Track 3

「はなれたくないよ…おにいちゃん…」

…寝ちゃった、かな。 …うん、ぐっすり寝てる。 これで、お兄ちゃんと話せた時間も終わりかー …終わってみれば、案外短かったな… このままずっとここにいられたらいいのに。 時が止まって、いつまでも一緒にいて喋り続けられたらいいのに。 亡霊の私には…お兄ちゃん以外に喋れる相手がいない。 私が会いたいと思ったお兄ちゃんにしか私を見ることはできないし、ここ以外にどこにもいけない。 そしてお兄ちゃんも、時々昔を思い出して、私のことを思い出しては悲しんでた。 そして私は、そんなお兄ちゃんを慰めてあげたいと思ってここに来た… ごめん、お兄ちゃん… 私ね、嘘ついちゃった。 私の願いは、『お兄ちゃんと会うこと』なんかじゃない。 『私のことを忘れてほしい』、なんだ。 大人になっても、お兄ちゃんは私のことを覚えてくれていた。 実家に帰ったり、一人暮らしで辛いことがあったりしたとき、時々私を思い出しては「詩絵がいたらなぁ」って口に出してくれていた。 私は…冥界から、ずっとそれを見てたんだよ。 「私はここにいる」って、何度も何度も言いたかった。訴えたかった。伝えたかった。 でも、死んだ人の世界と生きた人の世界は別だから、今日までそれは叶わなかった。 …お兄ちゃんは知らないだろうけど。 私、もうすぐしたらいなくなるんだ。 正真正銘、私という存在がこの世から『いなくなる』の。 私のような『亡霊』ってね、一日の夜の間しか存在できないんだよ… 神様が言ってたんだ。 「現世に来た亡霊は朝を迎えれば、完全に消滅する。誰の記憶からもいなくなる」って。 私が生きていたっていう、存在そのものが、全部なくなる。もちろんお兄ちゃんの記憶からも… 私は、それを神様から聞かされて、すべてわかった上でお願いした… 全部、お兄ちゃんのためなの。 今日をぐっすり休んだ後で、もう私のことを全て忘れて、これからを生きてほしいから。 私が死んだっていう、悲しい過去を、一つでも取り除いてあげたいから… お父さん、お母さんがいない私たちの記憶に、私まで入れたくない。 お兄ちゃんの悲しいばっかりの過去に、私なんて無い方がいいんだよ。 だから、私は…初めから消えるつもりでここに来た。亡霊としても死ぬつもりで、譲れない想いを以ってここに来た。 。 私のことを大切にしてくれて、今もずっと大切に覚えててくれるのは、お兄ちゃんぐらいだから。 だから私は、消える最後までここにいられればそれでいい… 神様は「一夜のうちに願い事を叶えればいいことがある」と言ってたけど…できない望みを叶えてもらうような期待、私には持つことができなかった。 それに私が消えても、お兄ちゃんは幸せになれるなら……楽な道を選んだほうが手っ取り早いもの。 だから私は、消える。 そのはず、なのに… …あれ? なぜ?どうして…っ?なんで私は…泣いちゃうんだろう。涙が出ちゃうんだろう。 小さい頃から、どんなことにも耐えられた。 お母さんたちが死んだときだって、クラスメイトのイジメだって我慢強くいられた。私を慰めてくれるお兄ちゃんさえいたら…なんとかなった。 私はお兄ちゃんから、悲しい記憶の一部分である自分を、切り離そうとしているのに。 ……どうして今になってためらってるんだろ…! それはきっといいことのはずなのに。 なんで…私はっ、こんなにも心が悲しくなるの? 今もお兄ちゃんに私の記憶がちらついているから、忘れてもらえれば、もっとお兄ちゃんは自由になれるのに…! 今になって、私は「お兄ちゃんに忘れてほしくない」なんて思い始めてる…ッ! だめだよね…ッ!これじゃわたし、お兄ちゃんに執着しちゃってる。 亡霊どころか、怨霊だよ…ッ! 私自身のこの思いも、消してしまえるようにこんな方法を選んだって言うのにね…! 私がいつまでもお兄ちゃんに付きまとえたら…って、今も思わずにはいられないよ… ホントは、死にたくなかった… あんな交通事故で、お兄ちゃんと離れ離れになりたくなかった… たくさん生きて、おばあちゃんになって、自然に死ねたら良かったのに… 私は冬の道路で、スリップした車に巻き込まれて…お兄ちゃんにお別れも言えずに、自分の血の中に溺れちゃった。 たくさん後悔して、気づいたら冥界にいて、神様に私、慰められてた。 お兄ちゃんも私のために泣いてくれてた。ずっと、冥界から見てた。 親戚だけのお葬式の中、お兄ちゃんは「男だから」って強がっていたけど。 家に帰って一人で泣いてたのを私、知ってるんだよ。 できるのなら、隣で震えてたお兄ちゃんの手を握ってあげたかった。 生きてた頃の、私のあったかい手で。 でも、それもできない。死んですぐには亡霊になれないルールがあったから。 あの日から随分経っちゃったよね…私も、ホントならお兄ちゃんみたいにもっと背も大きくなって、胸も育っていたのかな。 覚えてないかもしれないけど、学校に行く前の昔はね。私よりもお兄ちゃんのほうが泣き虫だったんだよ。 幼稚園の子供との喧嘩に負けたり、おじさんたちに怒られたりして… そのたびに、私がお兄ちゃんを助けてあげてた。 いつからだろうね、その関係が逆になったのって… 多分、学校に行きだしてから、かな。 