第四夜
<左 普通>
さて、国王は錬金術師に言いました。
「夜が明けたら、試しにゴーレムを一体作ってみてはくれぬか、戦闘用のものを」
「戦闘用ですか?」
錬金術師は驚きました、彼としては土木作業の役に立てば良いと思っていたのです。
それに、王様がそのような提案をする好戦的な人物だとは、とても思えませんでした。
「左様」
国王の返答は簡潔でした。
「しかし王様、人間には大き過ぎる岩も、ゴーレムならば簡単に運べましょう。
そのような労働を代わりにやらせるのが、国民の為かと思いますが」
錬金術師は、善良な人間でした。
マスターも自分の成果が、人殺しに使われたくはないでしょう?
もちろん国王もそんな事は、百も承知でした。
「錬金術師殿、余は国民の為を想って言っておるのだ。
すまぬが水を一杯、頂けるかな?」
国王はそう言って、グラスを手に取りました。
錬金術師は、椅子から立ち上がって、水差しを取り、大きな机をぐるりと回って国王のグラスに水を注ぎました。
「うむ、ご苦労」
そう言って、国王はグラスを傾け、ゴクリと喉を鳴らしました。
「美味い。
なあ、錬金術師殿。今、余が水を得るには、そなたがこの机の向こうから持って来るだけでよかった。
では、砂漠の中でこの水を得るには、どれだけの労力が要ると思うかね?」
国王が掲げたカットグラスの中で水面が揺れ、ランプの灯りにキラキラと輝きます。
少し考えてみましょうか、水は水場から運んで来なければなりませんね。
近くに、川やオアシスがあればまだ楽でしょう。
しかし、見渡す限りの砂の中で水を運んでくる労力は、いか程のものでしょうか?
錬金術師が答えあぐねていると、国王は続けました。
「軍隊というものはな、大量の物資を必要とするものなのだ。
兵士の武具と矢玉だけあれば良いというものではない。
兵士は食糧や水を必要とするし、野営の為のテントや、調理する為の道具や薪も必要となるのは少し考えてみれば分かるであろう。
では、兵士が七日分の食料や水を用意したとして、それらが何日保つと思うかね?」
国王は、妙な質問をしました。
七日分の物資が、七日分以外の何になると言うのでしょうか?
当然ながら、錬金術師はこう答えました。
「王様、それは七日分では無いのでしょうか」
国王は、その答えを聞いて、微笑みました。
「答えは、三日保てば良い方だろう。
はははっ、不思議に思われたかな?
タネを明かせば、それだけの物資を兵士だけでは運べないからだ。
それらを運ぶには、ラクダに積まねばならぬ。
すると、ラクダにも水や食料が必要になる。
道中にラクダが好むアカシアでも生えていればいいが、無ければ持って行く必要がある。
もし行き先が山地ならば、ラクダや荷車は入られず、より燃費の悪いラバを頼らねばならぬ。
動物はとても大食いなのだ、人間の十倍は食べねばならん。
こうして、兵士が必要な物資を運ぶには、動物が必要で、動物の物資を運ぶ為の動物が必要で、動物の物資を運ぶ為の動物の物資を運ぶ為の動物が……と際限無く膨らんでいってしまう。
最終的に、どれだけの物資が必要になる事か。
どうだ、計算したくもないであろう?
