「祭殿と少女」
東側に面した部屋に朝日が差し込む。
目蓋の奥をチリチリと刺激され、目を覚ました。
久し振りのベッドだったせいもあり、随分と心地良く眠ることがで
きた。
体の調子もいい。
視線を横に向ける。
セシリアは、そこにいなかった。
…
……
…
【セシリア】
「あ……。お早うございます」
彼女は階下にいた。
【男】
「おはようございます」
【セシリア】
「昨晩は――」
就寝前の光景を思い出す。
【セシリア】
「……よく、眠られましたか?」
【男】
「えぇ。……お陰様で」
【セシリア】
「……そうですか」
【セシリア】
「勇者様のご趣味で、寝具は……」
【セシリア】
「……と言いますより、ベッドは大きく、そして柔軟性に優れた、他
では味わえないような素晴らしいものになっています」
【セシリア】
「死ぬような心地よさを味わえると、勇者様はよく口にしていました」
【セシリア】
「なるほど、確かに昨晩は死ぬように眠れた気がします。本当に、あ
っという間でした」
【セシリア】
「……あのお布団の中で眠られる貴方が、少し羨ましく思います」
【男】
「でしたら、自分は客室のほうでも」
【セシリア】
「あ、別に気にしなくてもいいのです。私は自分の部屋で寝ますので」
【セシリア】
「……客室のベッドは、あまり良いものとは呼べません。それに、部
屋の掃除も行き届いておりませんので」
【セシリア】
「いつもであれば、掃除をして準備も怠らないのですが……。予約も
無しに来客が訪れたのは今回が初めてでして。詮方ありませんね」
冒険者の訃報は、アポ無しにやってくるのが常だ。
普通、冒険者の家族はある程度の心構えをしているものだが……。
強者の死となれば、話は別だろう。
【セシリア】
「……さて」
【セシリア】
「朝餉の用意は、既に完了しております。どうぞ、こちらへ」
【男】
「あぁ、どうも」
先ほどから鼻腔をくすぐっていた香辛料や肉の焼ける匂い。
彼女の言葉通り、部屋の奥では朝食が並べられていた。
一つ、二つ……。三人分の食事だ。
そういえば、昨晩も余分な食器がテーブルに並べられていた。
これは、一体……。
【セシリア】
「今日は、どこかへ出かけるのですか?」
【男】
「あ……。いえ、特にどこへも」
【セシリア】
「この町のギルドは、平穏そのものですからね。冒険者の心を躍らせ
るような、刺激的な依頼はあまり多くありません」
【セシリア】
「町の若い男の人がお小遣い稼ぎに挑戦するような類のものばかりで
すから……」
【セシリア】
「ギルドに向かわれても、暇潰しにもならないかもしれませんね」
【男】
「……たしかに」
あのギルドは、町の男たちの度胸試しのために存在していると言っ
ても過言ではない。
命を脅かすような、腕の立つ者だけが挑戦する依頼なんて滅多に…
…いや、全くないと言っていいだろう。
それほど町の周辺含め、この土地はとても平穏であり、時の流れが
穏やかだ。
【男】
「どこか、暇をつぶせるようなところはあるでしょうか?」
【セシリア】
「暇をつぶせるようなところ、ですか。……そうですね」
思案顔。
【セシリア】
「…………あ」
【セシリア】
「そういえば、本日は“マーケット”が開催されています」
【男】
「“マーケット”?」
【セシリア】
「はい。……下弦の月が浮かぶ日、この町では町人の各々が持ち出し
た商品を出品する“マーケット”が開催されます」
【セシリア】
「基本的に『金銭』を利用して売買しますが、この“マーケット”は
『物々交換』という手段で商品を手に入れることも可能です」
【セシリア】
「町人の交流が主な目的ですから、お金というやり取りよりも温かい
『商品』と『商品』の等価交換が行われているのでしょうね」
【男】
「ほう」
【セシリア】
「くすっ。いつも……勇者様は、この日をひそかに心待ちにされてお
りました」
【セシリア】
「月の周期が一つ周るたびに開催されますから、毎夜毎夜、勇者様は
月を見上げながら、『今日は満月かー。もうそろそろだ』とか」
【セシリア】
「午前中に散歩をしていても、『おい、あれはもう半月じゃないのか
?』とかなんとか」
【セシリア】
「“マーケット”の細かな日程は、占星術師様が月の周期を計算して
きちんと組んでらっしゃるというのに……」
【セシリア】
「勇者様はまるで、“自分が弦月と思った日が開催日だ”とでも言わ
んばかりの大胆さでした」
【セシリア】
「ふふっ、そうです。……そうでしたね……」
【セシリア】
「いつも勇者様は……そうやって……」
ふいに遠い顔をする。
【セシリア】
「……」
【男】
