Track 5

(通常.ver) 05.和解。

◆5 【京子】 「ふむ……」  ぺらり……ぺらっ 【京子】 「ふぅむ……新聞も、あれだな。実は結構コテコテして  るんだな。誰も気にしてないようなことも取り上げて  るぞ。……記者って暇人なのかな」  軒下に両足をブラブラとさせながら、新聞を捲ってい  く。 【京子】 「んぁ。『絶品・オレンジジュースと大根おろしを使っ  た和風ハンバーグ』……おぉ、美味しそう。メニュー  は…………うん、難しくはなさそうだぞ」 【京子】 「ん。今度作ってみるか」  ぺらり 【京子】 「んん、こんなにじっくりと読んだことなかったなぁ。  ふむ、なかなか有益じゃないか」 【京子】 「これも、ひとえに引きこもりをしているお陰、だな」 【京子】 「……しかしまぁ」  顔を上に向ける。 【京子】 「ぽかぽか日和のなか、文章を読んでると……こう、ア  レだなぁ。眠くなるぞー……」  裸足の脚を伸ばして、緊張している指を蠢かせて解す。 【京子】 「はぁぁぁ~~…………」  空気がのんびりとしていた。 【京子】 「…………。……いま……何時だろう……」 【京子】 「ん…………ちょっとだけ、横になる、ぞぉ~……。っ、  んんぅ~……っ」  身体を伸ばしながら床に寝転がる。  固い床の上だ、決して寝心地が良いとは呼べない。  それでも、穏やかな日差しを受けて微睡んだ気持ちの  中では、身体を弛緩しただけで意識が沈んで…… 【京子】 「ふ……ぁ、ぁ~……。はふゅ……ふぅ……ふ、ん……  んんっ、ん…………」  このまま…… 【京子】 「……」 【京子】 「すぅ……すぅ……すぅ……」  ……  …  ――ピンポーン  ……。  ピンポーン  ……。  がちゃ、がちゃ……  トッ……トッ……トッ…… 【京子】 「すぅ……すぅ、っ……んん……んふ、……ん……すぅ  ……すぅ……は……ぅ、すぅ……」 【男】 「……」  ――つんつん 【京子】 「すぅ……す――んにゅっ、む、にゅむぁ……ぅぅ……  ん……んん~……?」  頬に感じた違和感に目を覚ます。 【男】 「よっ」 【京子】 「ん、にゅもぁ……? ぁ~……? なんで、おまえが  ……。ぁぁー…………ぁ……――っっ!!?!」  飛び起きた。 【京子】 「な、な、なぜ、ここにいるのだっ! いつ家に上がっ  て――っ! ちゃ、チャイムも鳴らさずにっ、勝手に  ……! 無礼なりぃ~!」 【男】 「二回も鳴らした」 【男】 「ていうか、いつもチャイムに反応しないじゃん」 【京子】 「え……鳴らした? 二回も……? ……い、いつもチ  ャイムに反応しないからって、だからって、おま……  おま……っ」 【男】 「?」  ……こいつ、こんな顔してたんだっけ。  あれ、いま私どんな顔してるんだろ。  格好は? 髪とかどうなってるかな。  あ、やばいぞ。これ、恥ずかしいパターンだ。 【京子】 「あ、あぁ、ぁぁ~……っ!」  逃げよう。 【京子】 「――っ、くぅっ!!」 【男】 「あ、ちょっと――」  布団にしていた新聞を蹴散らして、脇目も振らずに駆  けた。  自室に……! 自室に逃げ込んで、鍵を掛けよう!  それから……それから……。の、ことはまたその時に  考えよう! 【京子】 「っ、ん、ぐぅっ……はぁっ、はぁっ……はぁっ……!」  施錠もして外界からの通行口を封鎖する。  よし、これで私のテリトリーを保持できる。  今のうちに呼吸を整えておかなくては……。 【京子】 「っ、んぐ……っ、はぁぁあ……。ふぅ……ふぅー……  はふ……」  コンコンッ 【京子】 「ふぅっ!?」 【男】 「もしもーし」 【京子】 「っ、な、なんだ、この不届き者」 【男】 「言い掛かりだよ」 【京子】 「勝手に人さまの家に侵入しおって。あまつさえ、そこ  で寝ている女性の頬をつつくなど……あってはならん  ことだぞ!」  言いつつ、また心臓が慌て始める。  初心すぎるだろう、私よ。 【京子】 「お前……もしかして、頬をつつく以外に変なことをし  たんじゃないだろうな?」 【男】 「してないって。信じてよ」 【京子】 「む。ん、んん……まぁ、お前がそう言うなら……信じ  よう」 【男】 「……やっぱり……こんなもの持つべきじゃなかったな」 【京子】 「んぁ。何か言ったか?」  扉越しでは、小さい声をうまく聞き取れない。 【男】 「プリント渡すね」 【京子】 「んぉ? お、おう、プリントか。