この様に、軍隊というのは物資を運ぶ補給線に縛り付けられるものなのだ。
これを怠れば、敗北が待っておる。
戦争というのは、かくも国力を必要とするのだ」
そう、砂漠での行軍も過酷ですが、軍隊が目的とするのは更に過酷な戦闘です。
「腹が減っては戦はできぬ」と言うのは、正にその通り。
一日あたり三千キロカロリーの食事と四リットルの水。
この二つがあって初めて、兵士は存分に戦うことができるのです。
戦いに勝とうというならば、この大量の物資をいかに揃えるかが重要となります。
それが戦略というものです。
国王は、続けました。
「ところが、補給を必要としない兵がおればどうなる?」
そう言われて、錬金術師は考えました。
水や食糧を必要としないゴーレムの軍隊があれば、術者の分の物資だけでどんな所にも派兵して十分な戦果を挙げる事ができるでしょう。
その術者の分の物資も、ゴーレムに持たせれば良いのですし、なお積載量には十分な余裕があります。
国王は、続けました。
「錬金術師殿、そなたは自分の作ったゴーレムを人殺しの道具に使われたく無いのであろう。
余も、何もこちらから戦争を仕掛けようなどと考えておるのでは無い。
無論、国民の為その必要があれば、ためらう道理は無い。
だが、幸いにも今はその必要を見出せん。
かと言って、軍隊が要らぬとはならんのだ。
弱国は、周囲のまぐさ場と化す。
為政者たる者、他国の善意をあてにする訳にはいかんのだ。
国民を守る為には、備えが必要となる。
しかし、軍備は国民の生活を圧迫してしまう。
どうかな、錬金術師殿、少しは余の考えが分かってもらえただろうか?
物資を必要としない兵の価値が。
ゴーレムの軍事利用が、いかに国民の生活を助けるかが。
何より、余も、余の兵や国民に傷ついて欲しくなど無いのだ。
果たしてこれは、そなたの想いに反する利用法かな?」
錬金術師は、国王の話を聞いて「そのような御心があったとは」と、感じ入りました。
そんな事があったものですから、翌朝、錬金術師は空も白む前からニカワを混ぜて泥をこね始めました。
錬金術がアッラーの創世の御業の模倣であるならば、ゴーレムの作成というのは、アッラーが泥から原初の人間アーダムを作られた御業の模倣でございます。
生者は死者となり、土に還る。
その土を使って、人間の似姿を作る。
かつてパルヴィーズであった土をこねて、かつてケイコバードであった土をこねて、かつてウマル・ハイヤームであった土をこねて。
国王から貸し与えられた人手もあって、昼前には、二メートルはあろうという巨大な泥人形ができあがりました。
さて、形はできあがりましたが、肝心なのはここからです。
錬金術師は、泥人形の大きさに合わせた量の、硫黄と水銀と塩をフラスコに入れました。
それぞれ、硫黄は霊魂、水銀は精神、塩は肉体を意味します。
それらを熱し、溶け合った所に、賢者の石を投じます。
そして、ナイフを取り出して自分の指先を少し切ると、火から取り上げたフラスコに血を滴らせます。
<左 近い 囁き>
意識を集中して、反応をうかがいます。
ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ。
ほら、耳を澄ますと、聴こえて来ませんか?
ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ。
生命の、躍動が。
<左 普通>
ここです、錬金術師は、さっと血の滴る手をどけました。
フラスコの中身は、一つの塊となっておりました。
ドクンドクンと脈打つような深い赤色が、それが生命であると直感させます。
フラスコを割って、その塊を取り出すと、ゴーレムの額に埋め込みました。
「これで完成です」
錬金術師がそう告げると、国王は「では早速立たせてくれ」と興奮に声を上擦らせて言いました。
錬金術師の命(めい)に、泥でできた人間のカリカチュアが、ゆっくりと腰を浮かせます。
そびえ立つその威容に、国王は「おお」と感嘆の声を漏らしました。
節の無い、ずんぐりと太い腕、果たしてその威力の程はいかに。
「試しにアレを殴らせてもらえるか?」
国王は、少し離れたナツメヤシの木を指さしました。
錬金術師が命じると、ゴーレムは歩き出します。
体の重みを感じさせる、のそりのそりとした歩み。
「走らせる事はできんのか?」
国王が尋ねると、錬金術師は「それが、走るのは歩くのに比べて非常に複雑な動きでして」と口ごもりました。