「僧侶様?」
【セシリア】
「……勇者様……」
【男】
「……」
彼女を取り巻く問題は、時間が解決してくれるはず。
少なくとも、いまの俺がどうこう言ってどうにかなるものじゃない。
精々、俺にできることと言えば……
【男】
「僧侶様」
【セシリア】
「……?」
【男】
「“マーケット”まで、案内していただけませんか?」
【セシリア】
「……はあ。“マーケット”は、教会手前の広場で開催されています」
【セシリア】
「広場全域に展開していますから、私の案内がなくとも……。行けば
解ると思いますよ?」
【男】
「まだちょっと、この町の地理にくらくて」
【セシリア】
「ん……。確かにこの町は、似た建物が多く四通八達していますから、
初めての人は迷うかもしれません」
【セシリア】
「……あれ。ですが、昨日町を見て回ったと……」
【男】
「真っ直ぐの道を進んで戻ってきただけですから」
【セシリア】
「あぁ、そうでしたか」
なんとか誤魔化せたか。
【セシリア】
「……解りました。では、食事を終えましたら、ご案内させていただ
きますね」
【セシリア】
「今日は天気もいいです。きっと、賑わっているはずですよ」
…
……
…
僧侶の言葉通り、広場は賑わいを見せていた。
【セシリア】
「着きました」
僧侶の声を聞き、周りを見渡す。
【セシリア】
「如何ですか? この町で一二を争う催しは」
広場に来るまでの道すがら、この町の人気のなさを感じていた。
が、この広場は違っていた。
【男】
「人が多い……」
【セシリア】
「はい、ここには町人のほとんどが集まっています。みな、勇者様同
様にこの催しを楽しみにしていますから」
【セシリア】
「……町の人口はそんなに多くありませんが、一堂に集結すると壮観
ですよね。この町の活力を感じます」
【男】
「そうですね」
【セシリア】
「どこから見ていきますか? お店は地区で分類されていますから、
その地区ごとで違った出し物があるはずですよ」
比較的いい調子の声色でセシリアが話し掛ける。
セシリアの気分転換になればと出向いてきたが、成功だったみたい
だな。
【セシリア】
「例えば、広場東側は東地区の町民がお店を構えています」
開けた場所から、セシリアが指をさし示す。
【セシリア】
「東地区といえば、肥えた土地と、隣接した河川を利用した灌漑と水
田が広がっています」
【セシリア】
「大量の穀物を手に入れるには、一番適した地区ですね」
【セシリア】
「お手頃なお値段でパンやポンポン菓子が手に入るので、子供たちに
人気ですよ」
遠目から見ても、背の低い子供がわらわらとひしめき合っているの
が解る。
【セシリア】
「パンやお菓子といった類は、安さは東地区が一番ですが……品質、
というより個々人の嗜好を満たす商品を求めるなら、南側ですね」
僧侶が伸ばした腕を動かす。
【セシリア】
「あそこは町の中でも商業区と呼ぶに近しい形態をしていますから、
種類も豊富ですし、味も絶品です」
【セシリア】
「その分、お値段も上がりますが」
【セシリア】
「こじんまりとしたアトリエもいくつか点在していますから、若い人
に人気ですね」
町の若者が、目を輝かせて店員と談笑しているのが見えた。
【セシリア】
「西地区は農具や武器を扱う鍛冶屋さんが多いです。大工さんも多い
ですから、家具も手に入れられますよ」
【セシリア】
「あと、……まあこれは仕方ないことではあるのですが」
【セシリア】
「西地区にはギルドがあり、ギルドの裏山は訓練所兼狩場となってい
ます」
【セシリア】
「ですからお肉は、武具や家具の多い西側で手に入ります」
【セシリア】
「この町では、『腕の立つものは西に行け』と言われるくらいですか
らね。場違いなようで、当然のような実態です」
……確かに、客引きの野太い声は西側から主に聞こえる。
【セシリア】
「北地区は養成学校がほとんどの敷地を占めていますから、あそこは
……くすっ」
僧侶が優しい目をして微笑む。
【セシリア】
「学生たちの展示や催し物が主な内容です」
【セシリア】
「この町の将来を担う子供たちの成長がよく解る、……良いところで
す」
【男】
「……なるほど」
セシリアのために、あとで行ってみてもいいかもしれない。
【セシリア】
「……さて。では、どこに行きましょうか?」
【セシリア】
「ご要望がありましたら、なんなりと――」
【カロ】
「あー!!」
遠くから子供の叫ぶ声が聞こえた。
【カロ】
「セシリアおねーちゃあーん!!」
【セシリア】
「あら」
一人の少女が満面の笑みを引っ提げてやってきた。
【カロ】
「こんにちは! いいお天気ですね!」
