3.共鳴した
共鳴した」大人げないやもしれませんが、心霊スポット巡りが好きです。趣味と言うには少々語弊があるけれど、ふと思いついてはインターネットで有名どころを調べ、車で赴きます。一人では行きません。だって怖いですから。幽霊ですか?信じていません。だって、見た事がないですから。どれだけ危険と言われるスポットを歩いても、影も形もこの視界に現れた事がありません。生まれてこの方、自分の目で見たものしか信じられない性なのです。でも、その存在を全否定しているわけではありません。幽霊に限らず、宇宙人やUMA、都市伝説なるものはロマンがあると思います。見るも聞くにもわくわくするような話が盛りだくさんです。そういったものもネットサーフィンで漁り漁り、ついつい熱中し何時間も経っていた、何て事もありますよ。ただ、その存在を過信し「いるに決まっているだろう」と決めつけるひとは苦手......いや、何と言いますか、視野が狭いんだなと。私は見える、というひともまあ、そうですかと言った感じですけれど、その真偽は置き、自分に見えないものを視認するそのひとを羨ましくも思います。地元の小学校時代からの友人S君とは、よく食事やドライブに行く間柄です。今では住まいも離れ離れ。心霊スポット巡りもたびたび同伴していましたが、今では滅多に興じなくなりました。S君も幽霊を信じてはいませんけれど、何故か彼と私が二人で過ごすと、『そういった場所』でなくとも変な現象が起こる時があります。いるはずもないひとの気配を二人同時に感じたり、声が聞こえたり、大抵は「うひゃーこええ」なんて笑いながらすぐに忘れてしまいますが。まだS君が地元にいた頃。ある夜、散歩に行こうと誘われました。お互い駄弁り歩く行為が好きなので、そういった誘いは珍しくありませんでした。二つ返事で待ち合わせ場所へ向かい、さて今日はどこへ行こう、M山とかどうよ、いいねいいね、そんな会話で目的地が決まりました。M山は地元の地名で、とある遊歩道が全国的にも有名な心霊スポットです。と言っても、やはり地元は地元。馴染みが深すぎて怖さとは無縁の場所でした。趣味の話で盛り上がりながら歩く夜道。夏でしたので、背景には虫や蛙の歌声が騒がしかったのを覚えています。その遊歩道は歩き切るにも五分もかからない場所ですので、ちょちょいと通過しようとしたのですが、道が半ばに差し掛かる頃。途絶えなかった会話が数秒間沈黙しました。虫の声も蛙の声も、遠くで聞こえていた車の音も、一切合財サイレント。自分たちの足音すら聞こえず。世界の時が止まったようでした。でも、たったひとつだけ。妙な『何か』が背後にいました。
足音だとか話し声ではありません。それこそ気配とでも言いましょうか。沈黙のひととき、確かに真後ろに何かが存在していました。そして、S君か私か、どちらが会話の口火を切ったかは覚えていませんが、再び他愛ない談笑が始まりました。既に世界の時は動き出していました。背筋が凍ったような思いでその遊歩道を歩き終えたのち、S君に言いました。「何か後ろにいなかった?」と。彼は言いました。「何でお前も同じ事考えてんだよ」ぞっとする。という感覚を本当の意味で体感した瞬間やもしれません。これが当時の私達にはあまりにも不気味で、夜に思い出せばトイレにも行けない怪談となりました。音もなく姿形もなく、しかしそれは確かに存在していて、私達は会話もせずそれの気配を感じていた。もう一度言いますけれど、幽霊を信じてはいません。ロマンはあります。そういう話は大好きです。しかし正体不明や原因不明、不思議な話。それらは怪物や妖怪のように形あるものより、ずっとずっと怖いものだと思います。ひとが一番恐れるのは、目には見えない何か、なのでしょうか。まあ、今となっては笑い話で済んでしまうものです。そんな事もあったね、なんて、恐怖というものはその場近辺の感情で、時と共に薄らいでいくものなのでしょうね。