Track 2

「セシリアの胸中」

 少し日が傾いてきた。  町を見てくると言葉を残し家を出て数刻。  そろそろ戻ってもいいだろう。  彼女にも、一人で心の整理をする時間が必要だった。  暗に与えられた猶予で、幾ばくかマシになってるといいが。 【セシリア】 「あ、お疲れ様です」  戸を開けると、セシリアが出迎えた。 【セシリア】 「どうでしたか? この町は。落ち着きがあって、それでいて活力が  あって……勇者様は――」 【セシリア】 「……ん。私も、この町のことはとても気に入っています」 【男】 「そうですね。私もこの町の雰囲気、好きですよ」 【セシリア】 「あ……。……そうですか」  同調したというのに、彼女の表情は晴れない。 【セシリア】 「……きっと、この町に住んでいる内に、町の雰囲気がもっと好きに  なっていくと思います。それくらいに魅力的な町ですから」 【セシリア】 「……勇者様もお好きだったこの町のこと、貴方にも、ぜひ好きにな  っていただきたいです」 【セシリア】 「少しの間だけですけど、その短い間に……ぜひ、たくさんの思い出  を作っていってください」 【セシリア】 「そうすれば……勇者様も、きっとお喜びになられます」 【セシリア】 「……きっと」 【男】 「……」  ……駄目か。  彼女は未だに、勇者という幻想に囚われている。 【男】 「……そうですね」  それも仕方ないのかもしれない。  共に旅をし、時には死線を潜り抜け。  人々の助けを乞う声に応じるがまま、北へ南へ移動し。  冒険者として、時には先導者として人々の許に舞い降りてきた勇者  様御一行の一員。  勇者の伴侶として、常に傍で彼を支え続けてきたんだ。  彼女にとって彼は、心の支えだったのかもしれない。  突然、支柱を失った人間がそう簡単に立ち直れるとは思えない。  ……彼女は、いつまで勇者という亡霊を追い続けていくんだろうか。 【セシリア】 「……、それでは、私は夕餉の準備をしてきます。貴方は……」 【男】 「私は、小屋のほとりにいます」 【男】 「……水の薫りがしますので、そこまで歩こうかと」 【セシリア】 「そうですか。では、日が沈み切る前にお戻りください。そのころに  は、丁度出来上がっているでしょうから」 【男】 「えぇ。わかりました」 【セシリア】 「それと、お荷物のほうは一番東のお部屋――勇者様のお部屋へ移し  ておきましたので、何かご入用でしたら、そちらのほうに」 【男】 「何から何まで、どうもすみません」 【セシリア】 「いえ、感謝されるようなことは一つも……」  儚げに苦笑するセシリア。 【セシリア】 「……それでは、お気をつけて」 【男】 「はい。……行ってきます」  挨拶をそこまでに、部屋を後にした。  …  ……  …  夜になった。  風呂から上がったことで火照った体を冷ますように窓辺で涼んでい  ると、扉が鳴った。  【男】 「ん?」  遅れて、声がする。 【セシリア】 「私です。……少し、宜しいでしょうか」 【男】 「あぁ、いいですよ」 【セシリア】 「ありがとうございます」  控え目な動作で扉が開けられる。 【セシリア】 「こんな夜の遅くにすみません……。あ、お湯加減のほうはどうでし  たか?」 【男】 「良かったですよ。久し振りに良いお風呂に入れました」 【セシリア】 「そうですか。……それなら、よかったです」 【セシリア】 「冒険をしていますと、なかなかお湯にゆっくり浸かるということは  できないでしょうから」 【セシリア】 「こんなことでしか御もてなしできませんが……。ゆっくりしていっ  てくださいね」 【男】 「いえいえ、お構いなく」 【男】 「……それで、どういったご用件で?」 【セシリア】 「あっ……、そうでした」  一瞬、彼女の表情が曇る。 【セシリア】 「御用があって参ったのは、その通りなのですが……、少々、申し上  げにくいことで……」 【男】 「はぁ」 【セシリア】 「……」  部屋の隅を見詰めている。  目を瞑ると、一呼吸入れた。 【セシリア】 「……今晩、床を共にさせていただいても、構わないでしょうか?」 【男】 「……なに?」 【セシリア】 「あっ。あの、隠喩は関係ないですっ。純粋に、お隣で眠らせていた  だけないかと思いまして……」 【セシリア】 「……、不安なのです……」  蚊の鳴くような声だった。 【セシリア】 「あのようなこと、告げられて……。勇者様が、もう……いらっしゃ  らなくてっ、そんな、そんな……っ!」 【セシリア】 「信じられない話を、されて……! 私は……何が、なんだか……っ」 【男】 「っ、落ち着いて下さい! 大丈夫ですから!」 【男】 「今晩は、一緒に寝ましょう! 私は問題ありませんから!」 【セシリア】 「っ、…………ありがとう……ございます」 【セシリア】 「……、申し訳ありません。少し、取り乱してしまいました……」 【男】 「……仕方ないですよ」 【セシリア】 「……貴方を、勇者様がお救いになった方と信頼して……、今晩は…  …お隣で眠らせていただきますね」 【男】 「はい。……、どうぞ」  ……面倒なことになったな。  どちらからともなくベッドへ近づくと、こちらから先に布団の中へ  潜り込んだ。  その動きをぼうっとした表情で見届けると、慎ましい動作で足を持  ち上げる。  昼間に見た正装と違い、いまは露出度の高い軽装だ。  ランプを消した部屋の中に月光が差し込み、雪と見紛う脚を艶めか  しく照らす。  