Track 7

「好物は供物」

 町で小競り合いが起こっているという報せを受けた。  報せを持ち込んできたのは、カロ。  興奮した野生の牛から降りれなくなったところを助けてから、何か  と問題事を持ってくるようになった。  俺がある程度の問題なら難なく解決するところを見て、大人の格好  よさに舌を巻いているようだった。  勇者の居ない今、町の仲裁人が不足している。  俺の存在が勇者の抜けた穴を埋め、治安維持の役に立てればいいん  だが。 【セシリア】 「あ。お帰りなさい」 【男】 「おう、帰ったぞ」 【セシリア】 「……どうでしたか、町の様子は?」  不安そうな顔つきで言った。 【男】 「なに、カロの誇張表現に過ぎなかった」 【男】 「『言葉のあやだー』とか言い訳してたが……あれはわざとだな」 【セシリア】 「あ……」  一瞬にして安堵の色に染まる。 【セシリア】 「はぁぁ……よかったです。死人の出るような騒ぎではなかったので  すね」 【男】 「単なる口喧嘩だ」 【セシリア】 「ただの口喧嘩、ですか。はあ、人騒がせな。……内容は、どんな?」 【男】 「釣銭勘定の話だ」 【男】 「『自分の食った物と会計が釣り合わない、こりゃどういうことだ』  だとさ」 【セシリア】 「商店と顧客の金銭トラブルですか。ん、個々人の問題として処理で  きるものですね」 【セシリア】 「勇者様不在の布告を聞いて、町民の不安が高まるかと思いましたが  ……まだ大丈夫そうですね」 【セシリア】 「残る問題は外の勢力ですか……。盗賊団の耳に入れば、防御の薄い  この町は、まず狙われるはず。何か対策を打っておかないと……」 【男】 「だーっ! 辛気臭い話はやめ!」 【セシリア】 「あ、すみませんっ! 辛気臭かったですか?」 【セシリア】 「……でも、重要な話なので。やめろ、と言われましても……なかな  か難しいです」 【男】 「なら聞こえないところでやれ」 【男】 「別に、俺の意見を求めているんじゃないんだろう?」 【セシリア】 「聞こえないところで……? あ……でも」  ふと複雑な顔をする。 【セシリア】 「貴方の意見も、お聞きしたいのです」 【男】 「ほう」 【セシリア】 「私見ですが、私は貴方のことを信頼しています。勇者様が全てを託  した方というだけでなく、その人柄も含めて、です」 【セシリア】 「ほら、最近は子供たちがよくこの家に来るようになりました」 【セシリア】 「『旅人のおにーさん』なんて呼ばれているの、私だって知っていま  すよ?」 【セシリア】 「すべては貴方の人柄、と言いますか、人望のおかげです」 【セシリア】 「それでいて、周りのことに目を配っていますし、状況判断も的確で  す」 【セシリア】 「カロが町で問題を見つけたら、真っ先に貴方のところに飛んでくる  のは、きっとそういうところを評価しているからでしょう」 【セシリア】 「子供は、大人よりも素直に物事を捉えていますからね」 【セシリア】 「そういった意味では、この町のことを一番に考えているのは、私よ  りも……貴方のほうではないかと思います」 【セシリア】 「ですから、意見を仰ぎたいのです。間違っていたら、仰っていただ  きたいのです」 【セシリア】 「貴方が正しいと言ってくだされば、私は迷わずに前に進むことがで  きる。……そんな気がするのです」 【男】 「……随分と俺のことを買い被ってるんだな」 【セシリア】 「そうでしょうか? 私は、別に……買い被っているとは思っていま  せんよ?」 【セシリア】 「ただ、貴方の人格や人柄の素晴らしさは、私が身をもって体験して  います」 【セシリア】 「こうして、また前を向かせていただきましたから」 【セシリア】 「貴方の言う通り、買い被りだったとしても……、くすっ」  目を細めて笑う。 【セシリア】 「買い被ってしまうのも、仕方ないでしょう?」  分が悪い。  セシリアのペースに飲まれてしまっている。 【男】 「あー、解った。その話はまたあとにしよう」 【男】 「先に飯だ。夕餉にするぞ」 【セシリア】 「ふふっ、はいっ。ご飯にしましょうか。さあ、お席にどうぞ」  ナイフやフォークが配置された席に座る。  俺が家にやってきたときは無人だった席だ。  そのくせ料理が置かれていた、幽霊の席。  ここは、以前まで勇者が座っていた。  “陰膳”も止め、セシリアも心を取り戻し始めたある日。  俺の料理はいつもの席にではなく、勇者の席に置かれていた。  