Track 8

「疑惑の空似」

 自然と目が覚めた。  鳥の鳴き声が聞こえ、朝になったことは明白だが……。  なんとなく、起きるのがもったいなく感じた。  目を閉じる。  まどろみかけていたところに、足音が聞こえてくる。 【セシリア】 「おはようございます。起きていらっしゃいますかー」  少しだけ戸を開けて声を入れてきた。 【男】 「んー」 【セシリア】 「あ、返事がしました。起きているのですね。……失礼します」  薄く開けた視界の中にぼやけたセシリアが見える。 【セシリア】 「朝餉ができましたよー。カロも元気に配達しにきましたよー。くす  っ、貴方はカロよりも、寝坊助さんですね」 【男】 「なんだとー」 【セシリア】 「はーい、文句を言うなら起きちゃいましょー。冷めちゃうと美味し  くないですよー?」 【男】 「ん、……わかった」  布団を持ち上げて上半身を起こす。 【男】 「くぁ……。なんかもったいない起き方した気がするなぁ……」 【男】 「……おはようさん」 【セシリア】 「ふふっ。はい、おはようございます」  早朝だというのに、セシリアはすでに正装だ。  こいつは朝の切り替えが早い。  大したもんだ。 【セシリア】 「それじゃ、お布団を干しますね。剥ぎ取っちゃいますからねー」  セシリアは布団を自分の胸に掻き込むようにして抱きしめると、顔  を顰めた。 【セシリア】 「……、……ん。ん? あ、あれ?」  怪訝な顔をして布団に顔を埋める。 【セシリア】 「……」 【男】 「おい」  静止。  全く動かない。  しばらくして、埋めた顔を上げた。 【セシリア】 「勇者様の匂いです……」 【男】 「なに?」 【セシリア】 「……あれ? 落とし切れていなかったんでしょうか……」  そう独ごちると、こちらに目をやる。 【セシリア】 「あ、あの! お布団、臭くありませんでしたか?」 【セシリア】 「この前、お洗濯したはずなんですけど、全く匂いが落ちていないみ  たいで……」 【セシリア】 「睡眠を阻害するようでしたら、すぐにでも換えのお布団を用意しま  すのでっ」 【男】 「においはしたことないぞ? 特に臭くもなかった」 【セシリア】 「え……。においがしない……そんな……。くん、くんくん」  布団に顔を埋めて息を吸う。  やり方が豪快過ぎだ。 【セシリア】 「……おかしいですね。こんなに、勇者様の匂いがしますのに……く  んくん」 【セシリア】 「このお布団を使っていたというのに、気が付かなかったとでも言う  のですか……? こんな……こんなに、っ……はぁ」  布団から覗いたセシリアの目はおぼろげだった。 【セシリア】 「強烈な香りが……するのに……? うそ……うそです……すぅぅ…  …っ、はぁぁぁ……」 【男】 「おーい……? セシリアー?」 【セシリア】 「――っ、はっ!? っ、も、申し訳ありません! 一人で、ぼうっ  としていました」 【男】 「いや、それはいいんだが……」 【セシリア】 「あ、こ、このお布団はもう一度お洗濯に回しますね。今日は天気が  いいですし、今日中に乾くでしょうから」 【男】 「そうか……」 【男】 「よく解らんが、お前がそうしたいならそうすればいい」 【セシリア】 「はい。……あっ、そうでした。ご飯が冷めちゃいますから、先に頂  いちゃってください」 【セシリア】 「私はこのお布団を処理しておきますので」 【男】 「うむ。頼んだぞ」  いつもの調子に戻ったセシリアを残し、部屋を出た。 【セシリア】 「……」 【セシリア】 「勇者様の、匂い……」 【セシリア】 「きちんとお洗濯して、しっかり匂いを抜いたはず……」 【セシリア】 「なのに、なんでお布団から勇者様の匂いがしたんでしょう……。抜  かりなく、きちんとお洗濯したはずですのに……」 【セシリア】 「……もしかして、旅人さんの匂いなんでしょうか……。