Track 4

(通常.ver) 04.部屋の扉越しに幼馴染と会話。

◆4  引きこもりを始めてから一週間が経っていた。  今日で八日目だ。  平日の昼間に、一人だけで家にいるということにも慣  れて、新鮮味が薄れてきていた。 【京子】 「……」  もぐもぐ。 【京子】 「このみかん、ウマイな」 【京子】 「小振りで一房がとても小さいが……ぁむ」 【京子】 「ん~っ、甘みが凝縮されてるのかなぁ。すっごく甘い!」 【京子】 「思わずもう一個……手が自然と伸びていくぞ」  母さんが買ってきたみかんだ。  暇なので、机の上にピラミッド型に積み上げている。 【京子】 「ふふふっ……この子には何房入ってるのかなぁ。ヘタ  を取って白いところを数えれば……房の数が……ひ、  ふ、み、よ……」  ――ピンポーン 【京子】 「はぅぁっ!?」  みかんを落としてしまった。  いや、そんなことよりっ! 【京子】 「なっ、まさかもうそんな時間……へ、部屋に戻らなく  てはっ!」  奴が来る前にとばかりに急いで自室に向かう。  両手で階段を送るようにしながら掛け上がり、飛び込  む。  鍵も閉めよう、ついでに。 【京子】 「はっ……はっ……んぐっ……はぁっ」 【京子】 「土日で感覚が鈍ってしまったかもだぞ。学校ってこん  なに早く終わるものなのか……。学校にいるときは、  放課後が遅く感じられるもんなんだけどなぁ」  などと考えていると……  コンコン 【京子】 「……」 【男】 「鈴谷さーん、いるー?」 【京子】 「い、いないぞよ」 【男】 「さっき階段駆け上がる音聞こえたけど」 【京子】 「ぅぅっ! 階段上る音でバレてるなりぃ……」  もう取り繕うのは止めよう。 【男】 「今日なにしてたのさ?」 【京子】 「ん……今日か? ……今日はな、幽霊について考えて  たんだ」 【男】 「へぇ。興味深い」 【京子】 「我々人間は他人の認識しているソレと、全く同一のも  のを認識することはできないんだ。見えるという人を  否定する根拠なんてあるまい」 【男】 「まぁね」  返事を聞きながら、意識の奥底に眠っていた記憶を引  きずり出す。 【京子】 「……お前も確か、幽霊については肯定的じゃなかった  か?」 【男】 「よく覚えてるね」  当たっていたみたいだ。 【京子】 「覚えてるとも。お前は人とは正反対の意見を述べるこ  とがほとんどだったからな」 【男】 「鈴谷さんも、女の子なのに幽霊について肯定的なんだ  ね」 【京子】 「私は肯定的と言うか……科学者たちが言っているのは、  ただの詭弁だからな」 【京子】 「幽霊を認めたくない一心で話を組み立てるから、あん  な一方的な見方しかできないんだ。もっと柔軟性が必  要なんだぞ」 【男】 「さいですか」 【京子】 「……まぁ、いないとは思ってないが、幽霊がいざ目の  前に現れたとしたら、卒倒するかも知れん……」  扉の向こうから押し殺したような笑い声が聞こえる。 【男】 「くくっ。なんだそれ」 【京子】 「びっくりするもんはびっくりするぞ。仲良くなれれば  いいが、そうとも限らんだろうしな。取って食われる  かも……」 【男】 「くくっ……」 【京子】 「んぅー、笑うなーっ!」 【男】 「はいはい。相変わらずそんな話好きだね」 【京子】 「相変わらずって……別に昔からこんな話が好きだった  わけじゃないぞ……」 【男】 「そう? まぁいいや。プリント渡すね」 【京子】 「う、うむ。さっさとプリントを寄越すのだ」 【男】 「えーっと、これは……」  少しごわごわした封筒の独特な音が聞こえてくる。 【男】 「こっちが宿題で、こっちが配布物」 【京子】 「これか宿題で……こっちが、配布物」 【京子】 「なになに……『駐輪場整備のお知らせ』……。なんだ  これは、こんなことのために洋紙を刷ったというのか?  まったく、資源の無駄遣いだぞ」 【男】 「ははは」 【京子】 「今日はこれだけか?」 【男】 「いや。今日は一風変わったものをご用意させていただ  いた」 【京子】 「一風変わったものー? ん。なんだこれ」  扉の下の隙間から見慣れない白い物が差し込まれる。  手のひらよりも少し小さ目なそれは、紙が一二枚だけ  しか通らない隙間には窮屈な厚さだった。 【男】 「手紙。