初めてのニオイ
◆7
十日目
「初めてのニオイ」
我が家は夕食の後に風呂を入るしきたりだ。
そういうこともあって、食事を終えると、入浴する者は風呂支度、
そうでない者はリビングや自室に篭る。
小さい頃は自室に篭ってもすることはなく、テレビのある居間に居
座ることが多かった。
大きくなると、自室にテレビを設置されるようになり、環境上、居
間にいる必然性はなくなったのだ。
それでも、案外居間にいることが多いのは、俺の『実は家族団らん
を楽しんでいる』という意思表示なのかもしれない。
そんなわけで、することがあったために食事後に自室へ帰ってきた
のである。
ネットを開いて資料を探し始めて間もなくして、扉が叩かれる。
【兄】
「はい」
【優衣】
「私です。入ってもいい?」
優衣か。
『ちょっといい?』ではなく『入ってもいい?』ということは、時
間を食う要件なのだろう。
PC画面を睨む。
まあ、後でもいいだろう。
【兄】
「いいぞ」
優衣が入ってきた。
【優衣】
「お邪魔しまーす……」
妙によそよそしい感じがある。
変だなと思った。
【兄】
「風呂じゃなかったのか?」
【優衣】
「え。あぁ、一番風呂はお母さんに譲ってきたから」
【優衣】
「それはそうとして……ね。
…………あー」
何か言いにくそうにしている。
【兄】
「それで?」
【優衣】
「あぁ。だから、一時間くらいは時間があるわけなのよ」
【兄】
「だからなんだ」
【優衣】
「……だから、今なら時間もあるしお風呂前だから……ちょうどいい
かな、と思うわけなのよ」
言葉を濁し続ける。
わざとしてるのか?
煮え切らない返事に、俺も少し語気を強めて問いただす。
【兄】
「だから、なんなんだ」
【優衣】
「……だから」
手元は落ち着きなく裾を握ったり放したりしている。
途端、ぎゅっと強く握ったかと思うと、言葉が返ってきた。
【優衣】
「においを嗅ぎたいなー……って」
『におい』。
はっきりとそう聞こえた。
一体なんの匂いをだ、ここにはアロマテラピーに使えるような香料
はないぞ。
問いかける前に考えてみる。
さっきこいつは『風呂に入る前だから』というようなことを言って
いた。
つまり……だ。
つまりはそういうことだ。
【兄】
「なんの」
一応訊いてみた。
外してたら恥ずかしい。
【優衣】
「そこの」
指をさされる。
【優衣】
「……駄目?」
指した先には、俺の体。
それも俺の顔を指しているのではなく、俺の体の一部を選択してい
る。
【兄】
「……本気か?」
確かに、いつだったか嗅ぎたいと言っていた。
嗅ぐには、風呂前に嗅ぐしかないとも結論付けていた。
それに対して『それは駄目だ』と釘を刺したのも優衣自身だ。
それをなぜ今さら、自分自身で破ろうとする?
【優衣】
「無理なのよ……」
【優衣】
「好奇心がもうピークなのよ。これ以上は我慢できない……」
【優衣】
「だから、お願い」
【優衣】
「兄さんの……ペニスの匂い、嗅がせて……」
【兄】
「……」
性に魅了されたような言葉。
いつもいつもしっかりしていて小生意気な口を利く優衣が、俺のチ
ンポの匂いを嗅ぎたいと言っているのだ。
ぞくぞくとするこの感覚はなんだろう。
興奮しているんだろうか。
わからない。
わからないが、この感覚は手放しがたい魔性の魅力があった。
だから、俺はその感覚に導かれるように優衣の手を引いた。
逃がしたくなかった。