Track 6

「少女とお金と恋模様」

 ……世界が揺れている。  いや、ベッドが……? 違う、体が揺れて――? 【セシリア】 「もしもーし。朝ですよおー、おはようございまーす」 【男】 「ん、んー……?」 【セシリア】 「ご飯も出来ていますよー。起きてくださーい」  重い目蓋をあげると、見慣れた女の顔が見えた。 【男】 「セシリア……?」 【セシリア】 「はい、セシリアです」 【セシリア】 「くすっ、『僧侶様』ではなくて『セシリア』だなんて。いきなり呼  び名を替えるだなんて、どういう風の吹き回しです?」 【男】 「ん……」 【男】 「……――っ!!」 【セシリア】 「うわっ」  しまった。口が滑った。 【男】 「いや、すまない。つい生意気な口を」 【セシリア】 「あぁ、いえ。気にしていませんよ? 寝ぼけて、つい言ってしまっ  たのでしょう?」 【セシリア】 「とはいえ、普段は『僧侶様』とお呼びになっているのに、気を抜く  と『セシリア』と呼び捨てるというのは……これはもしかして……」  何を良からぬことを考えているのか、手を顎に当てて唸りだす。 【セシリア】 「頭の中では、呼び捨てで呼んでいました?」 【男】 「違う、そんなんじゃない」 【セシリア】 「あら、違いましたか」  そう言って笑う。 【セシリア】 「まあ、なんでもいいです」 【セシリア】 「それに、いい機会です。いつまでも『僧侶様』だなんていう他人行  儀なのはやめましょう」 【セシリア】 「実際わたしも、『僧侶様僧侶さまー』と畏まられるのは、あまり好  きではありませんし。ね?」 【男】 「ん……そうか」 【男】 「じゃあ、……なんだ」 【男】 「セシリア」 【セシリア】 「はい。セシリアです」 【男】 「おはよう」 【セシリア】 「……はいっ。おはようございます」  朝には眩しい笑顔だった。 【セシリア】 「さて。それでは、ぱぱっと起きてしまいましょう。今日はそのお布  団をお洗濯しますから」 【セシリア】 「ほらほら、シーツもそろそろ替えますよお」  シーツを強引に剥がしにかかる。 【男】 「おいおい、強引過ぎるだろう! ちょっと待て!」 【セシリア】 「長いこと替えていませんからね。シーツも、お布団も」 【セシリア】 「……勇者様の香りが染み付いている唯一のものですが、今日で……  決別します」  何か重要なことを言っているようだが、セシリアがグイグイとシー  ツを引くので俺はそれどころじゃない。  体を起こそうとするたびにシーツが動き、バランスを崩す。 【セシリア】 「実は、勇者様を思い出したくて、ちょくちょくこのベッドに潜り込  んでいたのです。貴方が出かけている昼間に……こっそりと」 【セシリア】 「昨日新たに奮起したのはいいですが、こんなに近くに勇者様の強烈  な印象を残していたのでは、また勇者様に縋ってしまいます」 【セシリア】 「それでは駄目なのです。私は……一人でこの町を護らなくてはなり  ませんから」 【セシリア】 「ですから……私の正気を奪わせるものは、滅します。んんんーーと  りゃあーっ!」  俺はベッドの上で転がり続けた。 【セシリア】 「……これで『お別れ』ですね……勇者様」  シーツと布団を抱きしめたセシリアが呟いた。 【男】 「こいつ、結局最後まで俺の言葉に耳傾けなかったな」  …  ……  … 【セシリア】 「そういえば、お聞きしておきたいことがあるのですが」  朝食のパンを口に頬張り、目で続きを促す。 【セシリア】 「あの、いつまでここに滞在なさるのですか?」 【男】 「うん? んー……それは」  昨晩の月の形を思い浮かべる。  満月の夜までは、まだ時間があるな。 【セシリア】 「勇者様の言付けでは、『私が立ち直るまで』とあったそうですが…  …。私は、もう……」 【男】 「……そうだな」  何か適当な言い訳でも返しておこう。 【男】 「立ち直ったといっても、それは自己申告に過ぎん」 【セシリア】 「え? ま、まあ……確かに。立ち直ったというのは、私の自己申告  に過ぎませんが……」 【男】 「俺にも勇者殿との約束がある。まあ、セシリアが本当に立ち直った  のか、確証が持てたらここを去るさ」 【男】 「だから、精々俺に“立ち直ったなりの姿勢”を示すことだな」 【セシリア】 「……。解りました」  一息つくと、言葉を続けた。 【セシリア】 「“立ち直ったなりの姿勢”とやらを、とくとご覧に入れましょう」 【セシリア】 「それで貴方の懸念を払拭することが叶えば、そのときは……笑顔で  貴方を見送ります」 【セシリア】 「……そういうことで、いいですか?」 