「勇者の遺言」
泣き散らす僧侶の背中を押し、家の中に入った。
しばらく泣き止まなかった彼女も、今は鼻を啜るくらいに落ち着い
ている。
椅子に腰掛け、沈痛な顔で俯く彼女の前にお茶を置く。
【男】
「どうぞ」
【セシリア】
「あ。どうも……。ありがとうございます……」
【男】
「……落ち着きましたか?」
こちらの質問に、彼女は引き攣った笑みを浮かべる。
【セシリア】
「あはは。ごめんなさい、見っともないところを……。お茶まで出し
ていただいて……」
【男】
「いえいえ」
少しの間。
口か寂しくなったのか、沈黙に耐えられなくなったのか、セシリア
は差し出したコップにおずおずと手を伸ばした。
一口飲む。
【セシリア】
「……、ん……。これって……ハーブティ、ですか?」
【男】
「えぇ、そうです」
【セシリア】
「……そうですか。……よく、茶葉が置いてある場所が分かりました
ね。どこにあったのですか?」
異なことを訊く、と思った。
【男】
「はぁ……。手の届くところにありましたが……」
【セシリア】
「そう、ですか……」
【セシリア】
「……ハーブティは、勇者様が『気分が落ち着く』と言って、好んで
よく飲まれていました」
【セシリア】
「……そのたび、勝手気ままに茶葉の置く場所を移動させるものです
から」
【セシリア】
「私では茶葉がどこにあるのか、すぐには分からないのです」
【男】
「そ、そうなんですか……」
【セシリア】
「ずずっ……、っ、はぁ……。ふぅ……。そういうところは、凄く大
雑把な方でした」
何かを思い出したのか、ふっと彼女の表情が緩む。
【セシリア】
「……くすっ。そうそう、ここだけの話ですが、勇者様は……とても
我が儘なのですよ?」
【男】
「へぇ」
【セシリア】
「あー……、我が儘と言うよりは……なんと言いましょうか。しなく
てもよい面倒事は、絶対にしないお人でした」
【男】
「例えば?」
【セシリア】
「ある日のことですが……」
【セシリア】
「私が家を空けていた際に、勇者様は、」
【セシリア】
「『湯を沸かすのが面倒だから』と仰って、水浴びもせずに寝入って
しまったことがあったのです」
【セシリア】
「それも一日だけではなく、数日も続けたのだそうです。信じられま
すか?」
【セシリア】
「勇者様ともあろうお方が、お風呂にも入らずお布団に入ってしまう
だなんて」
なるほど、ご尤もだ。
しかし、ここは勇者を立てておこう。
彼女の言い分は、冒険者の自分には耳が痛い。
【男】
「……まぁ、冒険者ですし、そういう日もあるんじゃないですかねぇ」
【セシリア】
「それだけではないのですよ? なんとそのときに、勇者様は食事を
摂らなかったのだそうです!」
【セシリア】
「干し肉は昼の内に食べ尽くしたと仰っていましたが、それにしても
外で食事するだとか、軽く済ませられるものを買ってくるだとか」
【セシリア】
「色々手段はあったはずです。くすっ、全く……勇者様は、ほとほと
いい加減なお人でした」
【セシリア】
「あっ、そういえば、他にもたくさん――」
【男】
「……僧侶様」
【セシリア】
「え?」
【男】
「無理して、喋らなくともよいのですよ。感情が溢れてしまうだけで
す」
嬉々とした表情と裏腹に、枯れていた涙が再び湧き出て瞼から溢れ
ようとしていた。
【セシリア】
「あ……。あはは、また、泣いていますか? ……おかしいですね。
哀しくなど、ないのですが……」
【男】
「……」
【セシリア】
「……」
哀しみがこの場を支配していく。
掛ける言葉が見つからない。
不用意に声を掛けたところで、彼女を錯乱させてしまうだけだろう。
【セシリア】
「あ、そうでした」
先に口火を切ったのは彼女だった。
【セシリア】
「……今更、こういうことをお聞きするのもどうかと思うのですが…
…」
【セシリア】
「貴方は、その……、どういったお方なのでしょうか? 勇者様の、
……遺品を、お持ちのようでしたが」
――“遺品”。
勇者の死を認めなかった彼女が口にした、諦めの言葉。
心の整理はできたということか。
【男】
「……そうですね。そろそろ説明しておかないといけませんか」
【男】
「勇者殿が今回の旅に、一人の従者付ける予定だったと……。そう、
聞いてはいませんか?」
【セシリア】
「ぁ……はい。確かに、その通りです」