本当に面倒なことになった。 【セシリア】 「…………」  布団に潜り込むことを終えると、セシリアは深呼吸をするように息  を吐いた。 【セシリア】 「……勇者様の……香りがします」 【男】 「はっ?」 【セシリア】 「……それもそうです。勇者様がお使いになっていたベッドですもの。  ……当然です」 【男】 「……そ、そうですよね」 【セシリア】 「…………」 【セシリア】 「時間が経つにつれ……」  小さいが、よく聞こえる透き通った声で言う。 【セシリア】 「この匂いも……、消え失せてしまうのでしょうか……」 【男】 「……」 【セシリア】 「勇者様と同じように……っ、この世から……、っ」 【男】 「……」 【セシリア】 「……っ、う……、ぐすっ……、ぅぅ……」  闇夜に紛れて、彼女の顔は窺い知れない。  きつく握り締められるシーツの衣擦れが、耳を通じて俺の自尊心を  詰る。  自分の与り知らぬところで最愛の者を亡くしたことに、彼女なりに  悔しさがあるんだろう。  勇者に守られてきた日々ではあったが、彼女はきっと、勇者を守り  たかったはずだ。  最期の最期で、守ることができなかった。  叶わなかった。  その彼女の無念がすべて、きつく握られた拳に宿っている気がした。 【セシリア】 「っ、…………なぜ、ですか……」 【男】 「……え」 【セシリア】 「……なぜ、……勇者様をお救いになられなかったのですか……っ」 【セシリア】 「貴方も冒険者なのでしょう……っ!!」 【セシリア】 「その腰に下げていた得物は飾りですかっ!? いいえ、そんなこと  はないはずです!!」 【セシリア】 「貴方は冒険者として、剣の立つ者として! その身を、そして守る  べき者を、守り抜かなくてはならないのではないのですかっ!?」 【セシリア】 「時には傷つきながらもっ、それでも勇敢に前を向き、敵に刃を向け  ねばならないのではないのですかっ!?」 【セシリア】 「それをどうして……。易々と、勇者様をお見捨てになるようなこと  を……!!」 【セシリア】 「あのお方はっ! 勇者様なのですよ!? 人々をお救いになるため  に、女神様より選ばれし勇者様なのです!!」 【セシリア】 「本来ならばっ……、っ、貴方が……」  ……そうだ。 【セシリア】 「貴方がっ、その身を呈して、勇者様を御守りしなくてはならないの  ではないのですか!?」  これが、彼女の本音だ。  出会ってからずっと、彼女の想いを感じていた。  怨嗟や憎悪とも取れる、俺に対する叱責の念。 【セシリア】 「勇者様の従者としてっ、貴方は! かつての私たちのように、勇者  様を支え、守り抜くのが使命なのではないですかっ!!?」  穏やかな彼女でも、どんなに取り繕うとしても隠すことができなか  った感情。  本当に、彼女は……嘘が下手だ。 【セシリア】 「それなのに貴方は――!!」  ……でも。 【男】 「……すみません」 【セシリア】 「――っ」  彼女は、優しい人だ。  だから……。 【男】 「……本当に、……すみません」 【セシリア】 「……や、やめて……ください」 【男】 「私だけ生きて、……帰ってきて」 【セシリア】 「謝らないで、ください……。私はっ、あな、あなた、を……」 【セシリア】 「っ……」  声を震わせながら息を呑んだ。 【セシリア】 「……ごめんなさい……」 【セシリア】 「ごめんなさい……っ」 【セシリア】 「生きて帰ってきた貴方に、説教をするのは……筋違いですね……」 【セシリア】 「むしろ、勇者様の意を汲んで下さった貴方に、感謝しなければなら  ないのに……」 【男】 「いえ……」 【セシリア】 「……っ……ふふ、……ふふふっ。……理性では解っているのです。  冒険者として、貴方の判断は……間違っていなかった」 【セシリア】 「勇者様もまた、人として、冒険者として……果敢で、勇気ある行動  でした」 【セシリア】 「解っているのです。……これが、最良の結果なのだと」 【セシリア】 「……ですが……、心のどこかで……悪魔が囁くのです……っ」 【セシリア】 「貴方が犠牲になるという未来はなかったのかと……!!」  彼女は、最愛の人を亡くしたんだ。  そう思ってしまっても、誰も責めまい。  むしろ、責めてくるのは己が良心か。 【セシリア】 「……。僧侶として、失格ですね……」 【セシリア】 「このような……人の命に、重さを求めるなど……。誰かと誰かの命  を、比較するようなことなど……」 【男】 「……」 【セシリア】 「……」 【セシリア】 「……今日は、本当に申し訳ありませんでした……」 【セシリア】 「先ほどの言葉は、戯言としてお聞き流しください」 【セシリア】 「私も、金輪際……あのようなことは口に出しません」 【男】 「……はい」 【セシリア】 「……。それでは、おやすみなさいませ」 【セシリア】 「……よい、夢を……」 【男】 「……おやすみ」 【セシリア】 「……」 【セシリア】 「すぅ……、すぅ……すぅ……」  気を張っていたのだろう。  彼女の口からは、すでに規則正しい呼吸音が漏れていた。 【男】 「……」 【男】 「……すまない」  セシリアをこんなことにしてしまったのは、俺のせいだ。  勇者を死なせ、彼女を悲しませた男。  いくら謝ったところで、支柱を失ってできた彼女の心の穴を埋める  ことは叶わないだろう。  しかし、それと別に……俺は……。  彼女を“騙していること”に、大きな申し訳なさと、若干の興奮を  覚えていた。