セシリアは困った顔で、『そこに座っていただけると、無性にほっ  とするのです』と言っていた。  勇者が死に、セシリアの周りで多くのものが変化していった。  セシリアの心は、きっと見た目以上に荒んでいるだろう。  彼女が弱々しくも懇願したことだ。  にべもなく突き放すのは、あまりにも酷過ぎる。  変化する日常の中でも、変わらないものが一つくらいあってもいい  だろう。  それでセシリアの心の平穏が訪れる手助けになるなら、やぶさかで  ない。 【セシリア】 「今日は高級品ですよー? じゃじゃじゃーん! ギョーウンの丸焼  きですーっ!」  耳に懐かしい掛け声と共に、ゲテモノがテーブルに重々しく置かれ  る。 【セシリア】 「はいっ、どうぞーっ。お持ちしましたっ。熱いうちに食べて下さい  ねー。冷めると美味しくありませんからっ」  セシリアの表情は嬉々としているが、対照的に並べられた料理は醜  悪な雰囲気をまとっている。  あぁ、この料理は……。 【男】 「これは……」 【セシリア】 「? くすっ、はい。ギョーウンの丸焼きです」 【セシリア】 「ギョロッとした目に、細くギザギザした歯。全身トゲだらけの……  所謂ゲテモノ食材です」 【セシリア】 「しかしその実態は、巷ではなかなか手に入らない高級食材なのです  よ?」 【セシリア】 「勿論、味も格別です! 見た目と同じく、お魚と似た味ですから…  …案外食べてみると慣れちゃいます」 【セシリア】 「見た目は……、……慣れませんが」  【男】 「ははは、そうだろうな」 【セシリア】 「……。その口振り、もしかして食べたことがあるのですか?」 【男】 「まあ何度か」 【セシリア】 「へぇ、そうなのですか……。ギョーウンを食べた経験のある方とは  初めてお会いしました」 【セシリア】 「勇者様と共に様々な都市・地域を見てきましたが、ギョーウンなん  てものを食べるのは勇者様くらいのものです」 【セシリア】 「ほぅ……。こんな近くにいらしたとは……不覚です」 【男】 「ははは……。そうか……」 【セシリア】 「あっ、ご、ごめんなさい! 変なものをお出ししてしまいましたね  ……」 【セシリア】 「ですが、ご安心ください! 一応、高級食材ですので!」 【セシリア】 「……味付けが、御気に召さないかもしれませんが……」 【男】 「なに、セシリアの味付けは慣れた」 【男】 「それに、こいつは好物だから気にすることじゃない」 【セシリア】 「あ……そ、そうなんですか? 口にしたことがあるだけでなく、好  物だなんて……」 【セシリア】 「もしかして、勇者様のご親戚の方ですか?」 【男】 「なんでだよ」 【セシリア】 「くすっ。いえ、冗談です。失礼しました。……では、私が切り分け  させていただきますね」  慎ましい手つきでナイフを入れていく。  人の頭くらいの大きさはある兜が切り込まれる様子は、何度見ても  慣れない。  この凶悪な見た目に反して味は別格だから質が悪い。  こいつの飛び出た目を見るたびに、味が絶品だと知らなければよか  ったのにと後悔する。 【セシリア】 「どこか食べたいところがありますか? お勧めは、首筋のお肉です  よー。肉厚で、ジューシーで、ほわほわで……最高です」  言っている本人がうっとりとしている。 【男】 「じゃあ、目を貰おうかな」 【セシリア】 「えっ。……目、ですか? もしかして、目の周りのプルプルしたも  のがお好きなのですか?」 【男】 「ああ。ジェルみたいなのが最高なんだ。腹を壊しそうなのが欠点だ  がな」 【セシリア】 「そ、そうですか。……」  視点を彷徨わせて、押し黙る。 【セシリア】 「……すみません。ここは……勇者様に取っておきたいので、その…  …」 【男】 「は?」 【セシリア】 「あ、いえいえ! まだ『勇者様が帰ってくる』だなんて思っていま  せん! そうではなくて、ですね」 【セシリア】 「供養のために、取っておきたいのです。旅人としてではなく、死者  としてのお供え物に」  ああ、そういう。 【セシリア】 「……実は、今日……貴方が家を空けていらした際に、簡単にですが  お庭に墓石を立てました」 【セシリア】 「何も刻んでいない、墓標としては質素なものですが。何もないより  はマシだと思いましたので」 【セシリア】 「いつまでも想ってくれるな、と勇者様は仰ると思いますが、お墓く  らい作って差し上げないと、流石に可哀想ですからね」 【セシリア】 「そのお墓に、勇者様が一番お好きだったものをお供えしたいのです」 【男】 「それが、ギョーウンの目……」  セシリアから見た『勇者の大好物』は、ギョーウンの目なのか。  