【男】 「ああ、合格だ」  立ち直りかけてはいるだろう。  立ち直ろうとする意志の強さも感じる。  あとは、次の満月までに俺が立ち去る理由になるくらい、成果を示  してもらいたいものだ。 【セシリア】 「……なら、私はぼーっとはしていられませんね。貴方に認められる  よう、働きかけていきませんと」 【セシリア】 「んむ……。まずは、そうですね……。町には“勇者様が再び旅に出  かけられた”と布告する必要がありますね」 【セシリア】 「なるべく、勇者様の死は悟られないようにしませんと」 【セシリア】 「……それから、勇者様の不在を察知して侵入してくる不法者を撃退  するだけの強さが必要……訓練所の強化……いや、養成学校に……」  食事の手を止めてぶつぶつと独り言を繰り返すセシリア。  まあ、こうなったら後は放っておいて問題ない。  邪魔しないようにしていよう。 【カロ】 「おはーよーござーいまぁぁああす!!」  戸の向こうに邪魔者が現れた。 【セシリア】 「あら」  顔を上げたセシリアは、そのまま戸を開けに行く。 【セシリア】 「おはよう、カロ」 【カロ】 「配達がおくれて、まことに申し訳ないとおもうしょぞんです」  妙に畏まった子が現れた。  この子は確か……、“マーケット”の日に広場で出会った子だ。 【カロ】 「ほんじつ、子供たちの機嫌がうるわしくなく、ここに来るのがおそ  くなり……」 【セシリア】 「はいはい、ご苦労様でした。……それで、本当の理由は? 寝坊?」 【カロ】 「お布団お化けが出て、なかなか逃げきれなかった」 【セシリア】 「くすっ、そっか」  優しく頭を撫でる。  セシリアは、少女から受け取った革袋の中身を確認する。 【セシリア】 「……、今日は鶏のもも肉ね」 【セシリア】 「すみません。これを保冷庫に持っていきますので、カロにお駄賃を  上げてくださいませんか」 【男】 「それは?」 【セシリア】 「え? あぁ、これですか?」  革袋を軽く持ち上げる。 【セシリア】 「今晩のお肉です。……カロの実家は畜産業を営んでいるので、こう  して毎朝配達しに来てくれているのですよ」 【セシリア】 「カロは、この周辺の配達を任されているのです。といっても、この  家以外ありませんけどね」 【男】 「ふうん」  セシリアとこの少女が親しいのは、こういう関係があったからか。 【セシリア】 「あ、お駄賃は気持ち程度でいいですよ? 大金を持たせては駄目で  すからね」 【男】 「解っている」  セシリアが奥に消えるのを見計らって、少女がトコトコと近寄って  くる。 【カロ】 「お兄さん、旅人のお兄ーさんっ。お駄賃、お駄賃ちょーぉだい」 【男】 「ほれ、こんなもんでどうだ?」  銅貨十枚を広げられた手に乗せてやる。 【カロ】 「よほほー、太っ腹っ。お兄さんは良い人だね」 【男】 「良い人か?」  苦笑する。 【カロ】 「うんうんっ。子供相手だからって、お金払おうとしない人とかいる  もん」 【カロ】 「旅人のお兄さんはニコニコしてお金くれるし、たくさんお金くれる  から、良い人だよ?」 【男】 「あちゃ、お駄賃多かったか」  その声を聞いてか、目にも止まらぬ速さで懐にしまい込む。 【カロ】 「おっと! いまさら多かったとかなしだよ! もうこれはお兄さん  のお金じゃないもんねー、カロのだもんねー」 【男】 「取りゃしない。ただ、セシリアに怒られてしまうなと思ってな」 【カロ】 「セシリアおねーちゃん? あ……、うん。わかった。たくさん貰っ  たのは内緒にする」 【男】 「約束できるか?」 【カロ】 「うん、約束する。お口チャックマンする」 【男】 「そうか。そりゃ頼もしい」 【カロ】 「ぬふふ、偉い? 偉い? もっと褒めてもよくってよ?」 【男】 「調子にのる子はあまり好きじゃないなあ」 【カロ】 「あい、ごめんなさい。調子にのりました」  なかなか物わかりのいい子供だ。 【カロ】 「あ、そうだ。あのあの、旅人のお兄さん」 【男】 「なんだ?」 【カロ】 「忠告。セシリアおねーちゃんを、好きになっちゃ駄目だよ?」  迫真の勢いだった。 【男】 「そりゃどうしてだ?」 【カロ】 「どうしてなんて、そりゃ勇者さまがいるからだよ」 【カロ】 「セシリアおねーちゃんは勇者さまが好きなの。だから、お兄さんが  おねーちゃんを好きになっちゃダメ―っ! 解りましたか?」 【男】 「はいはい、解りました」 【カロ】 「ん。解ればいいんです」 【カロ】 「この町に来たばかりで、よく解らないことも多いでしょう。そんな  ときは、遠慮なくカロに訊いてくださいね?」  背伸びしたがりな年頃というやつだろうか。 