そうこう話しているうちに、ヤシの木の前までやって来たゴーレムはピタリと止まって、右のこぶしを振り上げます。
その動きを見て国王は、内心ガッカリしていました。
一度に一つの動作しかできていません、それもいかにも不格好です。
例えば、騎兵の突撃は、一トンはある騎兵が駆け抜ける勢いのままに槍を突くから強いのです。
それが、敵前で脚を止めてから突くようでは価値は半減以下です。
果たしてこれが訓練された兵士相手に役に立つのだろうか。
そう考えていた国王ですが、次の瞬間、度肝を抜かれました。
ヤシの葉がガサガサと音を立てたかと思うと、轟音と砂煙が巻き上がりました。
ゴーレムのこぶしが、一抱えもある木をへし折ったのです。
国王は、あなどっておりました、泥でできた重いこぶしが振り下ろされるという意味を。
その一撃は、破城槌もかくやという威力。
当然、ゴーレムも無事では済まず、こぶしは砕け、腕の半ばまで失っておりました。
しかし、ゴーレムは折れたヤシの木に向かって、再度こぶしの無い右腕を振り上げます。
砕けたこぶしなど意に介さず、といった具合です。
「も、もうよい」
我に返った国王は、慌てて静止しました。
「止まれ」
錬金術師の命令も間に合って、ゴーレムの腕はヤシの木の前でピタリと止まりました。
「錬金術師殿、これはなんとも凄まじいな」
国王の額には、汗が浮いておりました。
それは、熱気をはらんだアラビアの風のせいだけではないでしょう。
その騒ぎに、カチャカチャと金属音を鳴らした一隊が駆け付けて来ました。
彼らは、素早く国王とゴーレムの間に割って入ると、曲刀を抜きました。
現れたのはハセキ、王直属のマムルーク、精鋭中の精鋭でございます。
ゴーレムも自らに向けられる刃に反応して、ゆっくりとマムルークたちに向き直ります。
「よい、刃(やいば)を納めよ。錬金術師殿もゴーレムを下がらせよ」
国王がそう言うもマムルークたちは、依然剣を構えたまま。
錬金術師の命に従って、ゴーレムが下がって腰を下ろすと、マムルークたちもようやく剣を鞘に戻し、それでも注意はゴーレムに向けたまま、国王にひざまずきました。
「王よ、この騒ぎは一体?」
国王は、咳払いをして答えます。
「よくぞ駆け付けてくれた、そなたらの忠義に感謝する。しかし、心配は無用。新兵器の試験をしていただけだ」
「新兵器ですと?」
マムルークの目がギョロリと、尻もちをついたように不格好な姿勢のゴーレムに一瞥(いちべつ)をくれます。
いかにも面白くないといった顔です。
「王よ、お言葉ではありますが、あのような玩具では国は守れませぬ。
国を守るは我らが務め。
その事を示させては頂けませぬか?」
国王は考えました、もしかすると、これは絶好の機会なのでは?
ゴーレムを使うには、術者が裏切った際に、ゴーレムを止めるだけの力を用意しなければなりません。
その為にもゴーレムの力量を計っておかねば。
「よかろう、明日双方一対一で果たし合われよ。ただし、言ったからには無様な姿を晒すで無いぞ。よいな?」
国王の言葉に、マムルークたちは「はっ!」と声を揃えます。
「うむ、そなたらの勇気に期待する。錬金術師殿もそれでよいな?」
錬金術師が口を開(ひら)けずにいると、国王は重ねて「よいな?」と言いました。
そう言われては、錬金術師も「はい」と返すより他ありません。
「では、明日までにゴーレムの右腕を直しておくように」
国王の言葉で、その場はお開きとなりました。
マムルークが去り際に、錬金術師を一睨みして行きました。
その鷹のように鋭い眼光に、生きた心地がしません。
茫然としていると、国王がそばを通り、「すまぬ、迷惑をかけてしまったな」と一言残し去って行きました。
翌日、城の裏手にある演習場は異様な緊張に包まれておりました。
片方には、千を数えるマムルーク。
チュニックの下にチェインメイルを着込み、兜を付けた戦装束。
腰に佩(は)いたシャムシールの鞘に刻まれた、「アリーに勝る英雄はなく、ズルフィカールに勝る剣なし」という金文字が、強い陽光にギラギラと照り映えておりました。(普通は鞘でなく、刀身に刻まれます。雰囲気は出したいものの、抜刀するわけにもいかず、やむなく鞘にしました)
整然とした隊列から発せられる無言の圧力に、錬金術師はゴーレムの背後に隠れてしまいます。
一方、ゴーレムは不動、怖れというものを知りません。
壊れた右腕は、元通りに直されていました。
さて、マスターは奴隷と聞いて、どのような印象をお持ちでしょうか?