【セシリア】
「はい、こんにちは、カロ。元気がある、良い挨拶ですね」
【カロ】
「ぬふふふ」
褒められて、だらしなく頬を緩ませた。
【セシリア】
「でも、『セシリアおねーちゃん』とひと前で呼ぶのは感心しません
ね」
セシリアは、腰を屈めて少女を見る。
【セシリア】
「いいですか。大僧侶様に馴れ馴れしい態度を取ると、雷を落とす怖
ーい大人の人がいるのです」
【セシリア】
「がおーさんですよ、がおーさん」
両手を引っ掻くような形にして、顔の横に持ち上げる。
【セシリア】
「この前も注意されたばかりでしょう? いいですか、私のことは、
『僧侶様』と呼ぶのですよ?」
【カロ】
「……はぁい、僧侶さま」
しょぼくれる子供を見て、セシリアはくすりと笑う。
持ち上げていた手で少女の頭をくしゃりと撫でた。
【セシリア】
「でも、教会に来たときはいつも通り、『セシリアおねーちゃん』っ
て呼んでもいいからね?」
【セシリア】
「たくさんの大人がいるところでは、とにかく我慢っ。……解った?」
【カロ】
「うんっ、わかった」
【セシリア】
「ん。よろしい」
セシリアと町の元気な少女の邂逅を見て、少し心が洗われるような
心地になる。
心を閉ざしかけていたセシリアを、この少女の無邪気さなら救える
かも知れないな。
笑顔に戻った少女は、興味の矛先をこちらに向ける。
【カロ】
「ねね、この人だーれ?」
こそこそとセシリアに耳打ちする少女。
【セシリア】
「うん? あぁ、この人はね」
少し考える仕草。
【セシリア】
「……旅の人よ。この町に少しだけ滞在……、……泊まることになっ
てるの」
【カロ】
「ほーん。……こんにちは、旅人さん。カロリーナといいます」
ご丁寧に頭を下げて挨拶をする。
よく出来た子供だ。
自然とこちらもにこやかに返事をする。
【男】
「あぁ、こんにちは」
【カロ】
「旅人さんは、ここに何しにこられたんですか?」
【男】
「ん? ん……あー、と」
どう答えたものか。
困った顔でセシリアを見つめる。
セシリアは目礼して応えた。
どうやら察してくれたようだ。
【セシリア】
「旅人さんはね、冒険をしているの。今はその途中で……私に用があ
って、この町にいらしたのよ?」
【カロ】
「ほお……そうなんだ」
興味深げに俺の顔を覗き込むと、セシリアの顔を見る。
忙しない子だ。
【カロ】
「……そういえば、セシリ――……僧侶さま」
【セシリア】
「ん? なーに?」
【カロ】
「勇者さまは、どこに行ったの?」
【セシリア】
「――え」
セシリアの表情が凍った。
【カロ】
「もう何日も見てないから、どうしたのかなーって」
【セシリア】
「あ、あぁ……うん。勇者様は……」
地面に落ちそうになる視線を、どうにか上げる。
【セシリア】
「勇者様は、竜神様のところに、お遣いに行っているの」
【セシリア】
「遠い……遠いところでね。行って帰ってくるまで、少し時間がかか
るの」
【セシリア】
「だから、……だからね」
【カロ】
「……僧侶さま、泣いてる……」
【セシリア】
「えっ」
【セシリア】
「あ、こ……これはっ」
【カロ】
「……」
大人が泣いているという事実に困惑しているのか、少女は掛ける言
葉を失っている。
【カロ】
「大丈夫?」
【セシリア】
「ん……。えぇ、平気よ」
平静を装うセシリア。
【セシリア】
「ごめんね、突然……泣いたりして」
【カロ】
「ううん、大丈夫」
【カロ】
「……大人の人でも、泣くんだね」
この町は他所と違い、魔物に襲われたり、盗賊の侵入がほとんどな
い長閑なところだ。
この幼い少女は、まだ人の死に目に縁がないのだろう。
大人も、悲しければ涙を流すということを、この子は知らない。
【セシリア】
「えぇ……、そうよ」
【セシリア】
「大人は、どんなに強くあっても、心のどこかに弱さを抱えているも
のなの」
【セシリア】
「だから、泣くことだってあるのよ?」
【カロ】
「ふーん」
少女が、涙から興味を失ったように能天気な返事をした。
セシリアは、目を擦りながら話を切り替える。
【セシリア】
「さて、おねーちゃんたちは行くところがあるから」
【カロ】
「あ、そっか。……ん、じゃあね! 僧侶さま! 旅人さんも!」
【セシリア】
「はい、さようなら」
セシリアは、走り去っていく少女を見送っていた。
少ししてから、セシリアが口を開く。
【セシリア】
「あ……、ごめんなさい。案内の途中でしたね」
【男】
「いや、お気になさらず」
【セシリア】
「では、手前のほうから順番にご案内させていただきますね。こちら
です」
俺たちは歩行を再開した。