【男】 「なあ、一つ訊いてもいいか?」 【カロ】 「ん、早速訊きたいこと? はいはいっ、なぁんでもどうぞ!」 【男】 「セシリアのほうが、俺のことを好きになったときはどうする?」 【カロ】 「え? おねーちゃんが、お兄さんを好きに?」  キョトンとした表情で目をぱちくりとさせる。 【カロ】 「……ふっふっふ、そんなの有り得ないねー。セシリアおねーちゃん  が勇者さま以外を好きになるはずがないもん」 【男】 「仮定の話だ。もしそうなったら、どうするか、ってこと」 【カロ】 「もしもへったくれもねーです」 【カロ】 「セシリアおねーちゃんはいちずですから。ですからっ!」  強調するように繰り返し言った。 【カロ】 「それに、勇者さまもセシリアおねーちゃんのことが好きだもん。だ  から奪っちゃ駄目なの」 【カロ】 「そんなことしたら、勇者さまに怒られるよ?」  ……おいおい。 【男】 「そんなことを勇者殿は言ってたのか? セシリアが好きだと?」 【カロ】 「えー。……まあ、勇者さまが『好きだー』って言うのは聞いたこと  ないけど……」 【カロ】 「なんとなくわかるもん。女の勘ってやつよ」 【男】 「なるほど」  女の勘ってやつは的確に真実を射抜くこともあれば、的外れな方向  に射ることもある。  今回のは……、一応当たりか。 【セシリア】 「女の勘が、どうしたの?」  奥からセシリアが戻ってくる。 【カロ】 「あ。ねーねー」 【セシリア】 「うんー?」 【カロ】 「セシリアおねーちゃんは、勇者さまのこと好きだよね?」 【セシリア】 「は? い、いきなり何を言い出すんですか」  慌てた様子で、しきりにこちらに視線を向ける。  なんだ? 【カロ】 「だって、旅人のお兄さんが勇者さまからセシリアおねーちゃん奪お  うとしてるー」 【セシリア】 「えぇっ!? そ、そんなこと……ないんじゃないかなあ?」  カロの意見を照れながら否定すると俺を見つめ、困ったように笑う。 【カロ】 「んーん、絶対そうだよ。ほら、ここはきっぱりお断りしておかなき  ゃ! 言っちゃえ!」 【セシリア】 「ぁ……、えっと」  セシリアは終始俺のことを気にしながらも、仕方ないという体で口  を開く。 【セシリア】 「……はい、そうです。私は勇者様のことが好きです。勇敢で、我が  儘で……優しい勇者様が好き、でした」  『でした』、か。 【カロ】 「ふっふっふ。わかったか、旅人のお兄さんや」 【カロ】 「セシリアおねーちゃんは、勇者さまのなの。だから取っちゃダメ。  わかりましたかー?」 【男】 「はいはい」 【カロ】 「うむ、よかろう」 【カロ】 「……それじゃ、カロはもう帰るね」 【セシリア】 「あら、もう? ……そっか。配達ご苦労様。明日は寝坊せずに来る  んですよ?」 【カロ】 「うん、うん。だいじょーっぶ!」 【セシリア】 「くすっ。気をつけて帰りなさいねー」 【カロ】 「はいなー」  荒々しく扉が閉まり、天使が通ったような静寂が一瞬訪れる。 【セシリア】 「……ふぅ。まったく、カロったら……。突然あのようなことを言う  ので慌てました」 【男】 「カロなりに気に掛けているんだろう」  進展しない勇者とセシリアの仲を、子供ながらにやきもきしている  のかもしれない。 【セシリア】 「あ、あっ、勇者様のことはもうきっぱり忘れましたよっ! 後腐れ  なんて残していません!」 【セシリア】 「もう、勇者様の背中だけを追いかけるのは辞めました。これからは  一人で町のために尽力すると、そう決めましたから」 【セシリア】 「ですから……、カロの言ったことはあまりお気になさらないでくだ  さい。私は……もう、勇者様と決別すると決めましたから」 【セシリア】 「『去る者は日々に疎し』、と言いますし」  『去る者は日々に疎し』  拠点を転々とする冒険者の流行り言葉だ。  去ってしまった者は、時が経つにつれて次第に忘れられていくもの  だ、という教訓がこめられている。 【セシリア】 「勇者様も……いつまでも自分のことを想ってほしいなんて、女々し  いことは言わないでしょうから」  なるほど。  カロの追及に狼狽えながら俺の顔を気にしていたのは、自分が勇者  を未だに想っていると思われたくなかったからか。  勇者の死をいつまでも引きずっていないで、勇んで立ち直らなくて  はならないのに。  実際は立ち直ったとは口だけで、未練がましく勇者への想いを募ら  せている……などと思われるのが嫌だったのか。 【セシリア】 「ですから……。大丈夫です」 【セシリア】 「大丈夫ですから」  自分に言い聞かせるように、そう繰り返した。