でも、あん  なに似るだなんてことは……」 【セシリア】 「だって、ほとんど同じです。似るというより、まったく同一の……」 【セシリア】 「そういえば、好きなものも勇者様と似ています」 【セシリア】 「性格も、似ている気がしますし……ときどき、勇者様をお世話して  いるような気分にもなりますし……」 【セシリア】 「…………そんな、まさか」 【セシリア】 「いえ、でも姿形は勇者様と似ても似つきません。勇者様と瓜二つと  いうわけでは……ないのです」 【セシリア】 「ただ、中身が似ている……。感性や言動が、勇者様のそれと同じな  だけ……」 【セシリア】 「~~~っ! どうしてですか? こんなにドキドキして……私は何  にドキドキして……」 【セシリア】 「…………勇者様」  …  ……  … 【セシリア】 「どうぞ、ハーブティです」 【男】 「お、気が利くな」 【セシリア】 「いえ、気が利くだなんてことは……」  両手を振って謙遜するセシリア。 【セシリア】 「私も、ちょうど飲みたいと思っていたところでして、ついでに淹れ  させていただいたんです」 【男】 「あぁ、そう……」  言い訳がましい感じが否めない。  わざわざ淹れたのがバレバレだ。 【セシリア】 「あ、お供にラスクはいかがですか? 出来立てで、風味が抜群です  よ?」 【男】 「おー、いいな」 【セシリア】 「……お気に召したようで、よかったです」  そう言って、はにかむ。 【男】 「ん……。これは、桃か?」 【セシリア】 「あぁ、はい、そうです。桃の果汁を数滴加えてみました。……桃、  お好きでしたよね?」 【男】 「あれ、言ってたか? その通りだが」 【セシリア】 「……やっぱり。お好きなんですね……」  訝る目。  探りを入れるような言動。  嫌な予感がする。  もしかして……セシリアは感づいているのだろうか。  俺と勇者の関係性に。類似性に。  このまま素直に好き嫌いを言っていたら、面倒なことになるかもし  れない。 【セシリア】 「では……っ、では! これはどうですか?」  小皿に盛られた御新香が出てくる。 【セシリア】 「壺漬け、私の故郷の郷土料理です。こういうのは、お好きですか…  …?」  真実の中に嘘を混じらせると、一気に嘘らしくなるという。  これは……嘘を吐くしかない。 【男】 「いや、それほどでもないな」 【セシリア】 「え……? ぇ、そ、そんな……。だって、お好きだったじゃないで  すかっ」 【セシリア】 「美味しいって、何度も褒めてくださって――」 【男】 「誰がだ?」 【セシリア】 「ぁ……。ぃ、いえ……なんでもありませんっ」 【男】 「……」  やはりそうだ。  セシリアは、俺を勇者の生まれ変わりか何かと思い込んでいる。 【セシリア】 「勇者様は、これがお好きでした……。けど……貴方は違うのですね  ……」 【セシリア】 「……やはり、貴方は勇者様とは……違う方、なのですか……。違う  ……」  セシリアの呟きは、俺には聞こえなかった。 【セシリア】 「……」 【セシリア】 「貴方は……」 【セシリア】 「勇者様の従者になられる前まで、どういう生活を送っていたのです  か?」 【男】 「ん……」  質問の意図を考える。 【セシリア】 「少し、気になりました。ティータイムの暇潰しに、お話していただ  けないでしょうか」  先ほどまでのカマ掛けから一転、優雅にお茶を飲みながら思い出話  をしろという。  怪しいな。 【男】 「あぁ、構わない」 【セシリア】 「あ……。ありがとうございます」 【セシリア】 「では……。……ここに来られる前までは、どこに住まわれていたの  ですか?」  俺はごく普通の青年を演じるために、差し障りのない適当な作り話  をした。 【男】 「俺は帝都に住んでいたんだ」 【セシリア】 「へぇ、帝都に? 活気のある場所に住んでおられたのですね」 【セシリア】 「そこでは、どんな生活を?」 