悲惨、かわいそう、おおむねそんな感じでしょうか?
マムルークも奴隷なれども、そのような形容は似合いません。
立ち並ぶマムルークの中から、高いいななきを響かせ一騎進み出て参りました。
手には槍、腰には曲刀や短刀、弓や矢筒が並び、左の腕には盾、背にはメイスを背負う偉容。
その姿は、正しく武芸百般。
これこそが、かのモンゴル軍さえ退けた、イスラームの誇り高き奴隷軍人マムルークでございます。
「双方、存分に力を示されよ」
国王の言葉に、張り詰めた空気が臨界を迎えました。
錬金術師はゴーレムに「あいつを倒せ」とだけ命令して逃げるように下がります。
ゴーレムが、マムルークに向き直ったのが試合の合図となりました。
マムルークが馬の腹を蹴り、獲物を狙う鷹さながらの勢いでゴーレムに向かいます。
そのまま、槍を逆手に持って掲げました。
腰をひねり、力こぶに闘志をたぎらせて、すれ違いざまに投擲します。
槍は、ゴーレムの胴中にズドンと突き立ちました。
走り去った騎馬が向きを変えると、マムルークは既に弓を引き絞っておりました。
マムルークが、最も得意とするのがこの馬上弓術です。
瞬く間に五本、六本と矢を放ち、ゴーレムに次々と矢を生やします。
矢など意に介さずと前進するゴーレムですが、弧を描くように一定の距離を取って周囲を回りながら矢を射るマムルークには近づけず、針山のような有り様です。
馬に乗られていては近づく事もかないません。
ゴーレムも、そう判断したのでしょう。
ですから、手近な岩を両手で掴みました。
持ち上げると、突き刺さった槍の柄に岩が当たって、中ほどでボキリと折れました。
穂先が腹を抉って傷を広げますが、気にした様子もありません。
頭上に高々と掲げられた岩に付いた砂が、パラパラとこぼれ落ちます。
そのまま、マムルーク目がけて岩を放り投げました。
マムルークの反応は早く、手綱を引いて馬を止めます。
岩は、すんでの所で馬の鼻先をかすめただけで済みました。
しかし、間近に落ちた岩の轟音と砕けて飛び散る破片に、さしもの軍馬も暴れます。
優れた乗馬技術を誇るマムルークですが、振り落とされまいとしがみ付くのがやっとです。
その隙でした、ゴーレムが無造作に振り上げた右のこぶしが馬上のマムルークに迫りました。
金属がひしゃげる、嫌な音がしました。
馬は倒れ、放り出されたマムルークが砂煙を巻き上げ地を転がります。
弓やメイスが手を離れ、カラカラと乾いた音を立てました。
木をへし折る程の一撃です、とても人間が耐えられるような威力とは思えません。
それで決まりかに思われました。
ゴーレムは、地に伏すマムルークに迫ります。
錬金術師の脳裏に、折れたヤシの木に向かって腕を振り上げるゴーレムの姿が浮かびました。
ゴーレムは、なおも「あいつを倒せ」という命令に愚直に従い、最悪の想像を現実にしようとしているのです。
「そこまでだ」
慌ててそう叫びかけた錬金術師を、制止する声がありました。
「臆したかっ! これしきで俺は倒せんぞ!」
なんとマムルークが立ち上がり、一喝、錬金術師を睨みつけたではありませんか。
潰れた盾を腕から抜くと、右肩から袈裟に掛けたベルトを外し投げ捨てます。
盾の下にあった左腕は、あらぬ方向にねじ曲がっていました。
それでも闘志は少しの衰えも見せません、腰から曲刀を抜くと右手に構えます。
ゴーレムのこぶしがマムルークを狙い、容赦なく右、左と振り下ろされます。
こぶしが、空を切るブンブンという音が聞こえるたび、錬金術師の背に冷たいものが走りました。
しかし、恐るべき威力とはいえ、ゴーレムの動きは素人以下。
歴戦のマムルークを、そうそう簡単に捉えることはできません。
ですが、マムルークの方も攻め手を欠いておりました。
ゴーレムの弱点は額の呪符というのは知らされてはいるのですが、上背と左右の連打にはばまれて、そこを攻める事ができないのです。
さあ、どうしたらゴーレムの額に刃を届かせられるでしょうか?
