Track 3

(通常.ver) 03.母が定休日で自宅に。家に来た幼馴染を母が勝手に上げる。

◆3  実験三日目の朝、八時を回ったごろ。 【京子】 「あれ」 【母】 「おはす」  ぼさぼさ頭の母がリビングのソファに横になっていた。 【京子】 「母さん、いたの」 【母】 「いたのとはご挨拶な」 【京子】 「んぁ、そうか。今日は水曜日だっけ。平日に定休日と  は良いご身分だぞ」 【母】 「そゆーな」 【京子】 「今日は一日中いるのか?」 【母】 「そうなるね」 【京子】 「ふぅん。ま、親子水入らずの日ってのも悪くないかも  だな」  しかも平日に、だ。  なんだか特別な感じがする。 【母】 「たまには母を労ってはいかが?」 【京子】 「はいはーい。紅茶でも入れるな」 【母】 「うむ」  ……  …  母と共に軽い朝食を終え、微睡んだ雰囲気の中でこん  な会話をしていた。 【京子】 「こうして、学校というしがらみから解かれるとな、勉  学以外のことを考えるようになるんだ」 【母】 「ほほぉん」 【京子】 「例えば……、……。子育て、とか」 【母】 「ん?」  奇妙なことを言う、という顔をされた。 【京子】 「自分の子供が生まれたとき、一体どういう教育をすれ  ば良い子に育つんだろうかってな」 【母】 「ふむ」 【京子】 「数多の親の元に子があり、それぞれ異なった教育によ  って子が育てられる」 【京子】 「どういう子に育てたいかという悩みももちろんだけど、  どうすれば学問を好きになってくれるか、とか悩みは  絶えないぞ」 【母】 「ま、適当でいいぞ。子供なんて」 【京子】 「適当でいいわけないだろ。自分の子供なんだぞ? 大  切に育ててやらんとな」 【母】 「私はお前をさぞ適当に育てたがな」 【京子】 「う……。娘の前で堂々と宣言されると……反応に困る」 【母】 「それにしても、子育てだなんて突拍子もないこと考え  るんだな」 【京子】 「何を言う、私だって女だ。そういうことを考えても何  らおかしいことはないだろう」 【母】 「過程を飛ばしてるってことよ。相手は誰よ」 【京子】 「あ、相手……? 相手っていうのは……」 【母】 「京子と、一体誰の子なんだ」  眉を軽く上げて、真剣そうな顔をする。  あぁ、これはからかっているんだろうな。 【京子】 「それは……、まだ考えて……」 【母】 「あんたは飛躍しすぎなのよ。まず相手を考えてみよう  か」 【京子】 「んぅ、そんなこと言われても、どんな相手がいいかだ  なんて……考えたこともないぞ」 【母】 「ほんじゃ、質問だ」  コホン、と一つ間を置く。 【母】 「男性」 【京子】 「男性?」 【母】 「男性だ」 【京子】 「……。男性がどうした」 【母】 「男性と言われて、最初に頭に思い描いた人は誰だ」  質問の意図を読み解けずにいた。  最初に思い浮かんだ男性……男性……。 【京子】 「ん……。そりゃもちろん」 【母】 「もちろん」 【京子】 「父さんだ」 【母】 「Amazing」  呆れたように言った。 【京子】 「そ、そんなに驚くことなのか?」 【母】 「いや、その歳で父さんを選ぶとは……くくくっ、ぷ…  …くくっ、あはははっ!」 【京子】 「なぁっ! と、歳は関係ないぞ! 子供扱い……。ん  ぅ、笑うんじゃないーっ!」 【母】 「っ、ふぅ……まぁ、しょうがないか。我が娘ながら、  男とは縁のないような生き様だもんなあ」 【京子】 「む、ぅ……。言い方が気になるけど……そういうこと  だ。父さんは生まれた瞬間から、この歳まで一緒に生  きてきた男性だぞ」 【京子】 「それに、私の遺伝子は父さんの一部だしな。一番近い  男性であることは間違いない」 【母】 「娘が父親のことを男性扱いするのはどうなんだろうな」 【京子】 「まぁ、ちょっとおかしい解釈だとは自分でも思う。た  だ、私の回答に理由をつけるならこうなるってことだ」 【母】 「それじゃ、二番目に思い描いた人は誰だ」 【京子】 「……そりゃきっと、父さんと似たように、私が赤子だ  ったころから今の私までを知っているような人だろう  な」 【母】 「御託はいい」  冷たくあしらわれた。  仕方ない。さっさと答えてやるとしよう。 【京子】 「うむ。だから、きっとそれは、私と付き合いの一番長  い……」 【母】 「ふむ」 【京子】 「……」  古くから、お互いのことを知っている……。 【母】 「どうした」  さっさと言わんか、とばかりに顔を覗きこんでくる。 