【男】 「まあ要人の護衛をしたり、荒くれ者の退治に出たり」 【セシリア】 「要人の護衛……荒くれ者の退治……。剣の腕を買われていたのです  ね」 【男】 「どうかな。そこまでのもんじゃない」 【男】 「所詮俺は、ギルドの仕事を淡々とこなす、平々凡々な冒険者さ」 【セシリア】 「……平々凡々な、冒険者……」  言葉に反応するように、セシリアは眉をピクリと動かす。 【セシリア】 「貴方は、そう……自分を評するのですか?」 【男】 「そうだが」  特に秀でたところもなく、たまたま元勇者に従者を頼まれた青年。  毎日繰り返しギルドを往復し、金銭を手にして生きていく平凡な冒  険者。  それが俺だ。  それが今の、俺の姿だ。 【セシリア】 「……」  口の端を締め、机の上に視線を落とすセシリア。 【セシリア】 「……これは、単なる経験則ですが」 【セシリア】 「『今までどんな生活を送ってこられましたか』という質問をすると、  大抵の方は……」 【セシリア】 「やれこんな辛いことがあった、かくかくこういう功績を残した……  と誇示するのです」 【セシリア】 「たとえ大きなことを成し遂げていない方でも、まるで世界を救った  かのように誇大に自慢をするものです」 【セシリア】 「それが善い、悪いという話ではありませんが……」 【セシリア】 「この質問に『平々凡々』などと、謙遜する事柄すら述べずに、自分  の半生は至極つまらないものだったかのように説明する方は……」 【セシリア】 「総じて、なにか隠したいことや、後ろめたいことがあるものです」 【セシリア】 「貴方は……違いますか?」  追及の目が俺を射抜く。 【男】 「……」  なるほど。  そうきたか。 【セシリア】 「っ、別に貴方を貶める気はまったくありませんっ! 私は、貴方を  尊敬、信頼していますっ!」 【セシリア】 「ただ……ただ、貴方のことが知りたいのです」 【セシリア】 「折角こうして出会って、共同生活を送っているのですから、隠し事  なんてよしてください」 【セシリア】 「考えてみれば、私は貴方のことをよく知りません」 【セシリア】 「どこの生まれだったのやら、今まで何をしてこられたのやら、何も  知りません」 【セシリア】 「これも、一つ屋根の下で生活する者の誼です」 【セシリア】 「いい機会です、腹を割ってお互いのことをお話しましょう! 私も  お話していない秘密をばんばん暴露しますからっ」 【男】 「はは、そうか」 【男】 「だが、秘密だ」 【セシリア】 「え……。秘密、ですか」 【男】 「そうだ」 【男】 「何も、お互いが年を取るまで一緒に住むというわけでもない」 【男】 「どうせ、近い将来には俺はここを出る」 【セシリア】 「……っ」  きゅっと歯を食いしばるのが目に見えた。 【男】 「いずれ、お前は俺のことを忘れてしまうだろうさ」 【セシリア】 「……いずれここを出るから、とか……。自分のことを忘れてしまう  だろう、とか……そんな悲しいことを言わないでください」 【セシリア】 「たとえ、共に過ごすのがあと少ない間だとしても……私は、きっと  貴方のことを忘れませんっ」 【男】 「『去る者は日々に疎し』」  セシリアが言った言葉だ。 【男】 「……人ってのは、簡単に忘れるものだ」 【セシリア】 「……どうして、貴方はそんなに意地悪なことばかりを言うのですか」 【セシリア】 「ずるいです」 【男】 「すまない」 【セシリア】 「謝らないでください」  俯き加減に口を尖らすセシリア。 【セシリア】 「はぁ……。もういいですよー」  へそを曲げてしまった。 【セシリア】 「いい返事が聞けそうにありませんから、折れます」 【セシリア】 「まったく……口の堅いお方ですね」 【セシリア】 「そういうところも……似て、……」  落胆するセシリアを見て、俺は心の中で謝った。