【セシリア】
「……今回、勇者様が近くの山に住んでいらっしゃるドラゴン……、
竜神様のことですね。その竜神様の許に向かうことになりました」
【セシリア】
「……なんでも、最近竜神様が暴れまわっているそうで、近辺で地震
が絶えないのだそうです」
【セシリア】
「……竜神様とは、以前に勇者様と冒険していました際にお会いして
いますから……」
【セシリア】
「勇者様も、『ちょっと話を聞いてくるだけだから』と仰って、私は
家に残ることになりました……」
【セシリア】
「そして、勇者様は今回の旅に、確かに『従者を一人付ける』、と…
…」
【男】
「……はい。そうです」
【男】
「私が、その従者です」
【セシリア】
「あ……。そうでしたか。貴方が、今回勇者様に付き添った、従者の
方だったのですね」
【男】
「はい」
【セシリア】
「そうですか……。それで、勇者様の遺品を……」
【男】
「……」
納得。
……という表情を見せたかと思うと、眉を顰める。
歯噛み、沸き起こる感情を殺すようにして、口を開く。
【セシリア】
「……。どう、でしたか? 勇者様の……っ、最後は……」
【男】
「……ご立派でした」
【男】
「私を守るために、その身を投げ打って……。最後まで、お逃げにな
ることはございませんでした」
【セシリア】
「っ……! っ、ぅっ……。そう、でしたか……」
【セシリア】
「あははっ、勇者様は、最後の最後まで、勇者様……でしたか。お仲
間を守るために……お体を、張って……、……っ」
【男】
「……」
……この人は、こんなに痛々しい笑顔を浮かべられるのか。
無理しているのがバレバレだ。
感情を隠し通せていない。
【男】
「……旅は」
【セシリア】
「っ、……はい。すみません、また。んっ、ん」
お淑やかに涙を拭う。
感情的になっていても気品を失うまいとする姿勢が見えた。
【セシリア】
「……なんでしょう」
【男】
「旅をする際には、連れ添う仲間に、あることを告げておくのです」
【セシリア】
「……旅をする際に、従者にあることを告げておく……。……、そ
の、“あること”……とは?」
【男】
「……自分が死んだ際に、何をどうして欲しいのか……」
【男】
「要は、先に遺言を告げておくのです」
【男】
「……今回の勇者殿のように、死に際に言葉を託すのは難しいですか
ら」
【男】
「……特に、冒険者は」
【セシリア】
「…………遺言を、ですか……」
【セシリア】
「……そうですね。冒険をしていると、一瞬で……命を落とす可能性
がありますからね……」
【男】
「えぇ」
【セシリア】
「……。そ、それで、勇者様は、なんと仰っていたのですか?」
【男】
「……まずは、これを……」
懐にしまっておいた二つ折りの洋紙を取り出す。
【セシリア】
「……? 手紙……? これを、勇者様が?」
【男】
「えぇ」
【セシリア】
「そうですか……」
呟くように言うと、そっと手紙を受け取った。
【セシリア】
「くすっ、勇者様ったら、こんなものを家を出る度に持ち歩いていた
のですか。……冒険者ゆえとはいえ……なんだか、複雑ですね」
【男】
「……それと、一言だけ言付かっています」
【セシリア】
「え? 一言だけ……?」
【男】
「『僧侶を頼む』、と」
【セシリア】
「『僧侶を、頼む』……」
【男】
「自分が死んでから、彼女が立ち直るまで、すまないが傍で支えてや
って欲しい、と。……そう、頼まれていました」
【セシリア】
「っ、……そう、ですか」
こんなことを言われ、彼女は何を思うか。
感謝? 無念? それとも……。
【セシリア】
「……本当、こんなときまで人の心配をして……。馬鹿な方ですよ、
全く……」
【セシリア】
「そんなことは人に頼まず、自分が必ず生きて帰ってくれば、それで
いいものを……」
【男】
「……」
【セシリア】
「……いえ、違いますね」
【セシリア】
「……勇者様は、その身で貴方をお守りしたのですよね」
【セシリア】
「……生きる、代償に……」
【セシリア】
「……」
こちらをじっと見据えた。
【セシリア】
「……よくぞ、生きて帰ってきてくれました」
温かな声色。
【セシリア】
「勇者様に代わって、感謝申し上げます」
彼女は……本当に。
【セシリア】
「……本当に、ありがとう……っ」
嘘が下手だ。