【京子】 「いや」 【京子】 「ただ、ちょっとな……」 【母】 「ふうん」  最近よく覚えるようになった胸の痛み。  この痛みは、一体……?  ……  …  ピンポーン 【京子】 「ん? 誰かきた」 【母】 「はいはーい」  母さんがインターホンへ向かう。 【京子】 「ま、私は引き篭もりだからな。対応は母さんに任せる  か」 【母】 「おぉー、久しぶり」 【京子】 「ん」  ひさしぶり? 【母】 「あー、はいはい。そゆこと」 【京子】 「ちょっと待て」  ひどく嫌な予感がする。 【母】 「はいよ。じゃあちょっと待ってな」 【京子】 「あいつが来たのかっ! ままま、待て。私は引き篭も  りだから、奴に会うわけには、あああ」 【母】 「鍵開けてくるわあ」  したり顔の母さん。  後で絶対に首絞める……! 【京子】 「と、とりあえず部屋に非難せねばっ。逃げるぞよっ」  リビングを脱出し、廊下を駆け抜ける。  フロントを玄関に向けた階段を上り、自室に飛び込む。  ついでに施錠を。  がちゃん 【京子】 「鍵は……閉める必要ない、かな? はぁ……はふ、ふ  ぅ……っ、んぐ……ふぅ」  家の中を駆けたせいで荒れ放題の息を整える。 【京子】 「…………」  だいぶ落ち着いてきた。  自分の呼吸に紛れて、微かに聞こえる階下の声。 【京子】 「……何を話してるのか、気になるぞ」  扉に耳を当てる。 【京子】 「ん~? ぼそぼそ声は聞こえるんだけど……」 【京子】 「ん」  トッ……トッ…… 【京子】 「階段を上ってくる足音……」 【京子】 「この音……」 【京子】 「軽やかじゃない、音は……もしかしてっ」  コンコン 【京子】 「――っ!?」  扉が鳴った。  聞き間違いじゃない。この部屋の扉が叩かれたんだ。 【京子】 「……」 【男】 「鈴谷さん?」  扉の向こうから聞こえたぐぐもった男性の声。 【京子】 「(やっぱりっ、母さんじゃないぞ! あいつだ! ~  ~っ。母さん、勝手に上げたなぁ?)」  母さんの得意げな顔が目に浮かぶ。 【京子】 「……」 【男】 「ぁー。プリント、届けにきた」 【京子】 「(また、プリント届けにきてくれたのか。ま、家が近  いから仕方ないかな)」 【男】 「……」  扉の下からプリントが入ってくる。 【京子】 「……」 【京子】 「ふ、普通に渡せよ!」 【男】 「えっ」 【京子】 「なんでわざわざドアの下の隙間から入れるんだよ!  普通に渡せよ!」 【男】 「あぁ、すまん」 【京子】 「(――しまった、家族以外の人と会話してしまった)」 【男】 「これ、今日配られた学年便り」  続けざまに扉の隙間からプリントが覗く。 【京子】 「(……まぁ、会話してしまったものは仕方ない。とり  あえず、ドアの隙間から覗いてるプリントを取ってい  くか)」  すすすっ…… 【男】 「……。次に、これ模試の申込書」 【京子】 「(いちいちプリントの説明しなくても、見れば何か解  るというに)」  すすすっ…… 【男】 「……。次は、これ。宿題ね」 【京子】 「(……また宿題か。よくよく考えてみれば、毎日宿題  のプリントが配られていたなぁ)」 【男】 「ん。これだけ。じゃな」 【京子】 「んぁ、帰るのか? ちょっと待つのだ」 【男】 「ん?」 【京子】 「えっとぉ……」 【京子】 「ん。これだこれ。ほれ」  プリントを扉の下から渡す。 【京子】 「前にも、宿題のプリント貰っただろう? やっておい  たから、お前に渡すぞ」 【男】 「おう、解った」  すすすっ…… 【京子】 「お前に迷惑かけてしまうが、それを先生まで手渡して  くれると嬉しい」 【男】 「お安い御用だ」 【京子】 「そうか。ありがとう。頼んだぞ」 【男】 「おう。んじゃな」 【京子】 「ぁああとっ!」 【男】 「うん?」 【京子】 「今日貰ったこの宿題、今日中にやっておくから……。  また、明日渡すな」 【男】 「あぁ、了解。じゃな」 【京子】 「あぁ、またな」  扉の奥から人の気配が消える。  しばらくして、階段を下りていく音が聞こえた。 【京子】 「……」 【京子】 「はあぁぁぁ~……」  へなへなと力が抜けた。 【京子】 「引き篭もりになると、外の人間と話すのに疲労を感じ  るようになるか……?」 【京子】 「必要以上に疲れたように感じるぞ……」  階下から漏れ聞こえるアイツと母さんの会話。  はっきりとは聞き取れないまま、玄関の閉まる音が聞  こえた。 【京子】 「……そうだな。とりあえず、宿題、やっておくか」