■トラック③『このまま...勘違い、させてください』
… っ、やめてください
あの…廊下が汚れて、しまったので…お皿、片付けます
お願いです…もう放っておいて…
「その履物はどこから持ってきたんだい? あんたのじゃないだろ。
旅館の備品は勝手に使うなって教えた筈だよね? 」
この靴は、若旦那様の…ご厚意で、いただいたものです
先日、靴を履いていないことを、気にしてくださって、それで…
「最近若旦那様の部屋へ夜遅くに出入りしてるそうじゃない。何を企んでるの?
上手く取り入って、愛人にでもなろうと思ってるのかい? 」
それは…若旦那様が、遅くまでお仕事をしていらっしゃるので、
お、お夜食を持って。
た、確かに、私が勝手にやっているだけ…かもですが…
でも、あ、あい…じん?、と…そう、言ってました、よね、多分…
…だとしたら、違います。
そのような関係ではありませんし…若旦那様は、そのような事を求める、方では無いです
ただの、優しさです。
そういう、勘違い、は…若旦那様に、失礼だと…思います。
「新入りのくせに生意気なムスメだねっ! 本当に若旦那様から貰ったのか確かめてあげるから
その履いてる靴をよこしな! 」
それは…それだけは、やめてくださ…
きゃっ!?
…ん…あれ…?
…ひっ、
若…旦那様…!?
そんな!どうして…私の事を!?
「…ど、どうしましょう。わ、若旦那様。今のはわざとじゃ…」
「そ、そうです。こ、この子が変な事を言うから…」
し、しっかり…しっかりしてください…!
…はい、できました
包帯、きつくなかったですか?
他にも痛みや…気になる所があれば、教えてくださいね…
…頭をぶつけただけで、大きな怪我はしていないと思うのですが。
しばらくは、安静にしておいた方が、いいかと思います。
その手は…
いいえ…お礼なんて、もったいないです
私のせいで、若旦那様に、ご迷惑…かけてしまいました。
本当にすみません
さっきの事は…
その…大したことでは…なんて言えません…よね。
若旦那様にお怪我まで、させてしまいました。
だから、ちゃんと…ご説明します。
全て…私の、せい、なんです。
私…この耳のせいで…
わざとではないんです。
その…他の人のことを無意識に無視して、しまったり…
それに、愛想もないし…態度が悪いって…いつも、相手を不快に、させて、しまいます
その上…遠い親戚だというだけで、ここに、雇ってもらっています。
他の人と同じように、仕事ができるわけでもないのに。
お情けで…ここにいるんです。
そんなの、誰だって、良く思わないですよね?
ですから…多少の嫌がらせは、仕方ないと、思います
靴が無くなったのも…初めての事じゃ、なかったですし…
前にいた場所でも、ありましたし…そのくらいなら、もう、慣れっこです。
…でも…
最近になって…嫌がらせも、前より酷くなりました。
…急に水をかけられたり、後ろから物を投げられたり、
ここから出て行け…とも。何度も言われて、もう日常的な挨拶に感じています。
私の耳でも、何を言っているか、分かるくらい…大きな声で。
今日だって…
あ…お皿、片付けてない。
すみません、夜の内には、何とかしないと…
ち、違います
若旦那様のせいでは、ありません。
私なんかが、優しくされて、
毎晩のように、お部屋にお夜食を持っていってるなんて…
そんなの、周りから不快に思われて…当然のこと、です。
で、ですから…謝らないで、ください。
そんな…私のような使用人に頭を下げるなんて、
やめて、ください…
それに…
冷たくされること、自体は別に、何とも思わないんです
昔から…
何度も…何度もあったこと、なんです。
ここよりも…もっと近い血縁の、親戚の家は…
…こ、この話はもう終わりにしましょう。
とにかく…私はそういう、生き方しか出来ない…運命だと理解、できてます。
周りからどう思われても…特に悲しいとも辛いとも、感じずに、
何も考えないように、すること、できるように…なって、いたはず、なんです。
でも…ここでは、それだけじゃ、無かった…
こんな気持ちに、なったのは…初めて、なんです
だって…ここには…若旦那様が、いたから。
これまでずっと…皆、みんな、私から、持っていってしまうばかりで…