待てよ、私も今日の  分のを用意するから」  机の上に重ねられたプリントたちを手に取る。  名前よし。未解答なし。  うむ、完璧だな。 【男】 「こうして話すのも、ホント久しぶりだね」 【京子】 「んぁ? 突然どうした」 【男】 「ふと、そう思ってさ」 【京子】 「ぁ……うむ、そうだな。二人っきりで会話するなんて、  本当……何年ぶりだろう」 【男】 「まあ、扉越しだけど」 【京子】 「何を言う。扉越しでも、だぞ。会話できていることに  意味があるんだ。ずっと、こんなことできていなかっ  たじゃないか」 【男】 「……そうだね」  ドアの隙間からプリントが差し込まれる気配はない。  妙な空気だ。  冗談を言えないような、張り詰めた雰囲気。 【京子】 「……なんで、お互いこんなことになったんだろうな」  思わず、愚痴をこぼす。 【男】 「こんなこと、ね」 【京子】 「時々、本当に真剣に考えることがあるんだ……。どう  いう因果で、私達は離れてしまったのかって」 【京子】 「自分で言うのもなんだけど、私たちはそれこそ常に一  緒にいるくらい睦まじい仲だったはずだぞ」 【京子】 「春は新クラスの話題で、夏は虫網持って連れ出された  こともあった。秋も……確か、運動会の障害物競走の  仕込みを教えられたな」 【京子】 「冬は家の中で過ごして……、ふふっ。そうだそうだ。  お前のウチには、冬になればおばあちゃんのとこから  届く甘いみかんがあるんだよな」 【京子】 「あれを食べるのが、私の毎年の楽しみだった」  自然と頬が緩む。  そうだ。私とコイツには、こんなに素晴らしい思い出  がある。 【男】 「そうだったね」  それなのに、どうしてだろうか。  こんなにも大きな壁ができてしまった。  コイツと素直に向き合えずに、自分のテリトリーを守  りながら扉越しでしか対話ができない。  いつから、こんな関係になってしまったんだろう。 【京子】 「もう、何年と……あのみかんも食べてないのか……」 【男】 「……」 【京子】 「忘れないぞ。……忘れてない。こんな、思い出……忘  れるわけ……、……っ……」  歯を噛みしめた。  悔しかったんだ。こんなにも幸せで大切な思い出を、  後ろに置き去りにして生きてきたことが。  人の記憶力に言い掛かりをつけておきながら、私自身  が昔の思い出を忘れていた。  そんな馬鹿な話があるだろうか。 【男】 「……」 【京子】 「……ははっ……、自分が、情けなく思ってくるぞ。今  の今まで、忘れてたなんて……なぁ?」 【男】 「仕方ない」  冷たく言い放った。 【男】 「そういうもんさ。昔の思い出なんて」 【京子】 「……っ、お前は……そうやって、昔の思い出だなんて  言って、割り切れるのか……?」 【京子】 「私たちの大切な思い出だ! それを、そんな簡単に…  …」 【男】 「鈴谷さんだって、昔に囚われてるわけじゃないでしょ」 【京子】 「わ、私は……!!」 【男】 「……わたしは?」 【京子】 「……」  私は……なんだ?  今の今まで忘れていたのは私だ。  どの口が、弁解する。 【男】 「ま、どっちでもいいよ」 【京子】 「割り切れるわけ、ない……だって、今の自分を作って  るのは、紛れもなく当時の私のすべてなんだぞ……?」 【京子】 「全部……たとえ忘れていたとしたって、ちゃんと、私  の中で生きているっ、大切な思い出だ!」 【男】 「けど、こうしてお互いは壁ができてしまった」 【男】 「こっちだけの責任じゃない。鈴谷さんにだって……壁  を作った要因がある」 【京子】 「な……、何を言ってるんだ……。先に……、っ! 先  に視線逸らすようになったのはそっちだろう!?」 【京子】 「話もまともに聞いてくれなくなって、遊びに誘っても、  全然いい顔してくれなくなって……」 【京子】 「人がどれだけ傷付いて、悩んで悩みまくったか……。  お前の存在が、私の中で薄れて……でも、とっても大  きくなっていたんだ……」 【京子】 「忘れもしない。全部……っ、全部お前が……」 【京子】 「――っ、どうしてだっ。どうして、私を突っぱねたん  だっ。どうしてっ……私を一人にしたんだっ。なあ、  教えてくれ……」 【男】 「ははっ、さあ?」  おちゃらかすように曖昧な返答をしてくる。 【男】 「そんなことあったっけ」 【京子】 「とぼけないでくれ! お前のことだ、きっと何か意味  があってのことだろう? なあ?」 