どこからか私たちの親が死んでいることを聞いた子が、最初に私たちのことを「親なし」だ、「親戚ぐらし」って言い始めたんだと思う。 そのころから、私は泣き虫になった。 お兄ちゃんはそんな皆に対して、私をずっと守ってくれてた…私が死ぬ、14歳の時まで。 幼稚園の頃と比べて、お兄ちゃんはずっと強く、たくましくなってた。 私が死んだ時のお兄ちゃんの涙は、幼稚園の時以来に見たんだ。 それから、お兄ちゃんは自立して、一人で生きられるように、家を出られるように勉強していたよね。睡眠時間を蹴って、分厚い参考書との取っ組み合いの学生時代の毎日… 子供の頃、私には『先生とか料理人になる』って言ってたお兄ちゃんが、都会でサラリーマンになるだなんて思いもしなかったよ。 でもそれって、いろんな現実を見てきて選んだ、お兄ちゃんの生きる道なんだよね。 そんなお兄ちゃんをずっと私は冥界で見守ってきた。そして応援してた。 それから、逢いたいって気持ちがどんどん大きくなって…冥界で毎日、神様がうっとおしがるくらい言い続けた。 「死んでも絶対帰りたい!」って。 その結果が、今日。一夜限りの奇跡… 消えるときにしかお兄ちゃんから見てもらえないなんて、私、流れ星みたいだね。 太陽の光が、空の向こうに見える。 …もうそろそろ夜が明けるね。 もうすぐしたら、私は完全に消えちゃう。 貴方の妹は、この世界から完全に『いなくなる』んだ…。 さよなら、お兄ちゃん。 そして、ごめんなさい。面と向かってお別れをいえない妹で… ッ…!?お兄ちゃん!? な、なんでいきなり布団の中から飛び出して、私を抱きしめて…!? えっ!?「寝たフリをしてた」!? 狸寝入りってコト!? なぜ!?どうして…!? …起きないでよ!気づかないでよ! 私がもうすぐどうなるかもわかっちゃうでしょ!? 綺麗さっぱり、いなくなっちゃうんだよ!?お兄ちゃんの思い出から、私は! 私は少しでもお兄ちゃんに悲しまないでほしいから、一人で消えようとしてたのにッ…! どうしてそんな、しっちゃかめっちゃかにしてくれるの!? …「忘れたくない」!? 私だって、忘れてほしくない!!お兄ちゃんの思い出の中にいたい! でも私を思い出せばあの時の悲しさが、いつもお兄ちゃんを苦しめる! 私はお兄ちゃんの中の嫌な思い出…そうなりたくないの…!! 「お高くとまるな、バカ妹」……!? バカって、なによ…!いくらなんでも、私が考えたやり方を「バカ」って、ひどいよ…! ホントの私は、お兄ちゃんにいつまでも覚えて…『忘れないでほしい』んだからぁっ…! なんで、私を…もっと抱きしめられるの…? これじゃ私、忘れてもらうために、最初から消えるつもりで、亡霊になった意味…無いじゃない…! …うん、少しだけ落ち着いた。 そして、決心も着いた。 ごめん、お兄ちゃん。私嘘ついてた。 …やっぱり私、私のことを忘れてほしくなんか無いよ。 だから、もう手遅れかもしれないけど、私のホントの願い、言わせてほしい。 『私の事、忘れないで』 これが私の、偽らない胸の気持ち。本当の、願い。 …そっか。忘れてくれないんだ。 こんな私を…死んで亡霊になった私のことを。 なんでだろ。朝になれば亡霊のルールで、お兄ちゃんの前からいなくなるはずなのに。お兄ちゃんの頭から私がいなくなるはずなのに。 それを想像したら、ものすごく辛くて、悲しいと思ってたはずなのに。 今は不思議なくらい、安心してお兄ちゃんの顔を見ることができてる。 …私の中で、腹がくくれたのかもね。 ありがと。私はもう泣かない。最後まで。 だから、お兄ちゃんと一緒に笑顔でお別れしたい。 お兄ちゃん、気づいてないみたいだけどずっと涙流してるよ。さっきから。 お兄ちゃんの泣き顔も、私の葬式以来かー… はい、ティッシュ。もうこれから先、私はいないんだから、こうしてあげることもできない。 だけど、お兄ちゃんならこれから先どんなことがあっても大丈夫だよ。私が保証する。 ……約束の朝の時間まであと少し。 最後の時は、私の口で、お兄ちゃんの耳元で囁いてあげる… 10,9,8,7,6,5,4,3,2,1…! …さよなら…お兄ちゃん!! …え?私、なんともない…? えっ、朝なのになんで!? えっ、なんでお兄ちゃんが触れて…!?…っ!「詩絵の手、あったかい」…? なんで!私は消えるんじゃないの!?それに、亡霊の手は冷たいはずなのに…!? えっ、私が言ってた?何を…? 「願いを叶えたら、いいことがある」って…? たしかにそれ、神様から言われてたことだけど…! もしかして、そのいいことがこれ!?神様、願いを叶えたあとのことについては何も言ってなかった……もしかして、それが、これ……? 私の…本当の願い、「お兄ちゃんに忘れてほしくない」って言って、誓ってもらえたから……願いが叶ったことになって… 生き返れたってことなの!? そんな…!そんなことって…! それじゃ私、私のしてきたことは…前向きな自殺行為そのものじゃない…!自分から、忘れてほしい、だなんて…! お兄ちゃんにとって、辛いことばかり言ってただけになるじゃない……! ぐすっ…こんな時に抱きしめないでよ、お兄ちゃん…! う、わあああああぁぁぁっ…!