剛腕が振るわれる懐に飛び込むのは狂気の沙汰。
もし荒れた地面に足を取られてしまえば、次の瞬間にはひき肉と化すでしょう。
右手でしか刀を振るえぬ今、一方的に攻撃を仕掛けられる立ち位置は、ゴーレムの右腕の外側です。
右のこぶしをかわし、右腕の外側に付けば、一度体を起こさねば左こぶしで狙えません。
右腕で払うにしても、振り下ろした直後なら、その勢いを反転させるまでにいくらかの猶予があります。
その勝機に即座に気付き、実行したマムルークはさすが大したもの。
しかし、曲刀なのが災いしました。
叩き斬る事を目的とした長剣とは異なり、斬り裂く事を目的とした曲刀といえど泥の塊を斬る事はできません。
かえって、その刃(は)の反りが正確な突きを困難にします。
ゴーレムの頭部は傷だらけとなりましたが、攻撃の手はまるで衰えません。
苦痛を感じぬ兵の、恐怖を感じぬ兵のなんと厄介な事でしょうか。
とうとう、斬り裂く為の薄い刃(は)に無理がたたりました。
呪符よりも先に、曲刀の刀身がポキリと折れてしまったのです。
ゴーレム相手に武器を失っては、打つ手はありません。
マムルークは、防戦一方になってしまいました。
ゴーレムは、大きな歩幅で詰め寄り、こぶしを振るいます。
マムルークも、かわすもののいつまで続けられるものでしょうか。
攻勢を緩めぬゴーレムに対し、マムルークは肩で息をしておりました。
しかし、マムルークも無策で逃げていたのではありません。
マムルークの指先が、目的の物を捉えました。
馬から放り出された際に転がっていったメイスです。
マムルークは、フーッと大きく息を吐き、スーッと深く吸いこみました。
獲物を狩る鷹の目でゴーレムを見据えます。
残された勝機は一つ、ならば覚悟を決めるまでもありません。
後は実行に移すのみ。
ゴーレムの右こぶしを、後ろに下がって避(さ)けます。
続いて振り下ろされる左こぶし、ここです。
チャンスはここしかありません。
大きく避(さ)けたのでは間に合いません。
ですので、リスクを取りました。
<左 近い 囁き>
身を低くして、こぶしの下をくぐり抜けるように、前に出てかわします。
耳元で、ビュウという風を切る音。
ゴーレムの剛腕が兜をかすめ、カンッと乾いた音を立てて跳ね飛ばしました。
最小限の動きでの回避は時間を作ります。
渾身の一撃を振るう為の時間を。
前進する勢いのままに、メイスを振り上げました。
必要なものは二つ。
生きた右腕の活用と、メイスを振るう空間と。
今、その二つが揃いました。
右手で高々と振り上げたメイスを、両手ではしっと掴みます。
折れた左腕の痛みなど忘れました。
それは、敵を鎧ごと叩き潰す為の武器でした。
「おう」と雄たけびを上げ、メイスを振り下ろします。
槍を受け、幾度もの矢を受け、それでも動いたが為に細かなヒビが無数に入った、巨体を支える左脚に。
ドンという、突き抜ける手ごたえ。
メイスは、ゴーレムの左ももを粉砕しました。
支えを失ったゴーレムが傾きます。
マムルークは、メイスを捨て、腰から短刀を引き抜きました。
噛みつかんがばかりに飛び掛かり、ゴーレムと共に倒れ込むように、体重を載せて振り下ろします。
ドーンと下っ腹に響く音を立てて、ゴーレムが倒れ、砂ぼこりを巻き上げました。
その砂ぼこりの中から、マムルークがのそりと立ち上がります。
短刀は、額の呪符に突き立てられておりました。
砂漠の風に吹かれて、ゴーレムの輪郭が崩れます。
ゴーレムは、大地の一部に還ろうとしておりました。
決着でございます。
<左 普通>
「我らが王に勝利を!」
国王に向き直り、マムルークが吠えました。
背後の一団の呼応する鬨の声が、乾いた大気をビリビリと震わせます。
砂を巻き上げた熱い風が吹き抜けました。
「王よ、我らが王よ! ご覧じよ! このような玩具では戦に勝てませぬ!」
そう叫ぶマムルークの口の端からは、鮮血が垂れておりました。
ゴーレムの一撃が、内臓を傷つけていたのでしょう。
恐らく立っているのもやっとのはずです。
これは本当に人間か?
