさか、居座る気ですか。
私も忙しいのですから、早く帰ってください。
……確かに、他にお客はいませんが。
でも、あなたと一緒の空間にいるよりは、退屈に殺されたほうがまだマシです。
ここまで言われても居座るのですか……?
話をしたい? ……あなたが? 私と?
私は、あなたと話したいことなんてありませんが。
……はぁ。勝手にしてください。お茶なんて出しませんよ。
まったく……。
……それで、話とはなんですか。
……特に大した用事があるわけではないのですか?
ただ、雑談をしたいだけですか。
はぁ……。
……ご主人と、ですか?
別に。あなたにどうこう言われなくとも、上手くやっています。
ご主人はとても素敵な方です。
本音を言えば、ご主人の傍に、あなたのような人を近寄らせたくないのですが……
……お仕事ですから。仕方ありません。
あなたがここに来るのは、できれば必要最低限にしてもらいたいです。
……そうです。ヤキモチです。
あなたは性格が最悪なのに、顔だけはいいから、ご主人が誘惑されないとも限りません。
それを警戒するのは、悪いことですか。
ご主人は、素敵な方ですから……私だけのものにはできません。
でも、私を見てくれる時間を、少しでも増やしたいと思うのは、おかしなことですか。
……ちょっと、やめてください。どうして急に、頭を撫でてくるのですか。
やめてください……やめなさい! もう……。
……“心配しないでいい”? ふん。どうだか。
私はあなたのことを絶対に信用なんてしませんから。
私はどうせ悪いダークエルフです。ご主人以外の人間なんて信用しないのです。
ふん。
…………。
また、急に話が変わりますね……。
なんなのですか。本当に……
……確かに、私はダークエルフですが……別に、ダークエルフだからといって、特別に魔法の素養が優れているわけではありません。
……少し言い方が悪いですね。つまり、頭に“ダーク”と付こうが“ハーフ”と付こうが、基本はエルフなので、エルフと同じ程度の素養しかない、ということです。
……とはいえ、こういう本屋で働いてこそいますけど。自分が、魔法の素養に溢れていると感じたことはありません。
だから、魔法の勉強をしようと思ったことは、ないです。
……何となくです。何となく、そんな気がしないだけです。
魔法を自在に操れるダークエルフなんて……余計に、差別と嘲笑を受けるだけになるでしょう。
……はい? ……ええ。読み書きは、だいぶ覚えました。簡単なものなら可能です。ご主人に丁寧に教えてもらいましたから。
まあ、働いている時間のほとんどは退屈ですし……読み書きの一環として、魔法の勉強もしてみてもいいのかもしれませんが……
……う。
確かに……魔法を覚えておけば、いざというとき、ご主人のお役に立てるかも……しれないですね。
自分の身を守れる力にもなります……。
それは、確かです。が……。
……気が進みません。
どうして? ……嫌いなあなたに勧められたことを、素直にやるのが嫌なだけです。
それくらい分かってください。ふん。
……それで?
何をきょとんとしているのですか。
あなたの仕事はなんですか。
さっさと、初心者向けのおすすめの本を教えてください。
あなたは行商人でしょう?
* * *
ようやく帰りましたか。ふぅ……。
……さて。お客も、いつも通りいないことですし……
試しに読んでみることにしましょう。
「ゴブリンでも分かる初心者魔法講座」……題名はとても胡散臭いですが。
まあ、あの人が勧めるのなら、そう悪くない本なのでしょう。
文章にも、あまり難しい言葉はないですし……問題なく読めそうです。
「まずは目を閉じて、精神を集中させて、大地のマナと己の心を同調させる」
「マナの流れを把握して、そこから力を取り出すように、呪文を唱える」
……これくらいなら私にもできそうです。
試しに、何かやってみようかな……
火が出る魔法が最初に紹介されてますけど……さすがに、ここでやってみるわけにはいかないですね。本屋ですし、本に燃え移ったらとんでもないことになります。
かといって、水を作り出す魔法もダメですね……本が濡れてしまいますし。
何か、試しやすそうな魔法は……
……精神操作。
これなら、本に被害は出なさそうです。
ええと……
「対象に向かって呪文を唱える。全ての物体にマナが流れているので、対象のマナを自らのマナで包み込んでしまえば、精神や肉体を操作することも可能である」
「基本的に、意志を持つ生物であれば、種族を問わずに操作することができる」
……なるほど。
これを練習すれば……ご主人に、もっと私を好きになってもらうことも……?
…………。
頑張って練習しましょう。
でも、いきなりご主人相手にかけるわけにはいかないです。
意志を持つ生き物なら、何でもかけられるということだから……
……あ。ネズミ。
ちょうどいい。彼には犠牲になってもらいましょう。本屋に忍び込んだのが運の尽きです。
…………。
目を閉じて……精神を、集中させて……
あのネズミに……私の、マナを、同調させて……
“汝(なんじ)の無垢なる魂、我が手中(しゅちゅう)に来たれ”――
…………。
……ふぅ。
ダメです。ネズミ、逃げてしまいました。
さすがに、初めてでそうそう上手くはいきませんか……。
……それとも、私に才能がないのでしょうか?
まあ、まだ諦めるのは早いですね。ゆっくりと練習することにしましょう……。
……?
はぁ、はぁ、……はぁ……。
……あ、れ? なんだか、急に、息が……
体、熱く、なって……はぁ、はぁ……変な、気分、が……。はぁ、ふぅ……。
……これ、なに……?
魔法の、せい……?
私、何か、間違えた……?
え、ええ……っ?
「魔法が上手く対象にかからなかった場合……放たれた魔法は、自分に跳ね返ってくることがある」……?
そんな、まさか……
つまり、これは、私の、魔法の……
暴走……?
はぁ、はぁ、はぁ……。
そん、な……っ。