【男】 「これ」  遮るようにして、音がした。 【京子】 「んぁ……? ……な、なんだ?」 【男】 「扉の下の隙間」 【京子】 「扉の下の隙間?」 【男】 「あぁ」 【京子】 「なんだ、また手紙か? 言いたいことがあるなら口で  言ったほうが、気持ちが伝わるんだぞ?」 【男】 「違う」  強めの語気で否定された。  促されるように、下に見遣る。 【京子】 「ん……。なんだこりゃ……鍵?」 【男】 「返す」  端的だった。 【京子】 「かえ、す?」 【男】 「もう必要ないでしょ」 【京子】 「もう、必要もない、って」 【男】 「それじゃ」 【京子】 「お、おいっ。待てっ!」  荷物をまとめる音が聞こえる。  帰るつもりか。 【男】 「おばさんによろしく」 【京子】 「あほっ! 母さんへの挨拶なんて受け取るものか、そ  れくらい自分で言え、馬鹿者!」 【男】 「ははっ、懐かしい罵り」 【京子】 「うるさいっ! そんなに言って欲しければ何度でも言  ってやるぞ! 馬鹿者! 馬鹿者っ!」 【男】 「連呼されると、ありがたみも減るわなあ」  扉を叩いても、アイツは軽口な言葉を返すだけ。  何が言いたい。  頭が混乱してどうにかなりそうだ。 【京子】 「おい、どういうことだ。もう、必要もない、って……」 【男】 「もう勝手に上がるのも良くないかなってな」 【京子】 「何を言ってる。何度来ても構わないに決まってるだろ」 【男】 「それは子供のときまでの話でしょ」 【京子】 「子供のときじゃなくてもだっ! 今でもいい! 年齢  なんて関係ないだろう!」 【男】 「そういうわけに行かないって」 【京子】 「な、なんでそういうことを言うんだ……? 私には、  お前の考えてることが全く――」 【男】 「んじゃ」 【京子】 「おいっ、待て!」  アイツの足音が遠のいていく。 【京子】 「――っ! なぁ! 頼む、待ってくれ!」 【京子】 「どうしてだ! 私が、お前を拒んだことがあったか!?  家に上がってくるなと、拒絶したことがあったか!?」 【京子】 「私はいいと言っている! お前が好きなときに、勝手  に部屋に入ったとしても、私は……! なぁ! おい  ……!」  扉を乱暴に叩く。  残響が虚しく部屋に響き渡った。 【京子】 「待っ……て……」  ずるずるとへたり込んだ。  どれだけ強く叩いても、アイツの返事はない。  もうそこに、アイツはいないのだから。 【京子】 「……どうして、あんなこと言うんだ……」 【京子】 「鍵まで、返さなくてもいいじゃないか……」  この鍵は……、アイツと私を繋ぐ『キーアイテム』。  交流がなくなったとしても、お互いを繋ぎとめてくれ  ていた。 【京子】 「鍵がなくなったら、お前と私は……ただの……」  この鍵は、私とアイツが幼馴染であることの何よりも  の証拠。  そんな鍵が、もうアイツの手元からなくなったのなら  ……私とアイツはただの……。 【京子】 「ただの……なんだ……?」 【京子】 「とも……だち……?」  疎遠になった今、アイツと私の関係を何と呼ぶ? 【京子】 「いや……それ、どころか……」  ただの、クラスメイトじゃないか。  学校でもろくに会話をしない、単なるクラスメイト。 【京子】 「…………」  ……そんなの駄目に決まっている。  駄目に決まっている! 【京子】 「――っ!!」  鍵を開ける。  目一杯の力でドアを開けた。 【京子】 「っ、く……! くそっ……!」  ……  …  夕日に染まった坂を駆け上る。  団地の奥まったところにアイツの家はある。  まだ帰路の途中のはず。  走って追いかければ、きっと……! 【京子】 「っ、はぁっ……はぁっ、はぁっ……! っ、んくっ…  …! ん、はぁっ……はぁっ、はっ……ん、っ………  …っっ!」 【京子】 「はぁっ……はぁっ、……っ! くっ……! くそっ…  …ん、く……はぁっ……! はぁっ、はっ……、っ…  …はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」 【京子】 「(なんで、こんなにもアイツの気持ちが理解できなく  なってしまったんだろう)」 【京子】 「(もっと知識を付ければ、もっと賢くなれば、もっと  大人になれば、アイツのことを理解できると思ったの  に……!)」 【京子】 「(理解しようと、頑張ってきたのに……! なんで…  …、どうして! どうして昔よりも理解できなくなっ  てるんだっ!)」 