錬金術師の目には、その鬼気迫る形相が砂漠に吹き荒れる嵐、シムーンの化身のように映りました。
この日差しの中だというのに、背筋がうそ寒くなる思いです。
国王も、ごくりと唾を飲みました。
憐れむような顔をし、しばし瞑目します。
しかし、長く息を吐いて再び顔を上げた時には、そんな様子は微塵も残していませんでした。
国王は、マムルークたちに堂々と告げました。
「見事であった。まこと国に必要なのはそなたらのような勇士である。
よくぞ示してみせた、褒美を取らせようぞ。
これからも余に仕えてくれるな?」
「我らが王よ」と、国王を称える声があちらこちらからわき上がりました。
次いで国王は、錬金術師の方を向きます。
「我が国は、ゴーレムなぞ無くとも、このマムルークらが居れば安泰である。
そなたは余に、一騎当千の勇士らありと教えてくれた。
そなたにも、褒美を取らせようぞ」
「しかし、王様……」
錬金術師は、思わず口を挟もうとしました。
どう見ても辛勝、もしゴーレムが武装していたならば、もしもっと大きなゴーレムだったならば勝敗は違っていたでしょう。
相手の問題もありました、戦場に立つのはこのマムルークのような精鋭ばかりではありません。
並の兵ならば最初の一撃で決まっていたはず。
兵站(へいたん)の問題もどうなったのでしょう、それに兵が戦場に立たずに、傷つかずに済むという話は?
どう考えてもゴーレムは有用なのです。
マムルークとて、ゴーレムがあればこのように苦しまなくて良いではないでしょうか。
しかし、国王はその言葉を遮りました。
国王の仕事は、国を治める事でした。
国を丸く収める事でした。
国というのは、異なる意思を持った人間の集まりです。
ですので、こう繰り返したのです。
「ご苦労だった。良いのだ、もう良いのだ」
憐憫(れんびん)に潤んだ瞳で、そう言われては、もう何も返せませんでした。
言葉通り、国王は錬金術師に褒美を出しました。
五頭のヒトコブラクダ、皆(みな)とても従順で扱いやすい性格をしておりました。
初めて会った錬金術師の手からでも、美味そうに飼い葉をはみ、子供達にもよくなつきました。
錬金術師にも、国王の考えが分かりました。
ヒトコブラクダは、多くの荷物を運ぶ事ができ、また水や食料も少なくて済みます。
「砂漠の舟」と呼ばれる程、旅に向いた動物なのです。
小柄なラクダばかりでしたので、荷物はそう積めないでしょうが、初めてラクダに乗る者にはむしろ乗り易くて良いでしょう。
そう、国王は錬金術師一家にも乗り易いラクダを選んだのです。
国から、錬金術を必要としないこの国から出て行き易いように。
彫金士から返ってきた金の腕輪には、大粒のアクアマリンが嵌められていました。
国王の精一杯の詫びの証なのでございましょう。
それは、国王が最後に向けた眼差しに滲んだのと同じ色をしておりました。
錬金術師は、思わず目頭を押さえました。
さて、今日のお話はここまでに致しましょうか。
<左 近い 囁き>
明日のお話は、もっと、面白いですわよ。ふふっ。