クラスメイトから」 【京子】 「手紙……? クラスメイト……ってのは、誰だ」 【男】 「さあ、わからない」 【京子】 「わからないってどういうことだ。私のクラスメイトだ  ろう? てことは、お前のクラスメイトじゃないか。  名前くらい……」 【男】 「いやあ、人の名前ってなかなか憶えにくいんだよね」  ……あぁ、そうだった。  こいつは自分の興味があるもの以外に対しての記憶力  がとことん悪かった。  嫌いな科目しかり、地名しかり。  ましてや滅多に話さないクラスメイトの女子の名前な  ど、憶えてられないんだろう。 【京子】 「あー……そうだったな。お前は興味のない人間の名前  は憶えられないやつだった。忘れていたぞ」 【京子】 「まったく、私の友人の名前くらい憶えてほしいものだ。  それでも私のおさな……」  『――幼馴染か』  零れそうになった言葉。  今さらどの口が言うんだろう。  疎遠になっておいて、幼馴染という消えかかった役柄  を復刻させようとして。 【京子】 「……。もっと女のクラスメイトにも興味を持ってやれ。  自分のことじゃないが、少々哀しい」 【男】 「ん。努力する」 【京子】 「そ、それじゃあ、宿題を渡すぞよ。えっと……これと  ……これ……にぃ、これ……っと」  順々にプリントを滑らせていった。  最後の一枚が扉の向こうに吸い込まれていくのを見送  って、声を上げる。 【京子】 「うむ、これで全部だ」 【男】 「頂いた」 【京子】 「すまんな、いつもいつも。お前には迷惑を掛けるが、  よろしく頼む」 【男】 「承りました」  荷物を持って立ち上げる音が聞こえる。  本日の扉越しの面会は終わりだ。  ……そう思うと、口から言葉が漏れる。 【京子】 「ま、また明日もっ、来て……くれるか?」 【男】 「……」  返事がなかった。 【京子】 「……? おーい、聞いてるか?」 【男】 「うん、また明日」  返事があった。 【京子】 「んぁ……。お、おうっ! また明日」  アイツが離れていく。  もう、扉の前にはいないんだろう。 【京子】 「……」  ほんの少しだけ寂しく感じたが……。なに、別れは物  淋しいものだ。  心淋しいからこそ次の再会に期待して、いざ対面した  ときに喜びを感じられる。  うむ、悪くない。  引きこもりというのは、そう悪くないものだな。 【京子】 「『また、明日……』か」  最後の会話を口にする。 【京子】 「…………ん。あれ……」  心の奥にある、もやもやとした感覚。  何か思い出せそうなことを思い出せないような感覚。  デジャヴを憶えたときに感じる、このもやもや。 【京子】 「この言葉……前に、どこかで……。ん、んん?」  思い出せそうで思い出せない、この感覚。  あー……これはもう、いくら時間を掛けても思い出せ  ないやつだ。 【京子】 「んぁ、そうだ。手紙手紙」  アイツがクラスメイトから預けられたという手紙を開  ける。 【京子】 「一体誰からのだ? 手紙なんて古臭い……ん」  名前が書いていた。 【京子】 「『みっちゃん』か。ほう、なになに……」  折りたたまれた紙を開く。 【京子】 「…………ふむ……ふんふん」 【京子】 「『メールを返信しないから手紙を書いた』……んぁ、  そういえばメール見てなかったぞ。……外界との接点  は失くすためとは言え、ちょいとやり過ぎか?」 【京子】 「……いや、ここは心を鬼にしないとな、うん」  ん、それならアイツと会話するのも駄目なんじゃ……。  いや、例外くらいあるものだろう。  引きこもりとて、わざわざ家に訪ねてくる者まで突っ  ぱねるわけじゃないだろうし。 【京子】 「えぇと、なになに……『京子に幼馴染がいたことにび  っくりー。お相手にまたびっくりした』……か」 【京子】 「あれ……誰にも言ってないっけ? アイツと私が幼馴  染だって、誰にも……」 【京子】 「……言ってない気がしてきた」  空笑いが零れる。 【京子】 「はははっ。なんだ、私のほうこそみんなにアイツを紹  介してないじゃないか。……これじゃあ、名前を憶え  ておいてくれなんて生意気なこと言えないぞ」 【京子】 「……紹介するのを忘れるくらい、疎遠になっていたっ  てことだよなぁ」 【京子】 「こんなに近くに住んでるっていうのに……」 【京子】 「まったく……やなもんだなぁ……時の流れっていうの  は」