【京子】 「(アイツの考えが……全然解らない……っ!!)」 【京子】 「(どうして鍵を返そうとするんだっ! どうしてっ、  私たちの絆を、容易く手放そうとするんだっ!)」 【京子】 「(今の私たちから、『この鍵』を失くしてしまったら  ……幼馴染なんて肩書きは、一瞬で崩れ去ってしまう  のに……!)」 【京子】 「(どうして……っ、お前は――っ!!)」 【京子】 「――待ちやがれってんだ! このバカぁぁあっ!!」 【男】 「っ……」  前に捉えたアイツの後ろ姿。  私の声に足を止めて、振り向いた。 【京子】 「っ、はぁっ……はぁっ、はっ、く……フーッ、ふーっ、  ふぅーっ……」  まさか追いかけてくるとは思わなかった、と言いたげ  な表情をしている。  馬鹿め、あんな喧嘩の売られ方して黙っているほど、  私は柔に育っちゃあいない。 【男】 「……」 【京子】 「ん、んふぅ……ふぅ……、ほふ……」  ぶつけたい罵詈雑言の数々が浮かぶ。  それを一から吐きつけていくには、少々肺活量が足り  ないみたいだ。 【京子】 「……返す」  手を差し出す。  通し口に赤いリボンが結われている、銀色の鍵だ。 【京子】 「これは私のじゃない。お前のだ。お前が持ってないと  駄目なやつだ」 【京子】 「だから、返す」 【男】 「……」  じっとこちらを見つめ返してくる。  物言いたげに口角を動かしていた。 【京子】 「お前の気持ちは、正直……よく解らないぞ。でも、鍵  を私に預けたっていうことは……きっと、幼馴染って  いうものを辞めようとしたんだって思うんだ」 【京子】 「どういう理由かは知らないっ、どうして辞めようとし  たかなんて全く見当がつかないっ!」  言葉が勝手にこぼれていく。  さっきまでの息苦しさが嘘みたいだ。 【京子】 「でも、私はそれに対して、はっきりと言えることがあ  る」 【京子】 「……お前と、幼馴染の関係を断つのは……嫌だ」 【京子】 「今はもう、滅多に話もしない単なるクラスメイトだけ  ど、それでもっ……! 幼馴染っていう、お前との特  別な関係を絶つのは……嫌なんだ」 【京子】 「むしろ私はっ……! また昔みたいに、お前と仲良く  したいんだ! ヘンテコな議論を、お前としたいんだ!」 【京子】 「私はっ、賢くなったぞ! 昔の私とは違う! お前の  する小難しい話に、ふんふん頷くだけの娘じゃない!」 【京子】 「きっと……きっと、お前を楽しますことができる!  誰よりも、お前をよく知る私だ! だから……っ」 【京子】 「だから、どうか……受け取って欲しいぞ」  言葉なく、目を見張っている。  柄にもないことを言っているの承知の上だ。  でも、もうなりふり構ってなどいられない。  コイツとの繋がりを失うのなら、それこそ本当に引き  こもってしまったほうがマシだ。 【男】 「……ふぅ」  やれやれといった風に、息をついた。 【男】 「わかった」 【京子】 「あ……」  手と手が触れ合う。 【京子】 「受け取って……くれるか」 【男】 「受け取るよ」  私の手元から鍵が消える。 【男】 「ったく、頑固になっちゃって」 【京子】 「っ……! ありがとうっ……、ありがとうだぞ!」  そっと優しく微笑んでいる。  対して私はと言えば、感情の渦に飲み込まれそうだ。  ほっと胸を撫で下ろし、安堵感に包まれた息を吐き出  す。 【京子】 「っ、はぁぁっ……よかった……。これで、私とお前は  ……幼馴染のままでいられる。……いられるんだな」  幼馴染。  ぐっと噛み締める。  うむ、良い響きだ。  たとえ私たちの関係が変わろうとも、この楔はそう容  易くは千切れまい。  この鍵が私たちを繋いでくれていた。  でも、これからは私たち自身がお互いに踏み出して、  関係の改善をしていかなくては。  この鍵だけでは、仲は進展しない。  より深くを望むには、誠実な心で相手と向き合いぶつ  かり合わないとな。 【京子】 「ん……、うんっ! よしっ! そうと決まれば、お互  いに開いてしまった溝を埋めないとな! ……ふふっ」 【男】 「ふ……。へいへい」 【京子】 「……これからも、よろしく頼むぞ!」  手を差し出した。  その手を、大きくなった手が握り返してくれる。  ……うん。いいな。  離れて行ってしまっていたものを、再びこの手で掴む  ことができた感触は……  最高だ。