それはいささか不憫だ。 【セシリア】 「はい。……あ、そういえば目は二つありますね」 【セシリア】 「……おひとつだけで、構いませんか?」 【男】 「ああ、そういうことなら我慢しよう」 【セシリア】 「あ……」  ほっと胸を撫で下ろすセシリア。 【セシリア】 「ありがとうございます。では、切り分けさせていただきますね」  セシリアが慣れた手つきで、ギョーウンの目を抉りだす。  ……。  やはり、慣れないな。  …  ……  … 【セシリア】 「御馳走様でした」 【男】 「……やっぱり味は別格なんだよなあ」 【男】 「天敵を欺くために、こんな醜悪な見た目をしてるのか?」  有り得ない話でもない。  一度でも味わえば、再び食べたくなる。  普通の見た目をしていれば、幾度となく狙われ、いずれ種は途絶え  るだろう。  この姿は、成るべくして成っているのではないか。 【セシリア】 「この後は、お風呂にしましょうか。すでにお湯は張ってあります」  セシリアがほくほくした様子で話しかける。 【セシリア】 「あとは入るだけー、ですよ」 【男】 「あー……。今日は疲れた。面倒だし入らん」 【セシリア】 「えっ! お風呂に入らない……!? そんなっ、駄目です! 今日  は外出もして、汗も掻きましたのに!」 【男】 「何をそんなに声を荒げている。別に死ぬわけでもあるまいし」 【セシリア】 「それは、勿論です。死ぬわけではありません。ですが、その文句は  本末転倒です!」 【セシリア】 「お風呂に入らずにお布団の中に潜り込んで、気持ち悪くないんです  かっ」 【男】 「一日くらいどうってことないだろう」 【セシリア】 「い、一日くらい……」  憮然たる顔で仰け反らせる。  そんな大袈裟な。 【セシリア】 「っ……。もう……ますます勇者様らしく振舞って……。やっぱり、  貴方って勇者様の御親戚の方か何かですよねっ?」 【男】 「違う」  親戚ではない。 【セシリア】 「もうっ、どちらにしても勇者様をリスペクトするのは止めてくださ  いっ!」 【男】 「してない」 【セシリア】 「……最近、私に対しての扱いが雑になっていませんか?」  ふくれっ面のセシリア。 【セシリア】 「最初のころは、言葉遣いも丁寧で、料理も毎回褒めて下さって、す  れ違ったらにこやかに挨拶をして下さって……」 【セシリア】 「っ、あんなに紳士でしたのに!」 【男】 「そうだったか?」  憶えていない。 【セシリア】 「いまはっ、勇者様みたいに意気地が悪いです! どうしてそんなに  なっちゃうんですか!」 【男】 「お前が言葉遣いを正せと言ったんだろう」 【セシリア】 「……」 【男】 「都合が悪くなると黙るのやめろ」 【セシリア】 「……そうですか。私に対する態度の改善をなさらないのでしたら、  無理やりにでも改めさせます!」 【セシリア】 「今日! お風呂に入らないのでしたら! 子供みたいに! 私がお  風呂に入れて差し上げましょうか!?」 【男】 「……お前は何を言っている?」 【セシリア】 「さあ、お選びになってください。お一人でお風呂に入られますか?  それとも、私と入りますか?」 【セシリア】 「私と入って、子供みたいに隅々丁寧に洗って差し上げましょうか?」 【セシリア】 「大人にもなって、格好悪く私に洗われてしまいますか? どうしま  すか?」 【男】 「……お前自棄になってるだろう」  頭に血が上っているのが丸わかりだ。 【男】 「……」 【男】 「お前がその気なら……」 【男】 「洗ってもらうのも、楽しいかもしれんな」 【セシリア】 「そうですか。私に洗ってもら…………は」 【セシリア】 「……は、ぇ、ぅ、あ? ぇ、え? ……え?」 【男】 「どうした?」 【セシリア】 「な、何を仰って……ぅぅ。こんなときまで私をからかうのですか…  …?」  頬を朱に染めて、涙目になる。 【男】 「ははは」 【セシリア】 「笑い事じゃないです。いきなり、あんな……。言い出したのは私の  ほうですが……」 【男】 「わかった。風呂に入ろう」 【セシリア】 「む……最初からそう言えばいいのです。さっさと入ってしまってく  ださい」 【男】 「そうむくれるな」 【セシリア】 「むくれてなどいません。まったく……」  不貞腐れて俯くセシリアをほうって、俺は腰を上げた。 【セシリア】 「……はあ。どうして頬を緩ませているんですかぁ、私は……」