流れる指と囁く声と…
【崔破】
この屋敷の警備は、厳重だ……
ここに忍び込むのも、かなりの苦労を要した……
いつ見つかるとも限らん……
ゆえに、急な展開になってしまうは道理……
だが、できれば……時間をかけて、おまえのことを、知りたい……
少々破綻しておるが、許せ……
髪に、触れるぞ……痛くはせん……
ただその感触を、知りたいだけだ……
おぉ……なんという手触りだ……
まるで、指に溶けてゆくようだ……
俺が以前触れた髪とは、全く異なる……
手入れが違うと、こうも変わるものか……
存じておるかもしれんが、我ら忍者集団は、
己(おの)が支持する大名が合戦を起こした際に手を貸し、多くの者を殺めることがある……
ある時、俺が参加していた合戦にて、みすぼらしい女子の最期を、看取ったことがあった……
その女子は、相手側の領地の村娘で……衣服も髪も、ボロボロだった……
なぜ看取ってやったのかは、わからん……
いつの間にか俺は、合戦の最中、女子を抱き起こし、手を取っていた……
そしてその女子は……一瞬だけ、嬉しそうな笑みを浮かべ……俺の腕の中で、息絶えた……
だからどうということでもない……
今の世の中では、ありふれた光景だ……
だが、なぜだろうな……
あの女子も、強き家に産まれていれば、このように美しく育ったかもしれぬと……
フッ……そんな悲しそうな顔をするな……
別に、おまえを責めているわけではない……
ただ……この世の絶対的な理のようなものに……
些かの空しさを、感じるだけだ……
すまぬ……なぜこのようなことを喋っておるのか、自分でもわからぬ……
今まで、誰にもこのようなことを、聞かせたことはなかった……
不思議だ……やはり、おまえは……
ん……眼帯に、興味があるのか……?
この奥には……なにもない……傷が、あるだけだ……
……見たいのか……?
よかろう……しばし、待て……
……見えぬのだ……もう、なにも……
ここにはなにも、残っておらぬ……
幼き頃から戦場に立ち続け……
多くの血と、命を奪ってきた……
その代償としては、あまりに小さき傷だ……
気に留めるほどのものではない……
……労わってくれるのか……?
俺の話を聞いてもなお……優しく、触れてくれるというのか……
ん……温もりと、肌の感触……
久しく忘れていた……こんなにも……
≪外を歩く音が近づいてくる≫
【見回り兵】
……姫様……起きておるのですか?
なにやら声が聞こえた気がしましたが……
≪姫、起き上がって仕切りの向こうへ歩いていく≫
【見回り兵】
姫様、このような時間まで起きておると身体に障りますぞ
大事な時期が迫っておりますゆえ、何卒ご配慮なされますよう……
【見回り兵】
それと……少々奥を拝見してもよろしいですかな?
聞き慣れぬ声が聞こえた気がしたもので……
【見回り兵】
……む……そのように立ち塞がられては……
むぅ、そのように、睨まれましても……
【見回り兵】
う……ゴホンッ!
し、仕方ありませんな……確かに、拙者のような者には無縁の場所……
【見回り兵】
失礼つかまつった……ごゆるりと、お休みくだされ……
≪見回り兵が去っていくのを確認してから障子を閉め、姫が戻ってくる≫
【崔破】
どうして、かばった……?
寝所に忍び込んだだけの、俺を……
≪また右目の傷に触れる≫
ん……少し、こそばゆいな……だが、悪い気はしない……
おまえの手は……温かさに、満ちている……
だがこのままでは、またいずれ見つかるやもしれん……
もう少し、近くへ……
≪二人して布団にもぐりこむ≫
【崔破】
ん……このくらいならば、外に声が漏れることもなかろう……
少々こそばゆいかもしれんが、我慢してくれ……
俺はまだ、おまえのことがわかっていない……
何に惹かれているのかを……知りたいのだ……
だが、もしもおまえの心が嫌がるようであれば……
意思を示してくれれば、潔く立ち去ろう……
俺はおまえのことを知りたいが、無理にとまでは考えておらん……
……そうか、わかった……
ではこのまま、喋らせてもらう……
先ほどの男が言っていたのは、大大名への謁見だな……
以前、俺が護送したときの行き先も、その大大名の居城だった……
……より強き者への、贈り物か……
おまえの父は、隣接した大大名と組み、後ろ盾を得、憂いを絶ちたいと……
各地の諸大名が欲しがる姫を差し出し、家の守りを磐石にするつもりか……
おまえはその、生贄……というわけだな……
おまえは……それでよいのか……?
そこにおまえの意思は……あるのか?
そうか……決まったこと……
産まれ落ちたときからの、さだめ……
……なるほど、わかったかもしれん……
おまえに惹かれた、その訳が……
似ているのだ……境遇に違いはあれど、生かされ方が……
幼き頃から、自分の意思を表に出すことを許されず……
誰にも真に理解されず、内側にしまいこみ……
自分とも他人とも、向き合うことをやめた……
誰にも願いを聞き入れてもらえないがため、意思を言葉に乗せることを、怖がっている……
それが枷となり……いつしか、声にならなくなって……
おまえを、押し殺していったのだな……
おまえに感じた魅力は、外面ではなかった……
内側に隠れた……誰も知らぬ、本当のおまえ……
それを、俺は見てしまったというのか……
あの一瞬……ほんの一瞬、目が合っただけで……
めぐり合わせ……初めて、気持ちが揺らいでいる……
心が、おまえのことをもっと、理解したがっている……