良くて、無関心…何も与えてくれないのが…当たり前、だったんです
両親も…居場所や自由も、尊厳だって…何一つ無くって…
だから…私に、こんなに積極的に、何かを与えようとしてくれたのは、
若旦那様が…初めてだったんです。
靴をくれたとか、そういう…直接、何かもらったって、ことだけじゃなくて…
私に気付いて、「おはよう」って、手話であいさつ…してくれたり
「頑張ったね」って労わってくれたり…
「ありがとう」って笑ってくれたことも、
「ごめん」って謝ってくれたり。
「先に休んでいいよ」って私を人として気遣って…
全部、全部…素敵なものを、与えてくれました。
…驚いた顔、してますね
若旦那様にとっては、なんてことも、ないような…当たり前の行動、なんだと思います
でも、私には…あまりにも、特別…だったんです。
…いじめられるの、本当に辛くなかったん、です
元々、慣れているのもありますけど…
心をからっぽにして、言われたことだけしていれば。それ以上ひどい目にあう事もありません。
…そんな人形みたいな私の事を、人として見てくれた若旦那様。
不思議な感覚でした。体の底から初めて、あったかい気持ちになれました。
若旦那様の…想いを、気遣いを、もらえる…なら、
何をされたっていい、構わない… って、考えて…しまうように。
本当に…悪い子ですね、私
若旦那様は、純粋に心配して、くれていたのに…
怪我をしたら、もっと心配してもらえるかなって…そこまで考えたことも、あります
一度や二度じゃありません。
すごく、すごく…いけない、不純なことを考えて、いたんです
…でも、もうこれを聞いて…呆れる…ううん、違う
軽蔑…しましたよね?
こんな、私なんかの為に…怪我まで、させてしまって
これ以上、優しくしなくて…大丈夫です
すみませんでした、若旦那様…
ひゃっ…?
え、あ、あの…わ、若旦那、様…なんで…
どうして、抱きしめて…くれるん、ですか?
だって私、今…若旦那様に不純な考えを持っていると、打ち明けたばかりで…
あ、ああ…わかりました
同情したんですか?
私が、哀れだから…慰めてあげようと…
そ、そうですよね?
きっと…そう…そういう理由…そうですよ、そうに…決まってます。
若旦那様は、綺麗な心の、優しい人ですから…
目の前に…私じゃなくとも、可哀想な子がいたとしたら…
誰にだって、こうして…。
決して、私が特別なわけじゃ…ない、ですよね。
でも…私、悪い子ですから…
解って、いるのに…ちゃんと、解らなきゃいけないのに…
勘違い…して、しまいます。
だって…こんなにあったかいの、初めてなんです。
自分には、絶対に手に入らないものだって…思ってましたから
諦めたはず…なのに。
今…嬉しくてたまらない
それどころか、もっと、もっと欲しくなってしまうんです
本当に…悪い子、ですよね
今度こそ軽蔑して…それでも手を…離さないんですね?
もしこんな私でも、いいのなら…
若旦那様が、優しいままでいてくれるなら…
私も…このまま抱きしめていいですか?
えっ…そ、そんなすぐに、頷かないで、ください…
…若旦那様は本当に、優しいんですね。
そんなに穏やかだと、私みたいな悪い子に…付け込まれてしまいますよ?
でも…ありがとうございます
では、ぎゅって、してみますね。
んんぅ… っ
ふはぁ…あったかい、です。
さっきよりも、もっとあたたかさが増して…
誰かを、抱きしめたのなんて…私、生まれて初めて…かもしれません
小さい頃から、した事も…された事もないです。
…あの、もう一つ…
一つで済むか、解らないんですが…お願いが、あります。
これ以上、我侭を言ってはいけない、ですよね?
でも…でも…今は、若旦那様の優しさに甘えてしまいたいんです。
どうしても…我慢できません。
もっと欲しいと、続きをくださいと…ねだっても、いいでしょうか?
今こうして感じている温もりや想いを、私だけが特別に、与えてもらえているんだって…
どうかこのまま…勘違い、させてください
もう少しだけ…若旦那様を感じて、特別だって勘違い、していたいんです…
…嫌なら手を離して…もう、優しく、しないで…
んぅ、ちゅっ…んん、はぁ…ああ、若旦那様
はふぅ…ちゅ、ちゅぅ…